星の金貨プロジェクト

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【 問われるべきは安倍首相の経済の実績「そんなものはあったのか?」 】《後篇》

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所要時間 約 7分

日本経済を根底から支えるべき民間需要は、弱いまま日本は再びデフレ状態に転落した
安倍政権が打ち出した『第4次産業革命』などは曖昧過ぎる目標、徹底的に批判されてしかるべき
日本経済の復活に必要なのは本格的構造改革、なのに電力自由化も農協改革もすべてが中途半端

タイムキーパー / エコノミスト 6月4日

安倍首相04
5月31日、自民党に比べると弱小な勢力しか持たない民主党と共産党は、公約していた消費税延期の原因を作ったものが経済政策としての『アベノミクス』の失敗だとして政府不信任動議案を国会に提出しました。
しかし衆参両院の過半数を制している自民党公明党は、直ちにこれを否決しました。

2013年に日本銀行が始めた大規模量的緩和策は、円安を実現し、企業収益を改善し、株価を押し上げました。
しかし日本銀行が今年1月マイナス金利を導入したにもかかわらず、円高の進行とともに株式市場は再び大きく値を下げることになったのです。
そして直近の日本銀行による景況調査の結果は、これまでの3年間と比較すると、各企業の景気見通しが悪化していることを示しています。
緩やかではありますが、日本は再びデフレ局面に落ちこんでしまいました。

日本経済四半期
日本経済は再び不況局面に転落したのではないかと言う懸念は、2016年第一四半期のGDPが年率1.7%拡大したというニュースによって幾分和らげられました。
しかしその背景には閏年により1日分の生産量が上乗せされたという理由もあります。
日本経済を根底から支えるべき民間需要は、弱いままです。

こうした日本経済の思わしくない傾向を覆すためには、日本は経済成長の妨げとなっている規制の網を取り払う、本格的な構造改革を実現させる必要があります。
安倍政権が4月に提唱した『新たな成長戦略』では明らかに役不足です。

消費マインドを元に戻し、ロボットやIT技術を駆使してあらゆる産業で生産性を高め『第4次産業革命』を達成するなどというのは実に曖昧な目標であり、徹底的に批判されてしかるべきものでした。

経済低迷03
日本経済の復活のために本当に必要とされる改革、たとえば上辺ばかりきれいごとを並べながら、農業用品を高値で売りつけるなどし、本来農民が受け取るべき利益をごっそりとさらっていく日本の巨大組織 – 農協の解体などはほとんど手つかずのままです。
4月1日に始まったばかりの電気市場の自由化の分野においても、構造改革に対する抵抗は日に日に強まり続けています。

シンクタンクの日本再建イニシアティブ理事長を務める船橋洋一氏は、自民党を支配する既得権勢力の強力な抵抗を前に、必要とされる構造改革はまるで神経痛で痛む足を引きずるようにゆっくりとしか進まないと語りました。

その一方、消費税増税を棚上げすることによって日本の財務省は、現在も膨張をつづけ、今やGDPの240%を超えて他のどの豊かな先進諸国よりも巨大になっている公的負債について、これ以上の増大を抑えることが出来るという事を世界市場に認めさせることは不可能になりました。

日本人口問題
安倍首相は、2020会計年度までに主要な財政赤字を削減する長期計画を実現させると誓いました。
しかし経済学者は、本当に実現できるのかどうかを疑っています。

しかし事実はそうであっても、投票まで2カ月を切った参議院議員選挙では今のところ自民党が勝利するだろうと見られています。

そして安倍首相の最終政治目標、衆参両院の3分の2の議席を確保し、日本国憲法の改定を実現すること、それはどうなるかはわかりません。
しかし自民党が単独で議席の過半数を制することは十分にあり得ます。
そうすればいくつかの政策では自民党よりも穏健な立場をとる連立与党の公明党の了承を取り付けなくとも、自民党単独で物事を決めることが出来るようになります。

強行採決
1989年以降、自民党は単独で衆参両院の過半数を制することはありませんでした。
日本の有権者は安部首相のすべての経済政策に対して疑いを抱いてはいるものの、反対する野党が安倍首相以上の手腕を発揮できるとも考えていないように見えます。

〈 完 〉
http://www.economist.com/news/asia/21699938-doubts-about-prime-ministers-economic-record-are-growing-postpone-and-be-damned?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227
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【 一瞬の自然現象をとらえる!世界空と夜の写真コンテスト 】《1》

アメリカNBCニュース 6月14日

sky01
第7回国際地球と空写真コンテストでは、夜空と下界の普段見ることが出来ない世界を体験できます。
このコンテストは世界中の誰でも、どんな年齢の人でも参加することが出来ます。
作品は天文学者、プロのカメラマン、そして報道カメラマンのからなる9人の審査員によって順位が蹴ってしました。

ノルウェー、ローフォテン諸島の山頂から撮影した『ローフォテンのオーロラ』。
今回のコンテストの最優秀賞、アレックス・コヌ撮影。(写真上)

「夜空の美しさ」部門第一位の『オーロラの軌跡』
中国のステファニー・イエ、ノルウェー北部で撮影。(写真下・以下同じ)
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イタリア、カルロ・ザナンドレア撮影『金だけが輝いている訳ではない』
イタリア北東部のトケビーゾ上空に輝くオリオン座。
sky03
オーストリアのニコラス・レーンメルト撮影『カメラマン』。
アイスランド、ストッキネスで撮影。
「私のカメラマン仲間はこの夜、風速25メートルの強風が吹く砂丘の上でたちまち凍えきってしまいました。その夜海岸線に沿って吹きつけたブリザードの威力は相当なものでしたが、彼を吹き飛ばすことはできませんでした。数分間だけ風が止んだ時、私たちはアイスランドのクリファツィンドールの背景に広がる素晴らしいオーロラを目撃することになったのです。」
sky04
http://www.nbcnews.com/slideshow/world-night-winners-show-sky-s-fragile-wonders-n592046

