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【放射能汚染・こどもたちの真のガン発生割合】〈第3回〉[フェアウィンズ]

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所要時間 約 17分

「成人男性と比較し、5歳の少女は5倍、乳幼児の女の子は7倍、放射線被爆に対し傷つきやすい」
「放射性物質の危険性について、日本政府と大手メディアは一般市民の正しい知識の取得を妨害」

フェアウィンズ

Cancer Risk To Young Children Near Fukushima Daiichi Underestimated from Fairewinds Energy Education on Vimeo.


この日本のTV番組を見ると、放射性物質の危険性について日本政府と日本の大手メディアが、一般市民が正しい理解の下に、正しい対応ができるようにする能力を身に着けることを妨害しているということが、簡単にわかります。
このため私たちは安全なエネルギーを安心して 使える未来社会、ほんとうの民主主義社会の実現のため、声を上げることにしました。
そのようなわけですから、少々長い話になりますが、最後までおつき合いを願いたいと思います。

アメリカ合衆国科学アカデミーは放射線科学に関して検討する際、理論的根拠を提供してくれます。
そして同アカデミーは低線量被ばくに関する報告書を、定期的に刊行している数少ない機関なのです。
この報告書は危険予測モデルが形作られて以来の、数十年間の疫学・放射線生物学研究に基づいています。
科学アカデミーの最新の報告書は、調査の基になった資料と分析結果の両方を公開しているため、広い範囲で放射線被ばくが発生した場合のリスク・モデルを検証することができます。
この科学アカデミーの報告書で、20ミリシーベルトの被ばくのガン発生リスクについて確認してみましょう。

この表は100ミリシーベルトの被ばくによって引き起こされる、ガンの発生割合を表しています。
横軸に年齢、縦軸には性別が分類されています。
10万人当たりのすべての種類のガン発生予測割合は黄色で強調表示されています。
見てすぐにガンのリスクは男女とも、年齢の増加に伴って一様に減少していることがわかります。
言い換えれば、放射線に最も脆弱なのは子供たちである、という事になります。

このグラフの中にこれらのデータをプロットしてみましょう。
ガン発生リスクのグラフは、被ばく線量に関係なくこの形状を維持することがわかります。
つまり放射線被ばくによる、人間の生涯にわたってのガン発生のメカニズムを表現しているものと考えられます。

ある特定の量の被ばくについて科学アカデミーの基準に従い、グラフ左側のY軸は「安全である」と主張されている、被爆量20ミリシーベルトの部分に目盛りを打ち直していきます。そしてさらに10ミリシーベルト、2ミリシーベルトの部分にも目盛りを打っておきましょう。
科学アカデミーはこの被爆量には危険性は無い、としています。

しかし、明らかに20ミリシーベルトの被爆は安全ではありません!
さらにもっと問題なのは、子どもたち、特に女の子の放射線被爆による発がん性リスクが著しく高い、ということです。
事実、同年齢の男の子と比べ、女の子の場合、ガン発症リスクはほぼ2倍。そして30歳の男性と比べ、5歳の少女は5倍、乳幼児の女の子は7倍放射線被爆に対し傷つきやすい事が解ります。

従って乳幼児を含む少女たちが、全人類の中で放射線被爆にもっとも傷つきやすい存在である事が解ります。

原子力発電支持者の発言については、この点を考慮して話を聞く必要があるのです。

全米科学アカデミーが提供するこれらのデータは、すべての主要メディアと政府関係者が自由に利用できます。
しかしながら一般市民に対し放射線科学の真実と原子力発電の本当の危険性について知らせるよりも、主要メディアと政府関係者は、20ミリシーベルトの放射線被ばくは安全である、あるいはこの程度の低線量被ばくについては実態がまだ明らかでない、と信じ込ませようとしています。

CBS:「東京に押し掛けた住民は、低線量放射線の長期間被ばくすることの影響はまだ解明されていないという事実にもかかわらず、政府が安全基準を緩めたことに抗議しています。低線量放射線の長期間被ばくによる影響は不明なのです。」

イアン・ゴッダード:正確に伝えることに失敗したのならともかく、主要メディアは一般の人々に対し、今ここでご紹介した低線量被ばくに関する科学的分析結果など存在すらしていないかのように信じ込ませようとしています。
しかし大手メディアと政府当局が作り出した真実を隠すための繭の外側では、科学は進歩を続け、今や低線量放射線の長期間被ばくによる影響を解明しつつあります。
そしてこのような流れを受け、2006年に科学アカデミーが発行した低線量被ばくについての報告書は、その危険性について過少評価はあっても、過大な評価は決してしていないことを示唆しています。
〈つづく〉

http://fairewinds.com/content/cancer-risk-young-children-near-fukushima-daiichi-underestimated
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フェアウィンズのビデオは佳境に入ってきました。
しかし、『国民が正しい知識を得る、その邪魔をする大手メディア』とあり、アメリカCBSニュースが引き合いにされていますが、アメリカ3大ネットワークの中でもCBSは早くから福島第一原発事故の数限りない問題の存在を訴え続けてきています。
そのCBSですら、「正しい知識を得る、その邪魔をしている」のなら、日本の大手メディアはいったいどういう事になるのでしょう?
それはともかく、幼い女の子が放射線被ばくに対し、最も傷つきやすく危険である、という見解には焦りすら感じます。

これからどうやって東日本に住んでいるこの子らを守るのか?

