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【 立場を利用し、日本の脱原発運動をつぶそうとする人間たち 】〈4〉

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所要時間 約 12分

『天下り』『天上がり』が横行、ひたすら業界に「尽くす」電力・原子力行政
政界入りし、原子力発電推進のための法整備にまい進した元東京電力役員
国内の各原子力発電所の使用済み核燃料プールは、すでに限度いっぱいの状態
多くの政治家が六ヶ所村にある3,000トンの高放射性核廃棄物について、『決して触れてはならない問題』として扱ってきた

ダグラス・バーチ、ジェフリー・スミス、ジェイク・アデルスタイン、センター・フォア・パブリック・インテグリティ(公正中立の社会正義) / アメリカNBCニュース 3月11日

東京電力・広瀬
▽ 『天下り』『天上がり』が横行する電力・原子力行政

東京電力の原子力政策に対する影響力は、入れ替わりの激しい人事が行われる中央省庁にあって、そのOBを職員として迎え入れる人事を熱心に行ったことによっても強化されました。
一例としては、原子力発電の推進に反対する立場をとり、日本では微弱な勢力でしかない日本共産党の質問に答えるため用意された経済産業省の報告書によれば、1960~2011年に東京電力は68人の高級官僚を幹部職員として迎え入れました。
そして同じ報告書は1980年から2011年後半までに、経済産業省の出先機関のひとつである資源エネルギー庁のトップクラスの官僚が、他の電力会社の副社長に就任したことを明らかにしています。
こうした行為について、ここ日本では興味深い表現が用いられてます、すなわち『天下り』というものです。

逆のケースも存在します。
こちらは『天上がり』と称されるもので、電力会社や原子力事業を監督する国家機関に20名以上の東京電力の幹部職員が定期的に送り込まれています。
このように電力会社の幹部職員が監督官庁の臨時職員として働いていた例は、2001~2011年の10年間で延べ100人以上に昇りました。
こうした職員の給与は電力会社、あるいは原子力企業が支払っていますが、こうした行為は日本では違法ではありません。

廃炉13
いずれについても衆議院の経済産業委員会の元委員による背景説明に基づくものです。

原子力規制委員会の調査部門で働く職員が、匿名を条件にインタビューに応じ、この『天上がり』のシステムについて次のように語りました。
「警察署の中で、泥棒と警官を一緒に働かせているようなものです。」

こうした『天上がり』人事のもっとも典型的な例は、1998年自民党が、経済産業省を監督する委員会の委員長と科学技術庁政務官に、長年東京電力の役員を務めてきた加納時男氏を指名したことでしょう。

いずれも原子力産業界にとって重要なポストです。
そして加納氏は日本の原子炉でのプルトニウム使用、増殖炉だけでなく、商業用原子炉での使用を可能にするための法律を成立させるため、これらの地位を利用しました。
加納氏はさらにすべての使用済み核燃料を六ヶ所村の再処理施設、あるいは他の同様の施設に送ることを義務付ける法律を成立させました。

こうした電気産業界と経済産業行政の在り方に批判的な河野太郎氏は、加納氏があたかも
「エネルギーと電気に関係があるすべての委員会の、委員長のように振る舞っていた」と批判しました。

国会議事堂前02
河野氏は自身が参加した原子力政策の委員会の席上で異義を唱えたとき、加納氏が
「さて、この部屋で今変な声がしましたが、議事は満場一致で承認されたとみなします。」
と語り、河野氏の異議を無視して議事を進行させました。

2011年、加納氏は議会を引退し、特別顧問として東京電力に戻りました。
電力業界、原子力産業にとって必要な法律は、もうすべて成立していました。

加納氏は、『センター・フォア・パブリック・インテグリティ(公正中立の社会正義)』のインタビューの要請を断りました。
しかし彼は2011年、朝日新聞の取材に対し、原子力発電が賢明な選択であることに変わりはないと語りました。
「地元の人々が強く求めから、原子力発電所が建設されたのです。そして原子力発電所が職場と収入を生み出したことは厳然たる事実です。」

「一部の研究者は、低用量放射線被ばくは健康に良いと語っています。 それは、説得力のある意見です。」

加納氏は同じ年、ニューヨークタイムズの取材に対し、世間が彼を東京電力の「使い走り」だと批判していることについて、自分は経済界のために良かれと思って仕事をしただけであり、そうした批判にはもううんざりだと語っていました。

01再稼働反対
▽ 莫大な額の資金と国内に溢れる核廃棄物が、現在の六ケ所村を作り上げた

六ヶ所村がある青森県は吹きさらしの海岸が続く、厳しい気候に苛まれる場所であり、日本の47都道府県の中で、その県民所得は平均以下に留まっています。
「経済的な条件には恵まれていません。」
原子力発電の推進に反対の立場をとる、河野太郎氏がこう語りました。
彼は六ヶ所村や青森県の財政的な窮状も理解しているようでした。
「生きてくためには、厳しい場所です。」