【 問われるべきは安倍首相の経済の実績「そんなものはあったのか?」 】《前篇》

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所要時間 約 6分

広島を訪問したオバマ大統領にぴったりと貼りつき、政権支持率の『支え』として利用した安部首相
最初の消費税引き上げ延期での解散総選挙も、今回の延期での同日選の回避も、すべては安倍首相の『自己都合』
『安倍首相の経済政策は、道を誤っている』という国民の印象を強くした、消費税引き上げの再延期

タイムキーパー / エコノミスト 6月4日

安倍首相04
あらゆる側面を考慮に入れた場合、5月は日本の安倍首相にとっては良い月になりました。
安倍首相は5月中旬、世界の中の富裕国のクラブ - G7サミットを三重県伊勢市で開催し仲間のリーダー達を手厚く接待しました。
これはうまくいきました。
安倍首相は1,300年前に建立された神社で彼らを出迎えました。

そのサミットの直後、バラク・オバマは広島を訪問した初のアメリカの現職の大統領になりました。
広島は1945年8月6日、アメリカが投下した原子爆弾により灰塵に帰しました。

あらゆる年代と階層の日本人がその場でオバマ大統領が行なったスピーチと、そして被爆者を抱擁するシーンに感銘を受けました。
安部首相はその場にぴったりと貼りつき、オバマ大統領が放つ政治的オーラの余禄を自分のものにしていました。

オバマin広島
おかげで安倍首相は6月1日、消費税率の8%から10%への引き上げを2017年4月から2019年10月まで延期するという発表に伴うはずの様々な責任を曖昧にしてしまうことに成功したのです。

安部首相がこうして自分は傷つかないように責任の回避をするのは2度目のことです。
最初は2014年11月でした。
安部首相の顧問たちは出来れば消費税の引き上げは回避できれば良いと考えていますが、2018年9月に自民党総裁としての任期が終了することを見越し、その後に消費税を引き上げるということで今回決着したものと思われます。

経済学的に言えば、消費税の引き上げの延期は慎重な判断であるようにも見えます。
日本の経済は不調に喘いでいます。

関係者の多くが2度目の消費税引き上げによって、日本経済が『腰折れ』してしまう事を懸念していました。
安部首相が2014年4月、消費税率を5%から8%まで率を上げたとき、日本経済は不況局面へと落ち込みました。

SEALDs 6
しかし今回の延期は、政治的には危険をともなうものです。
安部首相は消費税の引き上げを『必ず』実行すると約束していました。
未曽有の自然災害、あるいはリーマンショック規模の世界的規模の金融恐慌が発生しない限り、消費税の引き上げが延期されることは無いと語っていたのは、つい最近のことでした。

しかし未曽有の自然災害も世界的規模の金融恐慌も起きてはいません。
安部首相は伊勢志摩サミットで、居並ぶ先進国首脳に現在の経済状況がリーマンショック規模に等しい程危機的状況にあるという合意形成を図り、消費税の引き上げ延期を正当化しようと図りました。
しかし誰一人賛同した首脳はいなかったのです。

安全保障法案04
第一回目の消費税引き上げの延期を決定した時、安倍首相は『国民に信を問う』として衆議院を解散し、総選挙に打って出ましたが、形を変えた世論調査を要求したかにも見えました。
今年7月10日には日本の上院にあたる議席の半数の改選が行なわれる参議院選挙が予定されていますが、2度目の消費税引き上げの延期の決定に合わせ、再び衆議院が解散総選挙が行なわれる可能性がありました。
その『衆参同日選挙』の可能性は、日本国内では数週週間に渡り熱っぽく語られてきました、

しかし結局、伊勢志摩サミットの開催とオバマ大統領の広島訪問の実現により内閣支持率が50%を超えたにもかかわらず、安倍首相は衆議院の解散を見送ることにしました。
衆議院の全475議席中、与党自民党と連立する公明党は併せて326議席を占め、すでに3分の2以上を確保しています。
自民党の選挙担当部門は、もしすべてがうまくいかなかった場合は衆議院における有利な状況を失う危険性があると判断したのです。

経済低迷
もちろん消費税の引き上げは国民に人気のある政策ではありません、しかしそれを実行しない政治指導者は公約を反古にしたことになります。

消費税引き上げの延期は、『安倍首相の経済政策は、道を誤っている』という国民の印象を強いものにしました。

〈 後篇に続く 〉
http://www.economist.com/news/asia/21699938-doubts-about-prime-ministers-economic-record-are-growing-postpone-and-be-damned?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227
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【 アイウィットネス 】

ガーディアン 6月11日

Eye 1
エリザベス女王の90回目の誕生日を祝う近衛騎兵軍旗分列行進式の式典の最中、気絶してしまった一人の兵士。(写真上)

インドネシア、パレンバンの全寮制学校の壁。コーランが刻まれた木製パネルでできています。(写真下・以下同じ)
Eye 2
インド、ムンバイの市場で売るため、分解される大量の自動車の部品、ファン、フィルタや燃料ポンプなど。
Eye 3
インド、アッサム地方最大の都市ゴウハティのごみ捨て場、再利用できるものを探す人々と大アフリカ・ハゲコウ(コウノトリ科)
Eye 4
https://www.theguardian.com/world/series/eyewitness

