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【 地震の恐怖と暮らす一人の英国人・イン・東京 】〈後編〉

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所要時間 約 7分

「まるで悪い夢を見ているよう、でも確かに現実…」「涙が止まらない…」

デイヴィド・マクニール / ザ・インデペンダント(英国)11月23日
(写真をクリックすれば、大きな画像をご覧いただけます)

宮城県南三陸町、2011年3月15日。


福島第一原発の原子炉のうちの一基の炉心が、メルトダウンした可能性があるとアナウンサーが伝えました。
爆発があり、1号機の原子炉建屋の屋根が吹き飛ばされ、放射性物質が環境中に放出されました。
福島第一原発の周囲10km圏内の約20,000人の住民に避難命令が出されました。
その日の夕方、当時の菅首相が避難区域が原発の周囲20kmにまで拡大されたと、日本の人々に向け発表しました。
私たちが行こうとしていたのは、まさにその場所だったのです。

現地から実況を伝えた日々を通じ、私たちの情報源は携帯電話を経由しての報道でした。
放射能汚染を恐れ、多くの外国人が東京を離れました。
3月17日なると、それまで事態を静観していた英国政府が、「東京及びその北方に居住する英国人」に対し、「離脱を検討するよう」勧告しました。
一方でアメリカ大使館は、90,000人に上るアメリカ市民避難の極秘計画を練り上げていました。
アメリカ太平洋艦隊、第七艦隊は艦船、航空機、人員を、東京周辺から公海上に移動させました。

なぜならアメリカ軍の放射能測定機器が、軒並に高レベルの放射能を検出していたからです。

宮城県気仙沼市役所、2011年3月15日


その時、なな子が書いたメモが残っています。
その中の一枚には、店頭から牛乳と水が消えた、と書かれています。
「まるで悪い夢を見ているよう、でも確かに現実なのだわ。片時も、あなたのことが頭から離れません。」
「すぐに帰ってきて!お願い!!!」「涙が止まらない…」

かすかな望みが、たった一筋だけ残されていました。
翌朝、私は緊急作業員と一緒にヒッチハイクで東京に戻ってきました。

いつもは騒々しくにぎやかな東京が、その日は血の気が失せたようになっていました。
停電が続き、食べ物もガソリンも不足する中、増え続ける死者の数、繰り返される余震と津波が再び襲う事への恐怖が、テレビを通し次々伝えられていました。


自衛隊の航空機が、過熱し暴走する福島第一原発のタングステン製の原子炉めがけ、100m上空から散水を試みました。

何千もの学校が閉鎖され、工場や企業は電気を節約するために、操業時間が短縮されました。
すでに何人もの友人が、無言で東京を去っていました。
大阪や香港、韓国、タイにまで避難した人もいました。

東京で暮らす外国人たちは概ねこうした対応を取りましたが、私の周囲では朝になると会社に出勤するサラリーマンの姿があちこちで見られるようになり、主婦の女性たちは牛乳や水を求めて夜明け前に買い物に出かけて行きました。
こうした危機が続いている間中、私の地元のレンタルビデオショップからは、借りていたDVDの返却が遅れている旨伝える電話が、毎日かかってきていました。

岩手県千厩町のスーパーマーケット、2011年3月18日


日が経つにつれ、月日が過ぎゆくうちに、徐々に気持ちが落ち着いてきました。
ルカは、6月に生まれました。
なな子、ルカの母は短期間の原発難民になりました。
彼女はおなかの中にルカを抱いたまま、大阪に一時避難しました。
幸いなことに、ルカにはどこにも異常が見られません。

ルカが生まれる前に起きた、いくつもの驚くべき、そして恐るべき出来事の痕跡は少しずつ視界から消えつつあります。

しかしルカはいつの日か、これらの出来事が引き起こした無残な結末を目にするかもしれません。
その時、私たちはまるで深い穴に落ち込むようだったその時の体験について、彼に話そうと思っています。
〈完〉

※「逆境の中のたくましさ」(Strong in the Rain)ルーシー・バーギンガム、デイヴィド・マクニール共著は11月30日、ポールグレーブ・マクミラン社より発売の予定です。
http://www.independent.co.uk/news/world/asia/a-tokyo-resident-on-facing-his-fear-and-living-with-earthquakes-8347583.html?origin=internalSearch
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【 武器、軍隊…その銃口が国民に向けられた時[Ⅱ] 】

アメリカNBCニュース 11月27日
(写真をクリックすれば、大きな画像をご覧いただけます)

2012年11月19日シリア、ホムス近郊。政府軍の攻撃で徹底的に破壊された市街。


2012年10月10日シリア。国境にあるオロンテ川を渡り、隣国トルコに脱出するシリア人の一家。


2012年9月20日シリア、アレッポ。政府軍の攻撃で負傷し病院で治療を受けたものの、ショックで動けなくなった女性。


2012年9月13日シリア、アレッポ。政府軍の空爆の後、娘を抱えたまま恐怖のため泣き出した女性。


2012年9月5日、政府軍の攻撃を逃れ、隣国ヨルダンの首都、アンマンに向け脱出を図る人々。


2012年7月25日シリア、アレッポ。政府軍の攻撃で重傷を負った5歳の男の子を病院に運ぶ男性。男の子はこの後死亡した。





 

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ほんとうの「今」を知りたくて、アメリカCNN、NBC、ABC、CBS、英国BBC、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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