【 ハドソン川のフクシマ 】《1》
2008年の国際原子力機関(IAEA)の警告を無視して、福島第一原発の事故を招きよせた日本の原子力行政
国際原子力機関(IAEA)は日本の原発耐震基準は時代遅れであり、国内すべての原発が巨大地震には耐え切れないと警告
甲状腺ガンというのは稀な小児疾患であるにもかかわらず、ベラルーシ、ロシア、ウクライナでは2005年までに7,000人の子どもたちに発症を確認
エレン・カンテロウ、アリソン・ローズ・レヴィ / ル・モンド・ディプロマティーク
4月1日
その日は気持ちの良い春の一日になるはずでした。
しかし原子炉の制御室にいた操作員たちがセキュリティ・システムのスイッチを切り、システム試験を行うと決めたとき、運命はたちまち暗転してしまったのです。
安全装置の作動を止めるとほぼ同時に、原子炉を据え付けていた床が不気味な振動を始めました。
次の瞬間巨大な火柱が立ち、重量が1,200トンもある原子炉の蓋が吹き飛ばされました。
こうして何トンもの大量の放射性ラジウムと黒鉛が高さ1,000メートルの高さにまで吹き上げられ、原子力発電所の周囲一帯何マイルにもわたって漂い始めたのです。
最初に駆け付けた消防隊員たちが運んできた大量の水は、原子炉が吹き上げる炎を鎮火させるためには全く無力でした。
原子力発電所の職員たちも放射線防護服を身に着けていなかったため、その夜のうちに8人が放射線障害のため死亡しました。
そして続く一カ月の間に何十人もの人々が命を落とすことになったのです。
1986年4月26日の出来事でした。
そしてこの日史上最悪と言われることになった原子力発電所事故、ウクライナ共和国内のチェルノブイリ原子力発電所のメルトダウン事故が始まってしまったのです。
チェルノブイリ原発事故は、国際原子力・放射線事象評価尺度において「レベル7」に分類される事故になりました。
それは広島に投下された原爆の100倍の放射能を周辺環境に放出しました。
世界保健機構はチェルノブイリの事故収束作業に従事した350,000人の労働者のうち、約240,000人が原発の周囲30マイル(約48キロ)圏内で最高度の放射線被ばくをしました。
これによっていったい何人が放射線を原因とするガンを発症したのかは不明ですが、国際原子力機関(IAEA)の推定は、4,000人でした。
この数字に対し2006年グリーンピースは事実と違い過ぎると反論、ウクライナとベラルーシではすでにチェルノブイリ事故が原因で16,000人が事故のために死亡し、今後さらに140,000人が死亡する恐れがあるとの見解を公表しました。
甲状腺ガンというのは小児疾患の中では稀にしか発生しないはずですが、ベラルーシ、ロシア、ウクライナでは2005年までに7,000人の子どもたちが甲状腺ガンと診断されたのです。
2011年3月、チェルノブイリの大惨事のちょうど25年後、マグニチュード9.0の地震に見舞われた日本の沖合で巨大な津波が発生し東北沿岸部に殺到しました。
この津波は福島第一原子力発電所の3基の原子炉のメルトダウンを引き起こしました。
この福島第一原発事故が放出した放射能の雨は、はるか遠くのアイルランド国内でも観測されました。
実は2008年、国際原子力機関(IAEA)は日本政府に対し、日本国内の原子力発電所の耐震基準は時代遅れであり、すべての原発が巨大地震には耐え切れないと警告を行っていたのです。
その中に福島第一原子力発電所が含まれていました。
設計上福島第一原発が耐えられるのは、マグニチュード7.0までの地震だったのです。
しかしこの時日本政府当局は、この警告に対し何の対応もとりませんでした。
(2012年12月の政権担当は麻生内閣)
事故が発生すると福島第一のオーナーである東京電力は、当初この発電所の設計・建設に携わっていたショー建設( Shaw Construction )と再び契約し、福島第一原子力発電所の再建を依頼したのです。
▽ニアミス、放射能漏れ、洪水
チェルノブイリでも福島でも、大惨事を引き起こした発電所の周囲は今ここにいる私たちが生きている限り、人間の生活に適さない場所になってしまいました。
いずれの場所においても実際にその巨大災害が現実になるまで、これほどの問題に発展するとあらかじめ予測していた人はほとんどいませんでした。
世界に先駆けて1945年以降原子力(核エネルギー)を実用化していたアメリカ合衆国でも、戦争中においても平時においても、チェルノブイリやフクシマ同様の巨大災害が起きる可能性があったにもかかわらず、社会一般の認識は変わらないものです。
アメリカではそんな事故が起きるはずはない…
しかしハドソン川が大きく湾曲する場所が潜在的に持っている危険は、チェルノブイリやフクシマと比べ決して小さいものではありません。
最悪の場合、周辺住民2,000万人の安全が脅かされる可能性があるのです。
- 《2》へ続く -
http://mondediplo.com/openpage/a-fukushima-on-the-hudson
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【 ISISの無差別殺戮が作り出した母子家庭 】《1》
エリン・トリーブ、ソフィア・バルバラニ / アメリカNBCニュース 5月7日
夫をISISに殺されたヤジズ教徒の女性たちは孤独に苛まれる生活の中、社会で女性一人の力で生きていくことの限界にも直面させられています。
それでも彼女たちは母親として子供たちを守っていくことを改めて心に誓い、自らの勇気を奮い立たせようとしています。
イラク北部の不毛な大地に広がる難民キャンプには、シンジャル地方から逃れて来たヤジズ教徒の女性たちがいます。
父権的なイスラム国社会にあって、女性一人の力で家庭を守っていくことは大きな負担ですが、彼女たちはそれを何とかやりこなそうとしています。
イラク最大のヤジズ教徒の居住地であったシンジャル地方は2014年イスラム国(ISIS)に支配されると、無差別大量殺人が始まりました。
こうして他の地のイラク人女性同様、大量の母子家庭が作られてしまったのです。
この時イスラム国(ISIS)支配地域で殺された男性は5,000人以上と見られていますが、何千人もの女性と子供たちが誘拐され、人身売買されました。
難民キャンプのシングルマザーたちは将来を見通すことが出来ません。
経済的に不安定なことに加え、父権社会での未亡人という立場には大きな制約がついて回るのです。
23歳の母親、ハイファ・ハジ・フディダ。彼女が夫を殺されたのは21歳の時でした。(写真上)
夫のいない女性たちは、男性の親類が同行しない限り移動の自由もありません。
就職する機会も無く、従って家族を食べさせることも極めて困難です。
難民キャンプには公営のものとそうでないものがありますが、女性が非公営キャンプで生活することには大きな危険が伴います。
夫を失ってからというもの、その生活は困難を極めていますが、女性たちは共通の生きがいを守ることを心の支えとして生きています。
それは子どもたちです。
女性たちは異口同音にこう語りました。
「私を支えているのは子どもたちです。私は子どもたちを心から愛しています。子供たちを手放すことなど考えられません。」
ハイファ・ハジ・フディダと2歳になる娘のエリン。(写真下)
http://www.nbcnews.com/slideshow/widowed-isis-yazidi-women-find-strength-motherhood-n569466
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