【 原子力発電のさらなる削減へ – エネルギー計画の見直しを迫る日本国民の反対運動 】

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所要時間 約 7分

幅広い分野の日本国民の反対運動の前に、実現が難しくなった安倍政権のエネルギー基本政策
厳格になった法的規制、原子炉の老朽化という問題と向き合わなければならない原子力産業界

ロイター 5月27日

4号機原子炉建屋内
来年早々にも日本は原発への依存を大幅に減らす内容の新たなエネルギー計画を発表することになるだろう、日本政府の政策に通暁する関係者3者がロイターの取材にこう答えました。
ひとつには原子力発電に対する国民の反発が大きいままであること、そしてもうひとつは安倍政権が採択した現在のエネルギー計画が実現不可能であることによるものです。

2011年の福島第一原発の事故発生以降、日本国内ではほとんどの原子炉が稼働を停止しており、これを受け日本は再生可能エネルギーへの依存を高めると見られていますが、同時に価格の安い火力発電への依存も高めることにもなるでしょう。

日本国民は原子力発電の継続に強く反対していますが、原子力産業界と結びつきの強い経済産業省などは2015年に最終的にまとめ上げたエネルギー計画において、国内の全発電量の5分の1を原子力発電によって賄うとし、様々な分野から批判を浴びる結果となりました。

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日本国内では42基の原子炉が稼働可能ですが、すべて安全点検のため停止した後、現在わずか2基だけが稼働しています。
原子力産業界は現在福島第一原発の事故を受け、より厳格になった法的規制をクリアすることに加え、原子炉の老朽化という問題とも向き合わなければなりません。

関連する政府部門では現在、先に安倍政権が打ちだした2030年時点での原子力発電の割合は20%~22%とする目標を下回る10%~-15%という数値が議題になっていると、情報源の内の1者が語りました。

原子力発電への依存を下げれば、その分再生可能エネルギーへの依存を上げることになると語るのは、日本の再生可能エネルギー研究所の所長を務めるスウェーデンのチャルマース工科大学のエネルギー・環境問題を専攻するトマス・カベルガー教授がこう語りました。
カベルガー教授は度々日本を訪れています。
カベルガー教授は5月前半日本滞在中、ロイターの取材に次のように答えました。
「日本国内では原子力発電への制約が今後一層厳しくなるというのが考えられる現実的なシナリオであり、次のエネルギー計画においては再生可能エネルギーへの依存がかなり大きなものになるという事は、私にとっては、特に驚くべき事ではありません。

福井地裁判決
原子力発電を見直す厳しい視点は、原子力発電所1か所の停止を命じる裁判所の判断を引き出しました。

一方でスウェーデンの国営企業であるファッテンフォール社の役員も勤めるカベルガー教授は、技術開発が進み着々と他の発電手段に対する競争力をつけている再生可能エネルギー、そして長期間停止を続けてきた老朽化した原子炉を再稼働させることの難しさという事も、検討の対象になっていると語りました。

2011年に襲った巨大地震と巨大津波が福島第一原発の3基の原子炉がメルトダウンする事故の引き金を引く以前、日本は国内の電気需要の30%を原子力発電によって賄い、計画ではその割合を50%にまで引き上げることになっていました。

日本のエネルギー政策の策定に関わっている経済産業省の当局者のひとりは、次のエネルギー基本計画のスケジュールの作成のタイミングも、その中身がどういった傾向のものになるのか、まだ何も決まってはいないと語りました。
さらに経済産業省として原子力発電への依存率を下げることを検討しているのかという質問に対しては、現在のエネルギー基本計画の下で政策を進めるというスタンスに変更は無いと返答しました。

川内原発再稼働
▽ 増え続ける石炭使用量

原子力発電への依存割合を減らせば、当面は何かと問題視されている石炭火力発電への依存割合を高めることになりそうです。これからの数年間、二酸化炭素の排出量が最も多い火力発電所が、新たに40カ所で操業を開始することになっており、日本の二酸化炭素の排出量削減目標は危機的状況にあります。

こうした状況は液化天然ガス(LNG)に対する依存を一層大きなものにする可能性もあります。
日本はもともと世界最大の液化天然ガス(LNG)輸入国です。
LNGの使用量は福島第一原発の事故の影響を受け急増しました。
LNGは石炭に比べ効果ですが、ここしばらくは生活必需品の中では価格が低迷しています。

日本国内では原子力発電の継続に反対する国民が、いまやどの世論調査においても常に半数を超えているにもかかわらず、福島第一原発の事故発生から2年後の8月中旬、まず2基の原子炉を再稼働させ、以後少しずつ原子力発電の復活への道が広げられてきました。

アルジャジーラ抗議集会
原子力発電の目標値を下げることについては、それがどんなに小さなものであっても、政治的経済的に大きな力を持っている電力業界の抵抗に遭うでしょう。
しかし昨年までにすでに6基の老朽化した原子炉を含め、数か所の原子力発電所を廃炉にする計画が具体化しています。

昨年ロイターは、現在停止している日本国内の原子炉のうち、7基だけが今後数年のうちに再稼働することになるだろうと、独自の分析結果を公表しました。

http://uk.reuters.com/article/us-japan-nuclear-idUKKCN0YI06Z
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【6月7・8日の報道写真から】

アメリカNBCニュース 6月8日

week01
初めて外に出る準備をする5月11日に生まれたばかりのオランウータンの赤ちゃん。オランダ、レーネン、アウエハンツ動物園。(写真上)