グンダーセン氏が第一回で指摘した、『250,000ベクレルの放射線に汚染された スギ花粉の飛来』は間もなくです。
担当であるはずの厚生労働省は、今まさに「死んだふりを決め込んで」おり、どのような対策も聞こえてきません。
「飛んでくるものは仕方がないじゃないか…」
まさかそんなふうに考えているのではないでしょうね?!

次の話題について。
これまでミュージシャンの死に大きな衝撃を受けたことが2度あります。

1人目カーペンターズのカレン・カーペンター。
私生活のことでなんだか言いがかりをつけられ、それがもとで精神的に追い詰め られ、拒食症に陥っての死。
ものすごくかわいそうで、やりきれなかったことを覚えています。
彼女ほど音程に一切の揺るぎがなく、発音が美しく、表情が豊かな女性歌手には 未だお目にかかっていません。

2人目はジョン・レノン。
こちらは暗殺。
暗殺された、と聞いた時、「何で?! 何でジョンのような生まれたままのような 傷つきやすく、純粋な魂を持った人間を殺すのだ?!」と、すさまじい怒り、そして深い喪失感に襲われました。

私はモンキーズ・ファンではなく、ビートルズ・ファンでしたが、何気なく口ずさむのは『レット・イット・ビー』や『ヘイ・ジュード』よりも、『デイドリーム・ビリーバー』の方が多かったかもしれません。
この曲は20世紀の終わりごろコダックフィルムのCMで再登場し、テレビCMで 1960年代~1970年代のヒット曲が多用された、そのきっかけを作った曲でもありました。
デイヴィー・ジョーンズが逝ってしまったことは、また一つの時代の終わりを告 げられたようで、さびしい限りです。
なお動画はアメリカCNN、NBC、ABCの3本を(お好きな方は)ご覧ください。CBSは記事は2本ありましたが、動画ではなく写真集( http://www.cbsnews.com/2300-207_162-10011495-13.html?tag=page;next )がアップされていました。

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【ザ・モンキーズのデイビー・ジョーンズ、66歳で死去】

アメリカCNNニュース 2月29日



フロリダ州マーティン郡の保安官事務所によると、その魅力的な笑顔とイギリスなまりの英語で1960年代のテレビシリーズで数百万人のファンの心をとらえたザ・モンキーズのメンバー、デイビー・ジョーンズ氏が2月29日水曜日に死亡しました。享年は66歳でした。
「フロリダ州インディアンタウンで彼と一緒にいた目撃者の証言によると、ジョーンズ氏は気分の悪さを訴え、呼吸困難に陥った。」と郡保安官事務所は声明の中で述べています。

ジョーンズ氏は病院に運ばれた段階で死亡が確認された、と当局は述べています。
マーティン郡の警察当局によれば、ジョーンズ氏は明らかに心臓発作を起こした模様だ、と明らかにしました。


ハリウッドの往年のスターを登場させる番組を企画する『リビング・レジェンド (生きた伝説)』LTD.のローリー・ジェイコブソンさんは、しばしばジョーンズ氏をこの番組に出演させていますが、2日前にもジョーンズ氏と打ち合わせをしたばかりでした。
「彼は菜食主義者であり、体に余分な脂肪もついていませんでした。」
「彼はフロリダの海岸近くに住んでいて、毎朝数マイル走っていました。まさかこんなことになるとは考えても見ませんでした。まったくついてないとしか言いようがありません。」

小柄なボーカリストであり、俳優でもあった彼は、ザ・モンキーズでリードヴォーカルを担当し、『デイドリーム・ビリーバー』『リトル・ビット・ミー、 ア・リトル・ビット・ユー』など、たくさんのヒット曲があります。

ジョーンズに加えて、ザ・モンキーズのメンバーはミッキー・ドレンツ、ピーター・トーク、そしてマイク・ネスミスでした。
このポップグループは NBCのホーム・コメディ番組で主演し、ビートルズの十代前半の少女の人気にあやかろうと結成されました。
『ザ・モンキーズ』のTVシリーズは 1966年の秋に初めて放映されました。

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音楽業界の予想を覆し、モンキーズは予想を上回る成功を収めました。
モンキーズは全米第1位のヒット曲(1967年ビルボード・ヒットチャート1位の 『デイドリーム・ビリーヴァー』を含む)を量産し、アルバムも全米第1位のアルバムも制作しました。

