実録『トモダチ』作戦・第3部「まとわりつく、放射能汚染の恐怖」[第1回]原子炉1号機のメルトダウン、その本当のタイミング

原子力産業界、そして規制委員会が作り出した、2つの大きなウソ

ロジャー・ウィザースプーン / ハフィントン・ポスト 3月5日

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何日もの間、破壊された福島第一原発から吹く風が、放射性核物質にまつわる神話に正面からぶつかり続けました。
それは原子力産業界、そして原子力規制委員会が作り出した、商業用原子力発電における、最も永続的な嘘です。
この神話は2つの大きな矛盾した構造を持っています。

1. 破壊された原子炉、あるいは沸騰した使用済み核燃料プールから放出された放射性物質はまとまったまま、細く、拡散せずにまっすぐな形で流れて行く固有の性格を持っているため、広範囲にわたる汚染は発生しない。

2. 原子力発電所から10マイル(16キロ)離れた場所では、放射性核物質はティーポットから吹きあがる蒸気のように一帯に拡散するため、放射線量は計測できない程低いか、または計測されても「健康に影響のない」程度の量である。

この「広がらない固有の性格」と「吹き上がる蒸気のように拡散する」性格との間の矛盾に対し、今のところ疑問は呈されていません。
その事が最もはっきりしたのは、ニューヨーク、マンハッタン地区の約50キロ北にある、エンタジー社のインディアンポイント原子力発電所がもし事故を起こした場合に備え、どのような対策がとられるべきか検討を行った席上でした。

この公聴会は2002年4月8日にホワイトプレインズで開催されましたが、答弁に立ったエンタジー社のラリー・ゴットリーブは、もっともらしくこう語りました。
「放射線による被ばくを避けるための最も簡単な方法、それは通りを渡って向こう側に行くこと、たったそれだけのことです。」
これに対し、居並ぶ原子力規制委員会の担当者たちは一切異議を唱えませんでした。
「誰かがあなたに銃口を向けたら、あなたは右か左、弾の飛んでこない方向に身をかわすでしょう。それと同じことをすればよいだけなのです。」

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2011年3月11日、東北地方を巨大な地震と津波が襲い、約20,000人の死亡・行方不明者を生み、海岸沿いにあった何もかもをも破壊してしまった後の、殺気立つような最初の1週間、福島第一原発にある6基の原子炉のうち、3基が引き返すことも、留まることも無く、ひたすらメルトダウンの過程を突き進みました。
日本に居たアメリカ国防総省、政府、エネルギー省、そして原子力規制委員会のスタッフたちは、揃って前述の神話にこだわり、放射性物質はまっすぐ海に向かって飛んでいく限り、福島第一原発の制御を回復することは可能だとの立場を捨てませんでした。

この見解は本国の国防総省の考えよりも優先されることになりました。
国防総省は日本全国、そして周辺の島々に63か所の軍事施設を有し、そこに男性・女性合わせて60,000人の兵士を展開しており、その家族も一緒に暮らしていました。
日本駐在のスタッフの見解に、その関係者は胸をなでおろしました。

ところが3月13日、福島第一原発から約200キロの沖合に居た航空母艦ロナルド・レーガンから、同艦のフライトデッキ上に設置したセンサーが、放射性物質を検出したと報告してきたのです。

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原子力規制委員会の状況報告書によれば、「計測可能な量の放射性物質は、福島第一原発の原子炉1号機のベント開始とほぼ同時に計測されるようになりました。」
同じく海軍も放射性汚染物質の空中サンプルを回収しました。
この報告書はこう分析しています。
「この時点でアメリカ海軍空母USSロナルド・レーガンは、福島第一原発から放出された放射性ヨウ素、放射性セシウム、そしてテクネティウムによって汚染されてしまったものとみられる。」

それでも唯一救いであったのは、『津波が引いた後、東京電力は再び福島第一原発の原子炉を制御下に置くことに成功した。大気中で放射性物質が検出された理由は、原子炉建屋内にガスが充満するのを防ぐため、東京電力が計画的にベントを行った結果である。』という情報でした。
放射性物質はメルトダウンによって発生したのでない、そういう判断でした。
そして福島第一原発から放出された放射性物質が、風によって海に向かって吹き飛ばされている限り、アメリカ軍基地に居る全人員と首都圏にする数千万人の住民は、避難する必要はありませんでした。

実際には、福島第一原発原子炉1号機のメルトダウンは始まっていました。

津波が襲いすべての予備電源が使用不能になる以前、地震によって原子炉1号機のメルトダウンは始まっていたのです。

溶けだした核燃料は原子炉圧力容器、格納容器の底を突き破り、格納容器ほ下部にあった冷却水の中に入り込み、そのために発生した放射性物質を含むガスが、破損した原子炉建屋から外に漏れ出してしまっていたのです。
2013年1月まで観測結果の分析が行われなかったモニタリング・ステーションでは、ベントが開始されたとする時間の少なくとも1時間前までは、通常の700倍に上る放射線を検出してはいませんでした。