シリア北部のアレッポ郊外で、政府軍機と見られる空爆により、がれきと化した建物の中で座り込む男性。(写真下・以下同じ)
week02
スペイン北部パンプローナの熱い一日、噴水の中でボールで遊ぶ少年。
week03
生後3週間のユーラシア鷲フクロウの赤ちゃん、ロシア、クラシノヤルスク市のロエフ・ルチェイ動物園。
week04
ラマダン月の初日、祈りを捧げる少年。インド、カシミール地方のスリナガルにある大モスク。
week05
http://www.nbcnews.com/slideshow/today-pictures-june-7-n587566

【 ヒロシマを訪問した初のアメリカ大統領、その重責を果たしたバラク・オバマ 】

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所要時間 約 18分

原爆投下は人道に対する犯罪の要件を充分に満たす / 第二次世界大戦終結のための切り札
アメリカの太平洋戦争退役兵士と日本の被爆者の減少は、日米関係に何をもたらすか?
きわめて残虐な破壊力を持つ核兵器が支配する現在の体制の破壊を!

エコノミスト 5月28日

オバマin広島
沿道に詰めかけた大勢の市民が見守る中、車中のオバマ大統領は広島市内を平和祈念公園に向けて走り抜けていきました。
そしてその場を去ってから1時間半の後、多数の市民が大統領が花輪を捧げた公園内の記念碑の前に集まりました。
オバマ大統領はアメリカが1945年8月6日に広島に投下した原爆の対価として、人間が支払わなければならなかった残酷この上ない結果を集めた原爆資料館(広島平和記念資料館)も初めて訪れました。

その後大統領は高齢になった被爆者たち、原爆が投下された運命の日広島市内に居ながら何とか生き残ることが出来た人々と直接面談しました。
被爆者は戦後70年以上を経た今、存命の人々は年々その数を減らしています。
歴史的場面をその目で確かめようと自転車に乗った子供たちと若い親たち、そして年配の人びとも争ってその場にやってきたため、それまでその場を支配していた重苦しい雰囲気は何か別の華やいだものに変わりました。

広島29
広島及びその3日後には長崎に原爆を投下し、多数の市民を殺害したことに対する正式の謝罪が行なわれなかったにもかかわらず、オバマ大統領の訪問は、広島市のみならず日本全国の人々が歓迎するところとなりました。

2回の原爆投下とその後に発生した放射線障害は20万人の命を奪いましたが、犠牲者の多くは一般市民でした。
原爆投下は人道に対する犯罪の要件を充分に満たすものと考えることができるかもしれません。
しかしこれまで長い間アメリカ人は、原爆投下により長期にわたり続いていた太平洋戦争の終結を早めることが出来たと主張してきました。
太平洋戦争における日本の立場は明らかに侵略者でした。

広島では日本人はオバマ大統領が謝罪を行なわないことについて仕方がないと考えているようでしたが、被爆者のひとりである角本寿昭さんは、オバマ大統領が無言の内にも謝罪していたことを望んでいると語りました。

広島12
人道的な見地並びに複雑な感情が交錯する状況の中で彼が置かれていた立場を思えば、爆心地におけるアメリカ大統領のスピーチは誰もが納得できる内容を備えていました。
「71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。」
オバマ大統領の演説は人間の暴力の歴史から、第二次世界大戦(太平洋戦争)のすべての犠牲者が被った被害にまで、きわめて広範な事実を網羅するものでした。
オバマ大統領は核兵器が持つきわめて残虐な力について「原子の分裂を可能にした科学の革命には、倫理的な革命も必要なのです」と語り、ロシアとアメリカが圧倒的多数を保有している核兵器について、世界が核兵器を保有しているという状況を破壊するよう求めたのです。

大統領はさらに普段は顧みられることの少ない原爆の歴史的事実にも触れました。
数千人の朝鮮半島出身者と数少ない中国人は西日本に連行され、そこで日本の戦争遂行のため身を身を焼かれるほどの強制労働に従事させられ、そして最後は原爆によって文字通り焼き殺されてしまいました。
そして大統領と肩を抱き合った被爆者のひとりである森茂暁氏は、原爆犠牲者の中に12人のアメリカ兵捕虜がいたことを歴史に留めようと長い間運動を続けてきました。

長崎03
オバマ大統領が広島に滞在していた間、ほとんどの場でその脇に日本の安倍首相がいました。
安倍首相は、まさにオバマ大統領が広島で行った演説に象徴されるような考え方を快く思わない日本の右派自民党のメンバーです。
自民党は、オバマ大統領の演説の中身が日本国内の反戦運動家、もっと厄介な原子力発電の継続に反対する人々、さらには日米の安全保障同盟に反対の立場をとる人々に対する支援となることを危惧していました。

一方左派の人々は、アジア全域で大日本帝国の軍国主義の犠牲になった人々に対する公平な理解を欠いたまま、原爆資料館や原爆遺構が狭い意味でのみ強調されていると考えています。

安部首相、そして考え方が近い人々は、日本は太平洋戦争についてすでに充分以上の謝罪を済ませたと考えています。
しかしアジア地区における中国の軍事的台頭を前に、日本にとってアメリカとの強い同盟関係は重要であり、さらに安倍首相にとって広島を訪れたオバマ大統領の脇に常に付き添う事は、自分の立場を強化するためのひとつの方法でした。