批評家によって『にわか仕立ての4人組(プレハブ4)』と揶揄されたグループは、その音楽キャリアを着実に積み上げていくことで、こうした批判的意見に報いました。

しかし、こうした展開もやがて限界を迎えました - それまでレコーディングの際は楽器の演奏はスタジオ・ミュージシャンが代わって行っていましたが、モンキーズのメンバー自身が演奏を行い、曲も作るようになった結果、皮肉なことにそれと比例するようにモンキーズの人気は下がっていったのです。
NBCはこの番組を2シーズンで打ち切り、バンドもその後1年間しか続きませんでした。

テレビ番組はそれほど高い評価を得たわけではありません。ドタバタ喜劇で、マックス兄弟スタイルのコメディでした。これはビートルズの『ア・ハードデイズ・ナイト』に触発された、その焼き直しとも言うべきものでしたが、一定数のファンや信者を獲得しました。
そして1980年代半ばにMTVで再放送されると、モンキーズの人気も再燃しました。

『リビング・レジェンド(生きた伝説)』の番組でのジョーンズ氏の出番は好評を博していました、とジェイコブソン氏が語りました。

「彼は本当に多忙でした。」と彼女は語りました。
「バンドと一緒にツアーも行っていましたし、歌もまだなかなかのものでした。小規模でもサイン会を行うのを楽しみにしていました。ファンを大切にし、ファンと一緒の時間を楽しんでいました。彼は度々ステージで歌い、その都度ドアの外にはサインを求める行列ができていたものです。」

亡くなった日の午後、ハリウッド商工会議所はジョーンズ氏の名誉をたたえるため、ハリウッドの有名人の回廊にあるモンキーズのメモリアルに花束を捧げました。
「大切な時間の多くを共に過ごしたデイヴィッドが、私の手の届かないところに行ってしまい、私は悲しみに打ちひしがれている。」
マイク・ネスミスが彼のフェイスブックに記しました。
「彼がいなくなって本当にさびしい。しかし私は彼を追憶の彼方に追いやろうとは思わない。彼の魂はともに幸せな時を過ごした他の愛すべき人々とも に私の中でこれからも生き続け、必要な時にはいつでも私を慰め、そして思い出を作り続けるだろう。」

「彼の才能が発揮される機会が永遠に失われ、非常に惜しまれます。その輝きは彼の記憶とともに永遠に消えることは無いでしょう。」
同じモンキーズのメンバーだったピーター・トークがこう語りました。
「ジェシカ、そして残された彼の家族には深い同情を禁じえません。」

ビートルズのリンゴ・スターが短い声明を発表しました。
「デイビーに神の御導きがありますように。愛と静かな日々を彼の家族に与えたまえ。リンゴ・スター」

デビッド・トーマス・ジョーンズは、1945年12月30日にイギリスのマンチェスターで生まれました。
彼がモンキーズに加わったとき、母国ではすでに有名人でした。
モンキーズのウェブサイトによれば、彼はミュージカル『オリバー!』 のロンドンの舞台で『アートフル・ドッジャー(巧みなペテン師)』の役を主演、ブロードウェイではその演技力ゆえにトニー賞にノミネートされました。
確かに1964年2月9日に『オリバー!』の出演者としてエド・サリバン・ショーに出演した時には、ビートルズ並みの人気を得ていたことは本当の話です。
その日はビートルズの初出演の日でもありました。

モンキーズ解散後はジョーンズは『ゆかいなブレディ一家』にゲスト出演したり、『スポンジ・ボブ』や映画版『ゆかいなブレディ一家』の登場人物として現れたりと、その時々のパフォーマンスを楽しんでいました。
また長年にわたり、モンキーズの再結成の度に欠かさず参加をする一方、私生活では競走馬を所有し、自らもレースに参加していました。

ジョーンズは3回結婚しました。3番目の妻ジェシカ・パチェコとの生活はうまくいき、2人の前妻との間には4人の娘がいました。

彼はイギリスの日刊紙デイリーメイルに自分の身長は5フィート4インチ(162cm)だったが、
「1インチ(3cm)ほど縮んでしまった。」
と語っていました。

彼は自らのブログに馬、孫たちや自分自身の写真を掲載し、時にはファンにメッセージを投稿していました。
「ジョーンズのことを忘れないでくださいね。」
「私はしばらく前に、誰もが夢をかなえられるわけではない、と書きました。」
2011年1月のメッセージにこうありました。
「でも私の夢はかないました。後悔すること?もちろんあります。後悔のない人生なんて、馬鹿げたものに違いありません。でも私はあなた方みんなに、そうあなたに、心から感謝しています。長い間私を支え、そして愛してくれたことを。」

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