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コバジュン・ミニ旅しっかり旅 《第1回》羽黒山神社(山形県鶴岡市)悪戦苦闘編

読了までの目安時間:約 9分


4月22日日曜日、仙台市内の自宅を出て山形県鶴岡市にある羽黒山神社に行ってきました。

折しもこの日仙台市内では羽生結弦くん on the Parade が行われる予定、事前に公表されていた仙台市内中心部の通行止めマップを見て、「こりゃ大変なことになるな。」
と思っていました。
羽生くんを見たい気持ちもありましたが、我が家の家族は全員人混みが苦手、その人気の高さを考えると仙台市内はかつてない混雑が予想されました。
そこで私と妻、娘と3人は羽生くんには失礼申し上げ、一路東北自動車道から山形道をひた走り、羽黒山神社へと向かいました。

この日鶴岡市内は天気予報では晴天、最高気温22度の予報。
結果すれば26度前後まで上がったのですが、そのことが後でちょっとしたことにつながります。

羽黒山は高速道路の山形自動車道・庄内あさひインターを出て20分ほど走った場所にあります。
右手に雄大な月山の山容を眺めながらのどかな丘陵地帯を走ると、やがて右手前方の開けた斜面に大きな赤い鳥居が見えてきます。
仙台宮城インターには入ってから約2時間、羽黒山到着です。

羽黒山神社の参道は4,227段の石段を昇らなければならないことで有名です。
羽黒山は山伏修行で有名で、修験者は麓にある御師の宿に泊まり、毎日この石段を上り下りして修行に励みます。
先ほどの鳥居をくぐると道は間も無く両脇は建物が密集した景色に変わり、道幅も狭くなります。
程なく両脇に独特の構えの御師の宿が幾つも現れ、他のどこにもない独特の雰囲気が醸し出されます。

鳥居をくぐって約5分ほどで、羽黒山神社の参道入口に到着です。
公営の無料駐車場がありますが、止められるのは20台程、休日はすぐに満車になるので注意が必要です。
(停められない場合は山頂まで車で行き、有料道路兼駐車場に車を置いて誰にも迷惑をかけないようにしましょう)
私たちが到着したのは午前9時30分、20台目でした。
一台分のスペースには大量の雪が溶けずに残っており、車を停めることはできません。

さて山門に向かいましょう。
羽黒山の参道には有名な五重塔があり、看板には『徒歩10分』とあります。
参道を登りきるには先に書いた通り4,227段の石段を登る必要があり、ネットでガイダンスを見ると『所要時間約45分』とあります。

我が家は同じ顔ぶれで昨年秋にこの参道に挑戦したことがあるのですが、妻も娘も「もうこりごり」というのが正直な感想で、今回は私だけが挑戦することにしました。
もっとも前回は登りきったは良いが3人ともヘトヘトで、山頂の駐車場でタクシーを呼んでいただき、自家用車がある駐車場まで送り届けてもらいました。
今回は妻と娘は五重塔を見た後は、駐車場に戻って車で山頂に向かい、本殿の前で待ち合わせることにしました。

山門をくぐりました。時計を見ると9時58分です。
お客さんを案内したと思しきタクシーの運転手さんが
「あー、こえーこえー(強い強い)」
と言いながら山門を出てきました。どこまで行ってもどってきたのでしょう?
羽黒山参道の石段は入るとまず下りになります。
この参道の上り下りがきついのには理由があります。
石段の高さも幅もまちまちなのです。
一段ずつでは小刻みにすぎるし、一段飛ばしするには強靭な足腰が必要です。
なんとも小面憎い作りではあります。

その石段を30〜40段下ると路は直角に右に曲がり、すぐに水量の豊かな渓流にかかる橋を渡ります。
右手には岩肌を伝い落ちる滝が見え、お堂があります。
ここで一緒に来た妻と娘と一旦別れ、私は立ち止まることなく参道を登り始めました。
5分も経たないうちに今度は左手に五重塔が見えてきました。
法隆寺五重塔は広い境内にすっきりと立っている印象がありますが、羽黒山五重塔は薄暗い杉木立ちの中にひっそりとした佇まいを見せ、幽玄な空気に包まれて建っています。
建物の表面の木肌も良い感じに風化し、いわゆる観光資源とは別の趣を持っています。

