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【 建設計画が相次ぐ巨大な防潮堤、日本の何を守る?! 】

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所要時間 約 8分

巨大な防波堤 - 最大の津波対策、それとも多大な労力・時間・金を費やす無駄な公共事業?
町の復興の前にまずは防潮堤建設ありき、その態度に終始する行政当局、そして首長
これから建設される防潮堤は、東日本大震災規模の地震に耐えるようには設計されていない

エコノミスト 2014年6月14日

堤防を乗り越える津波
何百という他の東北地方太平洋岸の小さな集落同様、今や陸前小泉は地図上にのみ存在します。
3年前、宮城県沖の太平洋を震源とする地震は、18,000人以上の命を奪い、福島第一発電所でメルトダウンを引き起こした巨大津波を発生させました。
その津波は陸前小泉にも襲いかかり、1,800人の住民のうち40人が溺死しました。

ほぼ7年おきに津波に襲われる国土で暮らす住民たちは、いつかまたあの恐ろしい災害が再び襲ってくるという事をわきまえています。

日本の行政当局は、その最も得意とする対策の実現させるために、ぐずぐずしてはいませんでした。
大量のコンクリートを流し込むことです。

東日本大震災の発生から数か月、早くも被害が最も大きかった福島、宮城、岩手3県の行政当局は数百か所に上る防波堤、防潮堤の建設を発表しました。
総経費は約1兆円、東北太平洋岸には、これまで以上の数の防波堤や防潮堤が築かれることになりました。
農林水産省と国土交通省が作成した報告書には、延べ35,000㎞に及ぶ日本の海岸線のうち、14,000kmの部分に堤防や防潮堤を築く必要があると記されています。

しかしこうした防波堤・防潮堤は論争の的になっています。
彼らは景観の破壊者である上、その効果のほどには疑問符がつけられることになりました。
2011年の東日本大震災の際、岩手県普代村では巨大な防潮堤と水門が津波を食い止め、村からは一人の犠牲者も出ませんでした。
一方、釜石市では1,600億円をかけて建設され、ギネスブックにも掲載されていた世界最大の防潮堤が津波の衝撃によって崩壊、その効果を信じて避難しなかった住民が多数犠牲になりました。
東北地方太平洋岸の堤防の約90%が、似たような運命の中に落ちこみました。
こうした事実から防波堤の存在を過信したために、かえって被害が拡大してしまったという批判も生まれまし
た。

防災庁舎遺構
東北大学の津波の専門家である首藤信夫教授は、次のように語りまし。
「防潮堤・防波堤が、襲ってくる津波をすべて食い止めるという保証などは無いのです。」

首藤教授は防潮堤・防波堤のすべてを否定している訳ではありませんが、再考が必要だとの立場をとっています。
こうした意見には他の多くの人々が賛同しており、その中に安倍昭恵現首相夫人も含まれていることは人々を驚かせました。
安倍首相はいくつもの防潮堤建設の案件に許可を与え続けていましたが、昭恵夫人は慎重な態度を保ちつつ、防潮堤はその地の観光資源と生態系を破壊してしまうとして、反対しています。

昨年12月、昭恵夫人は最大数の防潮堤建設が計画されている宮城県の村井嘉浩知事と会いました。
村井知事はあまりも多くの人命が喪われるのを見て、県民に二度とこのような思いをさせたくないと語りました。
これに対し昭恵夫人は「同じ見解を持つには至らなかった。」
と失望の意を表しました。

似たような柔軟性の無い対応は、陸前小泉の近くで生まれ育った大塚ひろ子さんも体験しました。
大塚さんは日本の中央省庁でなされた決定を覆すことは、不可能に近いと証言しました。
陸前小泉に建設されることになった防潮堤は旧来のものと取り換える形で造られ、その高さは14.7メートル、その費用は2億3,000万円です。

しかしこの防潮堤が守るべき町はすでに、内陸に3km移動することになっています。
「結局この防潮堤は田んぼを守ることになります。」
地元で教師を務める阿部まさひとさんがこう語りました。

3.1108
さらに住民たちを困惑させているのはこうした防潮堤が2011年に発生した東日本大震災規模の地震に耐えるようには設計されていないという事を、国土交通省が認めているという事です。
東日本大震災は1000年に一度という規模の巨大災害であり、どのような防潮堤を建設してもあの規模の津波を防ぐことはできない、国土交通省の広報担当者はそう述べています。

陸前小泉に建設される防潮堤は、東日本大震災の際に襲った津波の最大の高さの半分に及びません。

しかし防潮堤の存在は、状況をかえって悪化させる可能性があります。

2011年、大塚さんの母、そして彼女の兄弟の2人の子供たちは津波によって命を奪われました。
もし彼らが家の後にある丘の上に、距離にしてたった10メートル逃げたなら、命を失うことは無かったと大塚さんが語りました。
防潮堤が津波を防いでくれる、自然にそう考えた彼らは逃げることをしなかったのです。

http://www.economist.com/news/asia/21604200-tsunami-protectionor-boondoggle-builders-great-wall-japan?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227
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【 第一次世界大戦の未発表写真、その不気味な戦闘用機械 】

アメリカNBCニュース 6月26日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

WWI01
第一次世界大戦当時の未発表の一連の写真は、戦争について別の視点を提供しています。
ここにご紹介する写真は、ロンドンにある近代戦記録保管所が個人所蔵のコレクションを新たに入手したもので、いずれもこれまで発表されていませんでした。
記録写真には墜落した飛行機や船舶が撃沈される瞬間など、珍しいシーンも記録されています。
あるいは塹壕で兵士が生死の境をさまよっている瞬間に、司令部ではパーティが行われているといった戦争の冷厳な一面も伝えています。
2014年、第一次世界大戦の開戦から100年が経ちました。

1915年、西部戦線の近くで観測球の近くに立つ、ドイツ軍の将校。(写真上)

1918年、西部戦線の近くの民家の前で、死んだイノシシにまたがって座るドイツ空軍の将校。(写真下・以下同じ)
WWI02
1917年、西部戦線の前線近くで開催されたドイツ空軍の体操実技コンテスト。
WWI03
1918年、ドイツ国内で墜落したフリードリッヒシャフェン水上飛行機。
WWI04
1915年、ドイツ軍のUボートが連合国側の船舶を撃沈した瞬間。
WWI05
日時不詳、は、西部戦線上空を飛行する連合国側の航空機。地上に砲撃による無数の弾痕が見えます。
WWI06
1918年、西部戦線で突撃を試みてドイツ軍の機関銃によって殺され、塹壕の周囲に散乱するイギリス軍兵士の死体。
WWI07





 

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ほんとうの「今」を知りたくて、アメリカCNN、NBC、ABC、CBS、英国BBC、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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