真珠湾攻撃
無警告の奇襲攻撃として歴史上悪名高く、アメリカが第二次世界大戦に参戦する直接のきっかけを作った1941年12月の真珠湾攻撃の舞台となったハワイで、安倍首相は今年度末、犠牲となったアメリカ兵に弔意を捧げることになるかもしれません。
日本の有名な知識人である船橋洋一氏は、そうなれば日本人とアメリカ人の和解に関する長いプロセスを一挙に進めることになると語りました。

時の経過も有利な材料になりました。
1995年、ワシントンにあるスミソニアン博物館が50周年の記念日に企画した原爆展と関連するイベントについて、第二次世界大戦の退役兵士と一部の議員がアメリカが日本に対し限度を超えた暴力を行使したかのごとく扱っているとして、博物館の館長を厳しく非難しました。
結局この展覧会は原爆を広島に投下したB29爆撃機エイノラ・ゲイの展示ブース、そして連合国を勝利に導いた各種の兵器、アメリカ式戦争遂行のノウハウと軍事力がどんなものであったを具体的に展示しただけに終りました。
それから21年が経過し、第二次世界大戦の退役兵士の生存者も減少し、原爆投下について総合的局面から考えるアメリカ人が多くなり、相反する評価が存在するようになりました。

広島17
オバマ大統領の核兵器の無い世界の実現という高邁な理想が広島を中心に世界にこだましているそのさ中、歓迎されざる不気味な化け物が隅の方から式典を全く違う目で見ていました。
キム・ジョンウン、国際社会から孤立した凶暴な北朝鮮政府の若き独裁者は広島から800キロメートル離れた場所で、配下の技術者と将軍たちに核兵器開発能力を強化するよう強く迫っていました。
その実現の日は近いというのが専らの観測です。
アメリカがすぐに核兵器の無い国家に変貌することはなさそうです。
そして日本は、その事実を強調することはありませんが、アメリカの核の傘の下にいる限り、それ程心配することもなさそうです。

http://www.economist.com/news/asia/21699707-hiroshima-welcomes-first-serving-american-president-visit-city-its-destruction?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227
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【 広島平和記念公園におけるバラク・オバマ大統領の演説 】(広島平和記念公園)全文

アメリカ大使館 2016年5月27日

オバマ広島訪問02
 71年前の明るく晴れわたった朝、空から死が降ってきて世界は一変しました。閃光(せんこう)と炎の壁によって町が破壊され、人類が自らを破滅させる手段を手にしたことがはっきりと示されました。
私たちはなぜ、ここ広島を訪れるのでしょうか。それほど遠くない過去に解き放たれた、恐ろしい力についてじっくりと考えるためです。10万人を超える日本人の男女そして子どもたち、何千人もの朝鮮半島出身の人々、12人の米国人捕虜など、亡くなった方々を悼むためです。こうした犠牲者の魂は私たちに語りかけます。彼らは私たちに内省を求め、私たちが何者であるか、そして私たちがどのような人間になるかについて考えるよう促します。

 広島を特別な場所にしているのは、戦争という事実ではありません。古代の遺物を見れば、人類の誕生とともに暴力的な紛争も生まれたことが分かります。人類の初期の祖先たちは、火打ち石から刃物を、木からやりを作ることを覚え、こうした道具を狩猟だけでなく、人間を攻撃するためにも使いました。どの大陸においても、原因が穀物の不足か、金塊を求めてか、強い愛国心か、熱心な信仰心かにかかわらず、文明の歴史は戦争で満たされています。帝国は盛衰し、人々は隷属させられたり解放されたりしました。その節目節目で、罪のない人々が苦しみ、無数の人々が犠牲となりましたが、その名前は時間の経過とともに忘れ去られました。

 広島、長崎で残酷な終結を迎えたあの世界大戦は、世界で最も豊かで最も力を持つ国同士の戦いでした。これらの国々の文明により、世界は素晴らしい都市と見事な芸術を得ることができました。これらの国々から生まれた思想家たちは、正義と調和と真実の思想を唱道しました。しかし、この戦争を生んだのは、最も素朴な部族の間で紛争の原因となったものと同じ、支配したいという基本的な本能でした。古くから繰り返されてきたことが、新たな制約を受けることなく、新たな能力によって増幅されました。わずか数年の間に、およそ6000万人の人々が亡くなることになりました。子どもを含む、私たちと同じ人々が弾丸を浴び、殴られ、行進させられ、爆撃され、投獄され、飢え、ガス室に送られて死んでいったのです。

 世界には、この悲劇を記録する場所がたくさんあります。勇気と英雄的な行為の物語を伝える記念碑、言葉では言い表せない悪行を思い起こさせる墓地や誰もいない収容所などです。しかし、空に立ち上るキノコ雲の映像の中に、私たちは、人間が抱える根本的な矛盾を非常にはっきりと思い起こすことができます。すなわち、人間の種として特徴付ける、まさにその火花、つまり私たちの思想、想像力、言語、道具を作る能力、人間を自然から引き離し、自分の思いどおりに自然を変える能力が、比類ない破壊をもたらす力を私たちに与えたのです。

 物質的進歩や社会的革新によって、この真実が見えなくなることはどれほどあるでしょうか。より大きな大義の名の下に、暴力を正当化する術を身に付けることは非常に容易です。全ての偉大な宗教は、愛と平和と正義に至る道を約束します。しかし、いかなる宗教にも、信仰を殺人の許可と考える信者がいます。国家というものは、自らを犠牲にして協力し、素晴らしい偉業を成し遂げるために人々を団結させる物語を語って生まれます。しかし、その同じ物語が、自分たちと異なる人々を弾圧し、人間性を奪うために何度も使われてきました。