ここを過ぎると、参道はいよいよ勾配がきつくなります。
木立ちに囲まれた石段をひたすら登り続けます。
この日の私のいでたちはストレッチの効いたゴルフウェアにアンダーアーマーのカリー(バスケットボール用)シューズ。ランニング用と比べてソールが固く、歩くのにはどうかなと思いつつも、登山用シューズを持っていない私は、不揃いの石段から足首を守るためにこの靴を選びました。

少しずつ、前を行く人を追い越しながら登り続けました。
まずは軽登山のスタイルをした3人連れの男女。
続いては東南アジア系の男性3人。
(この3人、驚いたことにサンダル履きでした)
そして杖をついた高齢の女性が2人で参道を登っていたのには少し驚きました。
(10段登っては休み、といったペースでしたが、着実に上に向かってました)
若いカップル(女性の方が男性になにやらクレームをつけてました)に、若い親子3人連れ。
ずいぶん背の高い女性の後ろ姿が見えましたが、追い抜くときに聞こえてきたのはフランス語の会話でした。
Je suis un japonais.(私は日本人です)というフレーズは思い出しましたが、「あなたがたはフランスの方ですか?」というフレーズはついに出てきませんでした。

15分過ぎた頃からはどんな余裕も無くなりました。
コンディションを考えて持参した大高酵素のドリンクが功を奏しました。
以前私は夏場のゴルフなどでは市販のスポーツドリンクを1リットル以上飲んでいたのですが、大高酵素ドリンクに変えてから体力の回復が著しく改善しました。
一言で言えば、すごく疲れにくくなりました。
このドリンクは大高酵素60mlにポッカレモン40ml を加え、炭酸水400ml で割って、500mlのペットボトルに入れたものです。
冬場は炭酸水の代わりに400mlのお湯で割ったものを容量500mlのマグボトルに入れてゴルフのときなど持ち歩くのですが、すでに気温が22度を超えたこの日は炭酸割の方を持参して正解でした。

脈拍数が上がり息も上がり、5分ずつ登っては一息入れて大高酵素ドリンクを飲むのを繰り返しました。
途中左手に『鳥海山遥拝』という案内板が見え、歩いて1分も行けば絶景が見えそうな場所がありました。
あれは確か男鹿半島からだったと思いますが、よく晴れた日に鳥海山そして月山が連なる雄大な景色を見たことがあります。
鳥海山の優美な山容と月山の複雑な姿が重なり、そこに日本海の青さが映える景色は一生の記憶になっています。
しかし今はたとえ1分といえど、寄り道する余裕などありません。
待ち合わせは40分後、体を前に傾け、頭の重さで足が前に出るようにして(効果のほどは不明ですが)石段を登り続けました。

急勾配と静かな山道の組み合わせが何度か続き、やっと山頂の鳥居が見えてきました。
残り30段、20段、10段…不揃いの石段がいよいよ急勾配になり、息の上がりきった60歳11ヶ月の体を責め立てます。
やっと黒塗りの鳥居の下にたどり着きました。

さっき入口の山門ですれ違ったタクシーの運転手さんが立っていました。
「お疲れさんねえ。おらい(私)のお客さん、まだ来ねんだやー。」
とねぎらってくれました。

到着時刻はちょうど10時30分、所要時間は32分ほどだったことになります。
ひさびさに全身から汗が吹き出す運動をしました。
スボンのお尻のポケットから iPhone 8 を取り出し、万歩計を確認して驚きました。
歩数5000歩はまだしも、「上った階数 84階」
と表示されているではありませんか。
きついわけだわ…

【 市民の権利を歴史に刻み続けた生涯:マーティン・ルーサー・キング・ジュニア 】《1》

読了までの目安時間:約 3分

アメリカNBCニュース 2017年1月16日

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バプティスト派キリスト教の牧師であったマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、人種的な正義の実現を飽くまで平和的手段にのみ訴え続け、市民権(公民権)運動を前進させました。
しかし彼は1968年、暗殺という最悪の暴力によって生涯を終えることになってしまいました。
1955年満員になったホールト通りのバプティスト教会で演説するキング牧師。(写真上)

