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【 50年前、初めて宇宙に飛び出したアメリカ人 】

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所要時間 約 7分

アメリカNBCニュース 2月20日

「3基の巨大エンジンすべての噴射状況は良好…」

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ブライアン・ウィリアムズ :
50年前の今日、その妻と10代の2人の子供たちが祈るような気持ちでテレビを通して見守る中、オハイオ出身の勇気ある一人の男がアメリカのヒーローとして宇宙めがけ飛び出しました。
ジョン·グレンはアメリカ人として初めて地球を周回しましたが、彼は宇宙で1日のうちに3回の日没を経験、そして3回夜が来るのを経験し、英雄として地球に帰還しました。
アメリカ航空宇宙局(NASA)の中枢により、控えめではあってもゆるぎない愛国心を持っている、と判断された彼は、課された使命のすべてを果たしたのです。


「宇宙飛行士として宇宙飛行を試みることは、別世界への挑戦でした。」


50年前、当時の新聞によればアメリカは宇宙開発においてソ連に遅れをとっていた時代、ごく小さなカプセルに閉じ込められて宇宙に飛び出す以前、彼はすでに尊敬されるべきアメリカ人でした。


「マーキュリー宇宙船の準備が完了しました。」

レポーター : ジョン·グレンは、第二次世界大戦と朝鮮戦争での飛行経験がありました。
彼は空軍殊勲十字勲章を5回 も授けられていました。
今あなたがご覧になっているのはNBCの番組に出演した時、41歳になったジョン・グレンがインタビューに答えている姿です。
当時のアメリカがなぜジョン・グレンのような人を最初の宇宙飛行士に選んだのか、それは彼が経験豊かなパイロットであるため、宇宙飛行士に仕上げるまでにさほどの時間を要しないだろう、と判断したからなのです。
それほど、当時のアメリカは有人宇宙飛行の達成を急いでいました。


ブライアン・ウィリアムズ
「あなたはまるで戦闘任務に出かけるように、宇宙飛行の早期達成を目指しました。あなたはこの国にとって大切なことを成し遂げられました。」


レポーター : 当時ロシアはアメリカに先駆けること5年、バスケットボールほどの大きさの銀色に輝くスプートニク一号の打ち上げに成功し、アメリカを脅かしました。
人工衛星の打ち上げについてもアメリカはロシアに遅れをとっていました。

当時アメリカが持っていた唯一のロケットは、核弾頭ミサイルの改良型だけでした。
そのためにグレン飛行士は、現在では充分な改良を加えられたフォードF-150、世界的にはむしろ『フレンドシップ7型機』の名で知られる初期型の機体の先端部分に座り、宇宙に飛び出すことになりました。

「3、 2、1、ゼロ!」

レポーター:「その瞬間」をとらえたこれらの記録映像は、すべて本物です。
アメリカはすでに何度もロケットの発射に失敗しており、グレンが生還する保証などありませんでした。

そのため、後に有名になったこの言葉が打ち上げの瞬間、口を突いて出たのです。
「ジョン·グレンに、どうか神のご加護がありますように!」


50年前当時の様子を見てみましょう。
彼は5時間の間に地球を3周しましたが、当時の技術ではそれ以上のことはわかりませんでした。
米航空宇宙局(NASA) の科学者は無重力状態により、グレン飛行士の目が見えなくなってしまうことを恐れていましたが、幸いそうはなりませんでした。

「ただ今重力ゼロ、でも気分良好。」

レポーター : 彼は光り輝く何かがいくつも飛んでいくのを見た、と報告しました。
「私は光り輝きながら私が乗っている宇宙船をライトアップしている、微粒子の雲のようなものの中にいる。こんなものは見たことがない。」

レポーター:NASAの何人かのスタッフは生命体、または宇宙昆虫ではないかと色めき立ちました。しかし、実際には機体に着いていた細かい氷の粒だったのです。


「機体の外側に火の玉が見える!」

レポーター : 地球に帰還するため時速17,000マイルで大気圏に突入して機体が燃え上がり、危うく黒焦げになりそうになっていた間、グレン飛行士は「リパブリック賛歌」をずっとハミング し続けていました。彼が戦闘機のパイロットとして重要な任務を遂行するときの癖でした。
彼は強がりを言うこともできたはずですが、彼の様子は決して快適には見えませんでした。
「少しばかり暑いけど、それ以外は大丈夫。」


レポーター : 彼 はカプセルから助け出されると、一杯のアイスティーを欲しがりました。
「こんなところで、3時間半から4時間も待たされたんだぜ。」

レ ポーター : ニューヨークで行われた凱旋パレードでは、無数の紙吹雪が舞い飛びました。
彼は上下両院合同の議会で演説を行いましたが、まさか後に自分自身が上院議員となる日が来るとは考えていませんでしたし、50年後、アメリカ最初の7人の宇宙飛行士のうち、スコット・カーペンターの2人だけが生存することになる、などという事は思いもしませんでした。

「5人の仲間が逝ってしまいました。元気なのはスコット·カーペンターと私だけになりました。
5人の同僚がこのような形ですでにこの世にいないとしたら、自分ももういつどこでどうなるかわからない、そんな感じになると思いますよ。」

レポーター : ジョン·グレンは、忠誠心に欠ける、などという批判されたことは一度も無い人間です。
4月になればグレンは妻と69回目の結婚記念日を祝う予定です。
何十年もの間、彼は国家の宝物であり、したがって再び彼を宇宙に送り出すようなことはできない、と言われ続けてきました。
最終的に彼は1977年に現役の宇宙飛行士を引退し、宇宙への夢に終止符を打ちました。
「素晴らしい任務に打ち込む日々は、もう遠いものになってしまいましたよ。」

アメリカでは現在有人宇宙飛行計画は休止中である、という事実はグレン上院議員をいらだたせるかもしれません。
スペースシャトル計画はすでに終了し、アメリカ人が今宇宙に行こうとすれば、皮肉なことにかつての敵以外の何者でもなかったロシアの宇宙船に乗り込む以外に方法は見当たらないのです。

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