 科学によって人間は、海を越えて通信し、雲の上を飛び、病を治し、宇宙を理解することができるようになりました。しかし、こうした同じ発見を、これまで以上に効率的な殺人マシンに転用することもできます。

 現代の戦争はこの真実を教えてくれます。広島はこの真実を教えてくれます。人間社会に同等の進歩がないまま技術が進歩すれば、私たちは破滅するでしょう。原子の分裂を可能にした科学の革命には、倫理的な革命も必要なのです。


オバマ広島訪問01
 だからこそ私たちは、この場所を訪れるのです。この町の中心に立ち、勇気を奮い起こして原爆が投下された瞬間を想像してみるのです。目にしている光景に当惑した子どもたちの恐怖を感じてみるのです。 声なき叫び声に耳を傾けるのです。私たちは、あの恐ろしい戦争、それ以前に起きた戦争、そしてこれから起こるであろう戦争の犠牲になった罪のない人々のことを忘れてはいません。

 単なる言葉では、このような苦しみを伝えることはできません。しかし私たちは歴史を真っ向から見据え、このような苦しみが二度と起きないようにするために、どのように行動を変えればいいのかを考える責任を共有しています。いつの日か、証人としての被爆者の声を聞くことがかなわなくなる日が来ます。けれども1945年8月6日の朝の記憶が薄れることがあってはなりません。この記憶のおかげで、私たちは現状を変えなければならないという気持ちになり、私たちの倫理的想像力に火がつくのです。そして私たちは変わることができるのです。

 あの運命の日以降、私たちは希望に向かう選択をしてきました。日米両国は同盟を結んだだけでなく友情も育み、戦争を通じて得るものよりはるかに大きなものを国民のために勝ち取りました。欧州諸国は、戦場の代わりに、通商と民主主義の絆を通した連合を築きました。抑圧された人々や国々は解放を勝ち取りました。国際社会は、戦争の回避や、核兵器の制限、縮小、最終的には廃絶につながる機関や条約をつくりました。

 しかし、国家間の全ての侵略行為や、今日世界で目の当たりにする全てのテロ、腐敗、残虐行為、抑圧は、私たちの仕事に終わりがないことを物語っています。人間が悪を行う能力をなくすことはできないかもしれません。ですから私たちがつくり上げる国家や同盟は、自らを防衛する手段を持つ必要があります。しかし私自身の国と同様、核を保有する国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければなりません。

 私が生きている間に、この目標を実現することはできないかもしれません。しかし粘り強い努力によって、大惨事が起きる可能性を低くすることができます。保有する核の根絶につながる道を示すことができます。核の拡散を止め、大きな破壊力を持つ物質が狂信者の手に渡らないようにすることができます。

 しかし、これだけでは不十分です。なぜなら今日世界を見渡せば、粗雑なライフルやたる爆弾さえも、恐ろしいほど大きな規模での暴力を可能にするからです。戦争自体に対する私たちの考え方も変えるべきです。そして外交を通じて紛争を回避し、始まった紛争を終結させるために努力すべきです。相互依存の高まりを、暴力的な争いではなく平和的な協力を生むものであると理解し、それぞれの国を破壊能力ではなく、構築する能力によって定義すべきです。

 とりわけ、私たちは人類の一員としての相互の結び付きについて再考すべきです。これも人類を他の種と区別する要素だからです。私たちは、遺伝子コードによって、過去の過ちを繰り返すよう定められているわけではありません。私たちは学ぶことができます。選択することができます。子どもたちに異なる物語、つまり共通の人間性を伝える物語であり、戦争の可能性を低下させ、残虐行為を受け入れ難くするような物語を話すことができます。

 私たちは、こうした物語を被爆者の方々に見てとることができます。原爆を投下したパイロットを許した女性がいます。本当に憎んでいたのは戦争そのものであることに気づいたからです。この地で命を落とした米国人の遺族を探し出した男性がいます。彼らが失ったものは自分が失ったものと同じだと信じたからです。私の国の物語は簡潔な言葉で始まりました。「万人は平等に創られ、また生命、自由および幸福追求を含む不可譲(ふかじょう)の権利を、創造主から与えられている」というものです。こうした理想を実現することは、国内においても、自国の市民の間でも決して容易ではありません。

 しかし、この理想に忠実であろうと取り組む価値はあります。これは実現に向けて努力すべき理想であり、この理想は大陸や大洋を越えます。全ての人が持つ、減じることのできない価値。いかなる命も貴重だという主張。私たちは、人類というひとつの家族の一員であるという基本的で必要な概念。これこそ私たちが皆、語らなければならない物語です。

 だからこそ、人は広島を訪れるのです。そして大切に思う人々のことを思い浮かべます。朝一番に見せる子どもの笑顔。食卓でそっと触れる伴侶の手の優しさ。ホッとさせてくれる親の抱擁。こうしたことを考えるとき、私たちはこの同じ貴重な瞬間が71年前、ここにもあったことを知ることができます。犠牲となった方々は、私たちと同じです。普通の人々にはこれが分かるでしょう。彼らはこれ以上戦争を望んでいません。科学の感嘆すべき力を、人の命を奪うのではなく、生活を向上させるために使ってほしいと思っています。