1956年5月アラバマ州モントゴメリーの自宅でくつろぐキング牧師。(写真下・以下同じ)
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1956年2月23日ラルフD.アバーナシー牧師とともに、モンゴメリー市警察の事情聴取を受けるキング牧師。
市民権運動を行っていたキング牧師は、バス・ボイコット運動を指導したかどで大陪審によって告発され逮捕されました。
バス・ボイコット運動◆黒人の地位向上運動の一環として行われたバスのボイコット運動。1955年12月1日、白人客に席を譲らなかったために黒人女性Rosa Parksが逮捕されたことを転機に、Martin Luther King Jr牧師らの呼び掛けで同月5日に実行された。当時、バスは黒人差別行為の温床の一つであった。( アルク http://eow.alc.co.jp/search?q=book より)
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1956年3月22日モンゴメリ市の裁判所から出てきたキング牧師にキスする妻のコレッタ。
市バスをボイコットするという『陰謀』を企てたとして陪審員は彼を有罪にしましたが、裁判官はキング牧師を500ドルの罰金に処するという判決の審理を中止にする決定を下しました。
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1957年5月17日ワシントンD.C.にある国立モールで、自由を勝ち取るために集まった数万人の群衆に向けて演説をするキング牧師。この日集まった群衆の数は25,000人と推定され、今日に至るまで最大規模の市民権デモンストレーションとして歴史に記録されることになりました。
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http://www.nbcnews.com/slideshow/martin-luther-king-jr-n707546

【 2016年報道写真50選 】《5》

読了までの目安時間:約 3分

【 2016年報道写真50選 】《5》

アメリカNBCニュース 2016年12月21日
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10月26日フランス、ノルマンディー地方のカレーにある『ザ・ジャングル』と呼ばれる難民キャンプから上がる煙を丘の上から眺める難民たち。
難民は貧困や戦争から逃れてヨーロッパに流れ込んでそのまま英国に渡ろうとしたものの、海峡を越えることが出来ずにこの地に臨時のキャンプ村に滞在を続けています。
しかしあまりに不潔な環境が人道問題化するのを見かねたフランス政府が大規模な撤去作業に乗り出しました。

12月19日にトルコ、アンカラの写真ギャラリーでアンドレイ・カルロフ・ロシア大使を射殺した後に叫ぶ銃撃犯の男性。
襲撃したのはアンカラの22歳の機動隊員で、射殺死体の脇でシリア内戦におけるロシアの干渉を厳しく糾弾しました。
彼はこう叫んでいました。
「アレッポを忘れないでくれ! シリアを忘れないでくれ!」
この後駆けつけた警察と銃撃戦になり、その場で射殺されました。
year27
7月9日のイラクのカラダで起きたトラックを使った自爆テロの後、治療を受けた後父親に抱かれた4歳の女の子。
イスラム教の休日に母親と一緒に買い物に出た後、二人はテロに巻き込まれ大やけどを負いました。
year28
7月6日、ナイジェリア北部、イスラム教の断食月、ラマダン終了を祝い衛兵と楽隊を引き連れてパレードする現地の土侯。
year29
10月24日、イスラム国(ISIS)からイラク第2の都市モスルを奪還する政府軍の軍事作戦が開始され、近くのカイヤラー郊外に集団で避難した住民たち。
イラクで2番目に大きな都市モスルはかつて、多数派のスンニ派イスラム教徒のアラブ系住民に加え、クルド人、シーア派イスラム教徒、キリスト教徒とヤジズ教徒などが共存する最も多文化的な場所でした。
彼らは渾然一体となって独自の料理や文化を持つ経済圏として繁栄していました。
しかしISISの支配により、モスルは飢えと恐怖の代名詞と化してしまったのです。
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http://www.nbcnews.com/slideshow/year-pictures-2016-n697021

【 2016年報道写真50選 】《4》

読了までの目安時間:約 3分

アメリカNBCニュース 2016年12月21日

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8月17日山林火災の後、カリフォルニア州キーンブルック近郊のライトル・クリーク通り脇の丘、で、尚も燃え続ける付近の山。
不規則で移動速度が極めて早い延焼により、南カリフォルニアでは90平方キロ以上の山林が焼失、数千人が避難する騒ぎとなりました。(写真上)

