ホーム » エッセイ » [ 世界とつながり続ければ、被災地に世界の知恵が集まる ]【 大地震から2年が過ぎたハイチ 】
[人生を創り始めた幼い姉妹]
アメリカNBCニュース 1月12日
2年前の今日、巨大地震がハイチを襲いました。
翌朝現地に赴いた私たちは廃墟、そして懸命の援助活動が行われる様子を目撃しました。
しかし現地での苦難が終わったわけではありません。
地震から2年が過ぎた今、地震によって発生したがれきの約半分の処分が終了しました。
再建はじれったくなるほどゆっくりとしか進みませんが、600の学校の新築、あるいは再建が完了しました。
全壊した家に変わって、100,000戸の仮設住宅が建設されました。
悲しい出来事もありました。けれども差し出されたいたわりと愛の手が、2年前の災害から一人一人の被災者を救い出す事実を知る事もできました。
一人のアメリカ人の男性が孤児になってしまった子どもたちの事を憂い、被災地で子どもたちの姿を探し求めました。
NBCのロン・アレンがこの男性がどうやって2人の幼い姉妹を被災地から救い出し、家族として迎え入れることができたのかご報告します。
レポーター:ナッシュビル郊外で、2人の幼い姉妹はまったく新しい家族の一員として暮らしています。
彼らの養父マイク・ウィリアムズ、養母ミッシー、そして3人の新しい兄弟が新しい家族です。
「愛してるよ。」
「愛してるわ。」
レポーター:姉妹はそれまでとまったく違う生活にすっかりとけ込んでいます。
「私がティアよ。」
レポーター:実は私たちNBCのスタッフは姉妹の事を良く知っています。私たちは地震の8日後に現地で彼女たちに出会いました。そのとき、ウィルソン夫妻はアメリカ国内で彼女たちの養い親になるための手続きをしていましたが、思うようには進んでいませんでした。
ミッシー「このセンターはまさに2人がいた場所です。私たちは二度と2人には会えないかもしれない、という無力感に襲われていました。」
マイク「さあ、行こう、なんとかできるさ。」
レポーター:マイクがハイチに飛び、2人の安全を確認しました。
一週間後についにアメリカの当局はウイルソン夫妻に姉妹を連れ帰って養子にする許可を与えました。
ウィルソン夫妻はティアはすぐに連れてこれる事が解りましたが、ナイータは出国順序のリストのずっと下の方に名前がありました。
それは、彼女は本当に彼女が家族の一員と信じていた前に彼女の家と月を取得するために数週間かかった。
このためナイータを言えに迎え入れるまでに数週間、そして彼女自身自分がウィルソン一家の一員である事を納得するまでには数ヶ月を要する事になりました。
ミッシー「その時私は、何としてもこの小さな女の子が私たちを信頼できるようになるまで、あらゆる努力をする事を自分に課しました。」
レポーター:そして今、ナイータは誰よりも新しいお母さんの事を信頼しています。」
「彼女はおかあさんっ子なんだ。」
レポーター:2年が過ぎた今でも、ウィルソン夫妻はハイチの事にはあまり触れないようにしています。
ミッシー「解っていただけると思いますが、地震がハイチを襲った日の事が話題になると、2人はふさぎ込んでしまうのです。経験させられた事、そしてそのとき感じた事がよみがえるのだと思います。私は2人と一緒にいられなくような事は、どんな事でもしたくないのです。」
レポーター:ウィルソン夫妻はクリスチャンのNPOに参加していますが、少なくとも12回以上メンバーを募り、ハイチでボランティアを行っています。子どもたちに食事を提供する施設も立ち上げました。ティアとナイータの姉妹もこうした施設に保護されていたのです。
マイク「ここにある小屋は藁と泥で作った彼らの家です。」
レポーター:ウィルソン夫妻は最終的にはハイチに孤児院を設立し、子どもたちとともに暮らそうと考えています。それもすべてティアとナイータの姉妹を見ているうちに、そう考えるようになったと話します。
ロン・アレン、NBCニュース、ポルトー・フランス
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