 国家が選択を行うとき、指導者が行う選択がこの分かりやすい良識を反映するものであるとき、広島の教訓が生かされることになります。

 この地で世界は永遠に変わりました。しかし、今日この町に住む子どもたちは平和な中で一日を過ごします。なんと素晴らしいことでしょう。これは守る価値があることであり、全ての子どもに与える価値があることです。こうした未来を私たちは選ぶことができます。そしてその未来において、広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たち自身が倫理的に目覚めることの始まりとして知られるようになるでしょう。



http://japanese.japan.usembassy.gov/j/p/tpj-20160527-02.html

【 強制収容所の中でヒロシマ原爆攻撃の第一報を聞いて : ジョージ・タケイ 】

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所要時間 約 12分

平和と外交による紛争解決の実現にこだわらなければ、私たちは想像もできない規模の大量破壊の恐怖を繰り返す
戦争はいつの時代にも罪のない人々を大量に死に追いやる、人類にとって最も過酷な状況を作りだす
力を合わせて軍備の縮小と核兵器の無い世界を実現し、原爆犠牲者と被爆者の願いを形にしよう

ジョージ・タケイ(日系アメリカ人二世の俳優) / ガーディアン 5月30日

広島14
広島に原爆攻撃が行なわれたその日、私たちは日系アメリカ人を実質的に投獄していた抑留キャンプの中にいました。
何が起きたかがわかると、私たちは希望を失うほどの悲しみに打ちひしがれました。

バラク・オバマ氏は5月27日、ヒロシマを訪問した史上初のアメリカ大統領になりました。
原爆を投下された広島は、アメリカが第二次世界大戦(太平洋戦争)の終了を早めるため世界史上初めて核兵器を使用した場所であり、市内全域が壊滅して70,000人が死亡、その後の2ヵ月間でさらに70,000人以上が死亡しました。
ヒロシマの犠牲者の中に、私の親族もいました – 私の母の姉妹とその5歳の子供です。
遺体は広島市内の運河に浮かんでいましたが、爆発によってほとんど見分けのつかないほどの火傷を負っていました。

このニュースに連合国側の市民は喝采を送りました。
彼らにとって、原爆攻撃の成功は第二次世界大戦の終了が早まることを意味していたからです。
さらには自分たち自身とその家族が、血なまぐさい戦場から解放されることを意味していたからです。

ヒロシマ02
しかし戦争が終了し平和が訪れた後に、広島への『原爆攻撃の成功』がどのような結果をもたらしたのか、本当に理解すべき時が訪れました。
人類はひとつの都市を完全に破壊しただけでなく、社会と文明を完全に破壊してしまう可能性がある新たな、そしてきわめて危険な時代に入ったのです。

攻撃の当日、私と家族はカリフォルニア州にあったトゥレレイクにあった日系アメリカ人の強制収容所に居ました。
真珠湾が日本によって奇襲攻撃を受けてから間もなく、西海岸にいた日系アメリカ人は米国政府の命令により強制収容所に投獄されることになりました。
収容所内では広島に関する虚実取り混ぜた噂とも事実ともつかない話が瞬く間に広がりました。
収容所では私たちは外部のあらゆるニュースから隔絶されており、公式の発表などに触れることはまったくできない状況に置かれていました。

母は広島にいる姉妹や親戚の安否を確かめようとヒステリックになっていました。
彼らの生死はまったくわからなかりませんでした。
母の家族は開戦直前、アメリカ国内からまさに広島に向かって帰国してしまっていたのです。

広島26
私たちはそうした噂を信じるべきかどうか、判断のしようがありませんでした。
それにたった一個爆弾を落としただけで、広島のような大きな都市を丸ごと破壊して市民を皆殺しにするようなことが果たして出来るのかどうかという疑問もありました。

しかし真実が明らかになると、私たちは恐怖と深い悲しみに打ちのめされました。
これだけの破壊をしてのけた爆発のものすごさを想像せずにはいられませんでした。

父は広島にいる親類は全滅したと考える方が良いとほのめかし、母は事実が何もわからないという状況の中で苦しまなければなりませんでした。
しかし一方で私たちは原爆の投下により私たちの強制収容所での暮らしに終止符が打たれるであろうこと、広島の犠牲が日系アメリカ人が自由を取り戻すための対価のひとつになるのだという事を考えていました。

広島32
それから70年以上が経ちました。
謝罪に関するいかなる意思表示が無かったとしても、オバマ大統領の広島訪問には、歴史的に重要な意義があります。
ヒロシマには未だ原爆の攻撃の的にされた人々が生き残り、その中には長い間放射線による障害に苦しんでこられた方々もいます。
被爆者と呼ばれている方々です。
彼らはこの地球上で二度と核兵器が使われないようにするための運動に、その後の人生を捧げて来られました。

オバマ大統領の広島訪問の中で、最も感動的な出来事はその被爆者の中のひとりとの出会いによるものでした。
私と同じ79歳という年齢の森重昭さんはオバマ大統領を抱きしめながら、シンプルに次のように語りかけました。
「今日という日はアメリカが広島に与えた最高の一日になりました。」
私も含め多くの日本人と日系人は、この一言に込められた深い意味を理解すると同時に、心からの賛辞を送ります。

真珠湾
広島・長崎に投下された原爆は戦争を終わらせましたが、真珠湾に無惨酷烈な攻撃を行って戦争を始めたのは日本であるという事実により、一部の人々は広島・長崎に原爆を投下されたことについていかなる意味意義があるか、より深く検討する以前に、米国政府が公式の謝罪を行うべきかどうかについて疑問に思っています。
私自身は立場は違っても、戦争はいつの時代にも罪のない人々を死に追いやる、最も悲しむべき出来事であるという認識だけは共有できれば良いと思っています。