1月19日イラク国境に近いトルコ南西部のクルド人が暮らす町シロピで、破壊された家屋の中に立つ子どもと母親。(写真下・以下同じ)
トルコ政府は国内南西部の市街地から、民族の分離独立を目指すクルディスタン労働者党の勢力を一掃するため、夜間外出禁止令を出した後一斉攻撃を行いました。
year22
8月17日シリア北西部のアレッポに対するアサド政権側の空爆の後、倒壊した建物の中から救出され、救急車の中で搬送を待つ5歳の男の子オムラン・ダクニーシュ。
倒壊現場からオムランと家族を最初に救出したのはボランティアの救助隊ホワイト・ヘルメットでした。
血だらけのまま呆然とする男の子の姿は、戦争で荒廃したアレッポで暮らす恐怖を象徴する写真として、ソーシャルメディアを通し世界中に波紋を広げました。
year23
11月20日にアメリカ、ノースダコタ州のキャノン・ボール郊外のロック・インディアン居留地のそばで、ダコタ・アクセス・パイプラインの建設計画への抗議デモを行う人々に放水する警察。
8月以降イリノイ州にある製油所まで石油を送る総工費4,460億円のこのプロジェクトは4州の数千人の住民が影響を受けることになります。
ノースダコタとサウスダコタの州境にまたがるインディアン居留地の人々は、飲料水と彼らの聖地が汚染されるとして激しく反対しています。
この争いは現在法廷に持ち込まれていますが、裁定は2017年の1、2月前後になる予定です。
year24
4月28日シリア、アレッポで24時間近く続いた包囲攻撃と空爆により、負傷し、ほこりまみれになった女性。この攻撃では市民60名以上が死亡しました。
year25
http://www.nbcnews.com/slideshow/year-pictures-2016-n697021

【 2016年報道写真50選 】《3》

読了までの目安時間:約 4分

アメリカNBCニュース 2016年12月21日

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2016年7月16日、トルコ、イスタンブールのボスポラス海峡大橋でクーデターに失敗し降伏する兵士たち。
エルドアン大統領の休暇中を狙った軍のクーデター未遂は7月15日深夜首都アンカラとイスタンブールに戦車が侵入して開始されました。
夜通し爆発や発砲が続き、少なくとも270人が犠牲になりました。
トルコ政府はクーデターがアメリカ国内に拠点を構えるイスラム聖職者フェスラー・グレンが背後で糸を引いていたと見て、同氏が指導していた運動の支持者に対し大規模な取締りを開始しました。
フェスラー・グレン本人はあらゆる関与を否定しています。

8月29日リビア沖約20キロの海上ですし詰めの木造船から海に飛び降り、救助船に乗り移ろうとする難民。彼ら数千人の難民のほとんどはエリトリアを脱出してきたもので、イタリアの沿岸警備隊など他の機関に救助される前に、NGOのプロアクディヴァ・オープン・アームズのメンバーによって20隻以上のボートから救い出されました。(写真下・以下同じ)
year16
10月24日フィリピンのマニラ市内で、TVカメラの照明の中に浮かび上がる射殺遺体。
誰が銃撃したのかは不明です。
6月に就任して以降ロドリゴ・ドゥアルテ大統領はかつてない厳しい違法薬物の取締りを行い、故これに関連する死亡者は6,000人を超えました。
year17
9月25日エチオピアのキビッシュ近くの南オモ渓谷の木の上に立つスリ族の子どもたち。
スリ族は古くからナイル川流域で生活してきた農耕民族です。
オモ川に沿って建設されるギベの3つのダム、アフリカで3番目となるに大規模水力発電所、そして綿と砂糖を栽培するためのプランテーションと工場の建設は広範囲にわたって行われ、流域昔と変わらぬ生活を続けてきた先住民族の生活を脅かしています。
結果的に彼らが従来の生計を捨てることになれば難民化せざるを得なくなり、種族も消滅してしまう可能性があり、人権団体等が懸念を深めています。
グローバリゼーションと開発の進行により、従来の素朴な農業や牧畜が成り立たなくなっています。
エチオピアは、これからの5年でダム建設により15,000メガワットの発電能力を手に入れようとしています。
year18
3月22日に発生したブリュッセル空港での爆発事件に巻き込まれて負傷し、着ていた制服もぼろぼろになったまま呆然とする40歳のインド、ムンバイ出身の客室乗務員(右側の女性)。
イスラム過激派は、ヨーロッパ中心部の空港と地下鉄で自爆による連続テロ事件を引き起こし、、少なくとも34人が犠牲になりました。
year19
肺炎による休養の後、9月16日アメリカのワシントンD.C.で開催された黒人女性のための討論研修会の席上、演説を行うアメリカ民主党公認大統領候補ヒラリー・クリントン。
year20
http://www.nbcnews.com/slideshow/year-pictures-2016-n697021

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