1980年代、日本政府は石油備蓄基地建設とテンサイ栽培の奨励により青森の経済の底上げを試みましたが、うまくいきませんでした。
いずれの事業もいまだ軌道に乗っていません。

青森県の担当部局によると、1993年に始まった核燃料再処理施設の建設工事は六ヶ所村に雇用機会、財源、そして観光資源すらもたらしました。
現在村の税収入の実に88パーセントは核燃料再処理施設に関連するものです。
さらには昨年、村民1人当たりの年収を62%増加させたとの報告がなされました。

さらに人口がわずか12,000人という村に、原子力発電関連施設を全国に設置するため政府が設けた補助金制度から、毎年、26億5,000万円の補助金が交付されているのです。
再処理施設の建設をスムースに進めることが目的です。

青森県によれば、子供も含めた村民1人当たり、235,000円以上が支払われている計算になります。
そして六ヶ所村商工会議所によれば、現地の商工業者の約70パーセントが、原子力発電関連事業の恩恵を受けています。

4号機核燃取出03
当然のことながらこうした恩恵と引き換えに、六ヶ所村には全国の原子力発電所から約3,000トンに昇る高放射性核廃棄物が集積されました。
それらは現在、プルトニウム燃料に『再処理』されるのを待っている状態です。

こうした膨大な量の高放射性核廃棄物について、日本全国で電力事業を独占している日本の電力各社は16年前、その大半を再び原子炉で使える核燃料として再生することを約束しました。
さもなければその核廃棄物は責任をもって引き取ると…

しかし日本政府の当局者は、国内の各原子力発電所の使用済み核燃料プールはすでに限度いっぱいの状態であり、すでに六ヶ所村に送った高放射性核廃棄物を引き取る余裕などは無いと語りました。
そんなことになれば、安倍政権が目論む国内の50基の稼働可能な原子炉の再稼働計画に大きな狂いが生じることになります。

多くの政治家が『決して触れてはならない問題』として扱ってきた六ヶ所村にある3,000トンの高放射性核廃棄物については、合理的解決方法について改めて議論することが必要なはずです。
しかし『原子力ムラ』にとってこの問題こそが最も解決が困難なのです、河野氏がそう指摘しました。

〈 第5回につづく 〉

http://www.nbcnews.com/storyline/fukushima-anniversary/japans-well-placed-nuclear-power-advocates-swat-away-opponents-n50396
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『貧』が不幸なのか、それとも福島第一原発周辺の市町村のように故郷が消滅してしまうことの方が悲劇なのか、それは私たち日本人一人一人が考えなければならない問題です。

今回の記事が明らかにしている日本の電力行政、原子力行政には驚き、あきれるしかありませんが、しかし底流にあるのは『貧』への恐怖です。
それは私も含め、誰にでもあります。
相手がその恐怖を『利用』している以上、日本の脱原発運動には、この点も見据えての議論が必要です。
でなければ、強大な力と資金力、そして権力を持つ原子力ムラには敵しようもありません。

掲載途中ですが、明日22日土曜日は掲載をお休みさせていただきます。
【 立場を利用し、日本の脱原発運動をつぶそうとする人間たち 】〈5〉は23日日曜日に掲載させていただきます。
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

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【 津波が襲った町 】〈2〉

ニューヨーカー 3月11日
(掲載されている写真をクリックして大きな画像をご覧ください)

大槌8
3年前、日本はマグニチュード9.0という、観測史上始まって以来最強の地震に見舞われました。
震源は太平洋沖の海底にあり、5分間続いた揺れにより30フィート近い高さの津波が東日本の沿岸部を襲いました。
岩手県大槌町でも津波は防波堤を超えてこの小さな三陸沿岸の町を襲い、町を破壊しつくし、人々は町の近くの丘の上の墓地まで逃げなければなりませんでした。
この津波による犠牲者は、確認されただけで16,000人を超えましたが、そのうちの1割、1,600人が大槌町の人々だったのです。

地震から数日後、大槌町を訪れた日本赤十字社の代表はこう語りました。
「すべてのものが破壊され、町が平らになってしまった。
これこそ災害以外の何者でもありません。日本赤十字社にこの身を奉じて以降、最悪の事態です。」

アルゼンチンの カメラマン ・アレハンドロチャスキエルベルクは、津波の破壊の跡を記録に残すため、今年始め、大槌町を訪れました。

彼は日本人の協力者の助けを得て、かつての住民たちにかつての自宅の跡地での夜間の撮影の被写体になってくれるよう依頼しました。

流された鉄橋の橋桁の上の青年(写真上)

津波で水浸しになった記念写真(写真下・以下同じ)
大槌10
浴室の残骸、町役場近く
大槌11
からみ合った漁網と車の残骸
大槌12
消防団員と破壊された消防署の跡地
大槌14
漁具の残骸
大槌13
食品加工工場の従業員と工場の跡地
大槌15
浴室の残骸
大槌16





 

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ほんとうの「今」を知りたくて、アメリカCNN、NBC、ABC、CBS、英国BBC、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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