被爆者が思い描いているように、過去の定義にこだわる代わりに私たちが焦点を合わせるべきなのは、核兵器使用が本当に過去の出来事で終わるようにすることです。

私はオバマ大統領が求める核兵器のない世界の実現という理想を共有します。
この言葉の意味するものをただの理想で終わらせてはなりません。

原爆実験第1号
拡散防止を実現するために必要な対応は一層厳しい制裁を課すことなのか、それとも条約等の拘束力を強化することなのかは、熱心に議論が行なわれているところです。
いずれの方法とをとるにせよ、各国各地の人々がより密接に協力し合わ打事を誓わなければなりません。
そして核兵器そのものの数を減らすことも大切ですが、それを保有したり手に入れようとする国の数を減らすことも重要です。

こうしたことから私は日本、韓国、サウジアラビアが核兵器保有国の仲間入りをし、国の防衛に核兵器を装備すれば良いという最近のドナルド・トランプの提案を心から嫌悪せざるを得ません。
もしそんなことをすればこれらの国々が核兵器使用への第一歩を踏み出すことになるだろうという見解を私は支持します。
新たに核兵器を保有すれば、その国は未知の、そして一度動き出したら誰も止められなくなる危険を抱え込むことになるでしょう。

空襲01
私はこれまでもしばしば訪問したことがある広島に、つい最近も行ってきました。

あの灰燼の中からこれ程の近代都市へと生まれ変わった広島市を見ると、人類の技術的才能がこの70年の間にどれ程進歩したかを改めて思い知らされる一方で、相変わらず紛争の解決に戦争という手段を取りたがり、より強力な武器の開発に狂奔する人類の現実を思わないわけにはいきません。

平和と外交的解決の実現にこだわり続け、その実現に具体的に取り組まなければ、私たちは想像もできないスケールで量破壊の恐怖を繰り返すリスクを冒しつづけることになります。

どうかみなさん、軍備の縮小と核兵器の無い世界の実現のため、力を合わせて改めて取り組みを行うことにより、広島原爆の犠牲者と被爆者の方々の願いを現実のものにしましょう。

http://www.theguardian.com/commentisfree/2016/may/30/hiroshima-family-members-among-dead-george-takei
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【 硫黄島の星条旗に関わるミステリー 】《3》

アメリカNBCニュース 5月30日

硫黄島03
カリフォルニア州グラス・バレーで暮らすダスティン・スペンスのような硫黄島の歴史家にとって、消えてしまったすり鉢山の星条旗の写真は探求すべきテーマの一つになりました。
「将来的にはすり鉢山の山頂でバーンズ上等兵が撮影した写真が発見されることになるだろう、私はそう考えています。」
「有名な写真を撮影したローゼンタールが、すり鉢山の山頂にいるバーンズ上等兵の写真を撮影している訳ですから。彼が何も撮影しなかったとすることの方が不自然であり、私たちが未だ見つけることができずにいるという事のほうが真実だと思います。」

硫黄島05
バーンズ上等兵とバーマイスター軍曹はローゼンタールに数時間先んじて標高170メートルのすり鉢山の山頂に居て、後に有名になった大きな星条旗が打ち立てられる以前に掲げられていた小さな星条旗の周りでポーズをとる海兵隊員の写真を撮影していました。
彼らは山頂付近にとどまり、そこにローゼンタールと別の海兵隊のカメラマン2名が加わりました。
ボブ・キャンベル上等兵とビル・ゲナウスト軍曹、さらに氏名不詳の沿岸警備隊カメラマン1名です。
ゲナウスト軍曹はこの時、動画も撮影しました。

硫黄島06
1968年3月16日のニューヨーク・ミラー誌に掲載されたバーンズ上等兵の寄稿文の一部が、この日の彼の行動について最も完全に証明していると判断されます。
「すり鉢山の山頂に大きな星条旗が掲げられた時、私とジョー(ローゼンタール)は並んでそのシーンの写真を撮影しました。」
「有名になったローゼンタールの写真は私の写真と一緒にグアムにあった海軍検閲局に送られ、ともにそれぞれのもとに戻されました。」
バーンズはさらにこう書きました。
「そのとき、世界的に有名になった一枚の写真を選び出したのはマレイ・ベフェラーという名の写真コーディネーターでした。」

硫黄島07
ベフェラー氏は1968年8月に亡くなりましたが、息子のマイク・ベフェラー氏はNBCの取材に対し、彼の父親はバーンズの写真のその後の運命には直接関わってはいなかったはずだと語りました。
「私は父がローゼンタールについて語るのは聞いたことがありますが、ジョージ・バーンズという名前は一度も耳にしたことはありません。」
父が軍関係者が撮影した写真を見たかどうかははっきりしません。父はAP通信の写真を扱うのが仕事でしたから。」

ローゼンタールの『スクープ写真』の扱いについて戦場カメラマン協会は、アメリカ軍当局の官僚体質を批判する記事を機関紙に掲載しました。

「同じ題材を撮影しながら、バーンズだけが不運を背負い込むことになりました。彼の写真は軍の検閲によって故意に発表が遅らされ、ローゼンタールの写真だけが歴史的な評価を得ることになってしまいました。」
署名なしの記事にはこう書かれていました。
しかしこの記事中にも、バーンズの写真がその後どうなったのかについては書かれていません。

硫黄島08
「バーンズがすり鉢山頂上で撮影したし一連の写真にはローゼンタールの有名な写真に似たものがあったはずですが、軍のカメラマンたちの写真にはそうしたものは一枚も見当たらないのです。」

http://www.nbcnews.com/news/us-news/star-spangled-mystery-what-became-lost-iwo-jima-flag-raising-n581741

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ほんとうの「今」を知りたくて、アメリカCNN、NBC、ABC、CBS、英国BBC、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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