【 9年に及んだアメリカの『秘密軍事作戦』史上最大量の爆弾を落とされた国民は今 】
ロイター/AP通信/米国NBC 2016年9月6日
9年間、米国はラオスで秘密の軍事作戦を行いました。
その結果、ラオス国民は1人当たり史上最大量の爆弾を落とされることになったのです。
ベトナム戦争が続いていた間、アメリカ空軍が投下した爆弾を門柱代わりに使っている自宅に立つ女性。2016年9月3日。(写真上)
1964年から1973年まで、米国軍用機は2億7000万発のクラスター爆弾を当時共産主義国家であったラオスに投下しました。
ラオスで不発弾処理にあたっている政府機関によれば、そのうち実に3分の1が不発弾でした。
結局、ラオス国民はアメリカが行なった『秘密の戦争』により、一人あたり世界史上最大量の爆弾を投下された国民になったのです。
2016年9月3日ラオス、バンナピア、アメリカ軍が投下した爆弾を持って撮影に応じた43歳の女性。(写真下・以下同じ)
ラオスを訪問したオバマ大統領は、米軍の不発弾によって20,000人以上が死傷した事実を受け、これから3年に渡り9,000万ドル(約91億円)を追加援助すると約束しました。
「アメリカは第二次世界大戦中にドイツと日本に投下した以上の200万トンを超える爆弾をこの小さな国に投下したのです。」
オバマ大統領は現地でこう語りました。
米国が投下した爆弾を半分に切って、プランターとして使われていた。2016年9月3日ラオス、バンナピア。
アメリカ軍によるラオス爆撃は北ベトナムに物資を供給していたホーチミン・ルートを破壊し、共産主義ゲリラを一掃する目的でCIAが計画し、実行されたものです。
その結果、ラオスには深刻な爪あとが残されることになりました。
所期の目的が達成できなくなったアメリカ軍は、ついには不要になった爆弾をラオス国内に大量に空からばらまいて捨てる行為までしてのけたのです。
2016年9月3日ラオス、カチョ。廃棄物の中から金属を収集中、不発弾が爆発し両手を失った28歳の男性。
2008年に300人だった不発弾による死傷者は2015年には42人にまで減少した一方、子どもの犠牲者の割合は増加しています。
2016年9月3日。回収されたアメリカ軍の爆弾の隣に座る仏僧の男性。
2016年9月3日ラオス、バンナピア、米軍のが投下した爆弾の外殻を柱に使った自宅の前に立つ少年。
2016年9月3日ラオス、ビエンチャン。不発弾によって足を失った人に提供するため、支援団体がストックしている義足。
現在40歳のこの男性は、10歳の時に家族と農作業をしている時に左手を失いました。彼はシャベルで地面を掘っていたため、爆弾の存在に気づくのが遅くなってしまったのです。彼の母親は爆発当時の事を鮮明に記憶しています。
「爆発音がして驚いて駆けつけた私は、そこに息子が倒れているのを見ました。
近くにいた村の人が走って息子を近くの病院に担ぎ込んでくれましたが、手を切断するしかないと言われました。私はただ泣く以外、何もできませんでした。
http://www.nbcnews.com/slideshow/u-s-bombs-scars-covert-war-still-raw-laos-n643386
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