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係官たちは、空母ロナルド・レーガンは、原子力規制委員会等の仮定に基づく放射能汚染物質を検出していないと判断しました。

その代わりに空母は、原子力規制委員会等が予測することが出来なかった、放射能雲の真っただ中にいたのです。

東京電力がアメリカ側には伝えていなかったこと、そしてアメリカ側が錯綜し緊迫する状況の中で見落としていたもの、それはベントなど最初から機能していなかったという事でした。

原子力技術者のアーニー・ガンダーセン氏がこう語ってくれました。
「チェルノブイリとフクシマの違い、それは何でしょうか?」
「チェルノブイリでは火災が発生し、放射性物質が空高く舞い上げられ、そのために広大な範囲が汚染されてしまいました。フクシマでは火災は発生していません。この通り、原子炉建屋の中には一見無傷のものもあります。しかしベントは行われませんでした。工業用のファンを回せるだけの電力など、当時この場所にはありませんでしたから。」
「そのために福島では放射性物質(放射能雲)はスモッグのように、基本的には地を這うようにして進んで行きました。このうち約80%が海に向かって進んで行ったのです。」

そして放射性物質(放射能雲)が拡散せずに直進するという話も、一気に拡散して薄められるという話も、いずれもが戯言(たわごと)に過ぎませんでした。

〈 第3部・第2回へ続く 〉

http://spoonsenergymatters.wordpress.com/2013/03/03/404/
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今日から実録『トモダチ』作戦・第3部を4回に分け、掲載いたします。

早速ですが、このページの中ほどに福島第一原発の原子炉1号機は、津波到達以前に、地震によってすでにメルトダウンを起こしていた、と書かれています。
ただ残念なのは、その論拠となる事実については書かれていない、その点です。

東北太平洋沖地震の本震から津波の第一波の到達までの時間は一時間も無いため、もし傍証を積み上げて1号機のメルトダウンのタイミングを割り出すのであれば、発生した事実ごとに詳細な時刻の記録の表示が必要です。
しかし本稿では触れられていません。
今後の展開の中で明らかにされるのでしょうか?

ただ、空母ロナルド・レーガンが急激な放射線量の増加を確認したタイミングについて、日本側が「ベントを開始した」とアメリカ側に「通知した」らしいことが解ります。そしてそれがベントなどではなく、実はメルトダウンだったことも。
ただ、それが3月何日の何時頃だったのかの記述が無いのが残念です。

この実録『トモダチ』作戦は第4部まであり、第4部は1~3回全部を合わせたほどの長さがあります。
第4回は4月第2週にご紹介予定です。
『原子炉1号機は、津波到達以前に、地震によってすでにメルトダウンを起こしていた』
その証明をされるのでしょうか?

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【 2013年3月のシリア 】

アメリカNBCニュース 3月28日
(写真をクリックすれば、大きな画像をご覧いただけます)

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9歳のニハルがまきストーブにオリーブの枝をくべています。ローマ時代の墓所は今、シリア政府軍の攻撃から身を守るための防空壕の役割を果たしています。2月28日撮影。
ここイドリブのジャバル・アル・ザウィーヤでは、反政府軍も、政府軍も、そして一般住民たちもこの国の宝であるはずの歴史的遺産を、2年に及ぶ内戦から身を守るためのシェルターとして利用しているのです。
これらの歴史遺産はぶ厚い石で覆われ、時として街や道路を見下ろす戦術的要衝の地にあります。

クルド族の人民防衛軍の女性兵士。シリア北部、クアミシリの検問所。3月3日。
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シリア反体制派の旗で作ったスカーフをまとい、一人の女性が破壊の跡が著しいディエル・アルゾルの町を歩いています。3月3日。
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シリア国境に近いヨルダンのアルザータリにある、シリア難民キャンプ付近で発生したガス爆発事故から逃げる避難民たち。死者、けが人は無かったが、35のキャンプが吹き飛ばされてしまった。3月8日。
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ディエル・アルゾルの町でシリア政府軍の空爆によって死亡した父親の墓の前で泣き崩れる男性。3月11日。
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トルコの境界の近くのイドリブ、アトメ村の難民キャンプで、子供を外に連れ出すシリア人女性。3月17日。今回の内戦で100万人以上のシリア人が海外に脱出し、さらに別の100人が国内の難民キャンプなどに収容されています。
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アレッポ市内で政府軍狙撃兵の視界に入らないように移動する反乱軍兵士。3月11日。
3月12日、反政府勢力と各国代表団との間でアサド以降のシリアの統治機構に関する話し合いが始まったことに対し、政権側は「あと数年は充分戦える」との声明を発しました。
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