【 イスラム国人質事件 – シリアの地で運命がつながった、人間としては全く異質な2人】《後篇》

「使命は紛争、難民、貧困、エイズと子供たちについて広く世界に知らしめること」後藤氏
戦争に強く反対し、紛争地域における子供たちの窮状について、情熱的に話をしていた後藤氏

マーティン・ファクラー / ニューヨークタイムズ 1月25日

人質事件被害者父親
後藤さんの内に秘めた決意と強い目的意識は、彼が運営する小さな通信社、インディペンデント・プレスのウェブサイトから容易に見てとることができます。
19年前に立ち上げたテレビ番組にニュース記事を提供するこの通信社について、その使命が「紛争、難民、貧困、エイズと子供たち」について広く世界に知らしめることである、とキリスト教関係のウェブサイトで紹介された昨年行われたインタビューで、後藤氏は語っています。
後藤氏は仏教が生活の中に溶け込んでいる日本人としては珍しくキリスト教に改宗しましたが、その理由について、遠く離れた交戦地帯でたった一人で死んでいくのがこわいからだと答えていました。

私生活における後藤さんの鍵となる側面はほとんど知られていません。
公の場で、後藤さんは戦争に強く反対の立場を取り、紛争地域における子供たちの窮状について、情熱的に話をしていました。
後藤さんの判断力と経験は、日本のトップジャーナリストの尊敬を得ていました。

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「彼は何が危険なのかということについて、瞬時に判断が下せるベテランの戦争ジャーナリストです。」
人気の高いニュース解説者である池上彰氏が、新聞のインタビューの中でこう答えていました。
「私は彼を全面的に信用しています。」

湯川氏は初めてシリア入りした際に、比較的穏健なグループである自由シリア軍に拘束されましたが、後藤氏はこの時初めて彼と会いました。
後藤氏は自由シリア軍に湯川氏の解放をかけ合い、感謝を得ることになりました。
イスラム国に拘束される3ヵ月ほど前、湯川氏は後藤氏の下でアシスタントとして1週間ほど後藤氏の下で働き、この際生き残るための術を教えられました。

湯川氏はブログにこう書き記しました。
「私の本能は、私たちが生涯の友人になることができると告げています。」
「私たちがシリアで出会ったことは、運命としか言いようがありません。」

しかし、湯川氏のブログの多くは複雑に入り組んでおり、時に奇怪な自己分析を試みています。
その中で最も怪奇なのは2008年、出血多量で死のうとして自分で自分を去勢した自殺未遂の際の文章です。
彼の妻と医師の迅速な対応により、彼は命を取り留めました。
後になって彼は、男性としての機能を失った以上、これからは女性として生きると記しました。

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かれは女性名の『遥菜』と名を変え、自分が満州国王女で大日本帝国のスパイとして活躍した高名な男装の女性、川島芳子の生まれ変わりであると信じるようになっていきました。

そして肺がんによって妻を喪うと、湯川氏の人生はさらなる変転を重ねることになりました。
昨年早々、湯川氏は中東に向けて出発しました。彼は友人や親せきに、これが成功を手に入れるための最後のチャンスだと語っていました。

4月のブログにはこう記されています。
「この航海によって得られる経験は、私の人生を変えるでしょう。」
「世界が私を必要とする決心を固めれば、私はいつでも戻って来ます。」

かつて湯川はAK-47突撃銃を発砲している自分自身のビデオを掲載し、自由シリア軍の日本人・韓国人メンバーの後援者になりました。

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やがてイスラム国の戦闘員がシリアの反政府軍の領域を侵し始めましたが、湯川氏は反乱軍と行動を共にしていました。
やがて尋問されて顔から血を流している湯川氏の姿が、イスラム国が投稿した動画に登場したのです。

2分の収録時間の間、イスラム国の戦闘員は湯川氏にとって答えようのない質問を繰り返しました。
「お前はなぜ、こんなところにいるのだ?」

同じ質問は日本のニュースメディアによって繰り返されることになりました。
しかしそれは後藤氏とは異なり、同情的なものではありませんでした。

首を切断された湯川氏と思われる遺体の画像が公開された後、74歳になる彼の父親は申し訳なさそうな様子でカメラの前に座り、日本にも、そして後藤氏にも迷惑をかけてしまったと謝罪しました。

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「私の息子は、後藤さんが誠実で親切な人だと言っていました。」
湯川氏の父親が25日日曜日、記者の質問にこう答え、後藤氏について次のように語りました。
「後藤氏は私の息子の身を案じて危険な紛争地帯に入り込み、その命を危険にさらすことになってしまいました。大変申し訳なく思っています。私は後藤さんの速やかな解放と安全な帰還を念願しています。」

< 完 >
http://www.nytimes.com/2015/01/26/world/asia/two-japanese-hostages-as-different-as-can-be-linked-by-fate-in-syria.html?_r=0
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この記事にある通り、日本のメディアは殺害されてしまった湯川さんについては「自業自得」とでも言いたげです。
湯川氏についてwebで検索すると、私なら決して友人にしたくないような人たちと握手して微笑んでいる写真が多数あります。
しかしそれと、明らかに犯罪を犯した訳でもないのに裁かれ、殺害そのものを取引材料にされるという、この上ない理不尽な死を強制されたこととは別の話しです。
命に値段をつけるがごとき報道は、まさにジャーナリズムの風上にもおけない低劣極まりない行為だと思います。

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【 内戦という名の戦争、難民キャンプ、そしてずたずたにされた子供たちの心 】〈2〉

アメリカNBCニュース 3月11日
(再掲載・写真をクリックして大きな画像をご覧ください)

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レバノンのベカー渓谷では約5,000人の国外脱出をしたシリア難民が、フェイダ・キャンプと呼ばれる場所で生活しています。
AP通信のニュース・カメラマン、ジェローム・ディレイとNBC放送の番組制作者である立花由香が2日間キャンプを訪問し、まだ成年に達していない戦争の生存者がどんな生活を強いられているか、取材と写真撮影を行いました。

母と兄弟姉妹6人で暮らすテントの中、ベッドの上のロキア(8歳)。
ロキアの父親は現在行方不明になっていますが、母親は子どもたちにいつか必ず帰ってくると言い聞かせています。
(写真上)

ヤムママ(4歳)と3人の姉妹たちは、戦争地帯で子供たちを育てることを嫌った母親により、2年前にシリアのホムスを脱出し、このキャンプに逃げ込みました。
父は未だ、シリア国内で働いています。(写真下・以下同じ)
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母親にすがりつく6歳のファーダ。自宅のすぐそばで迫撃砲弾が2発爆発して以来、彼女は大きな音を極端に嫌うようになりました。
現在は難民キャンプにいて砲弾が飛んでくる恐れは無くなりましたが、母親がバタンとドアを閉める音も恐ろしいと感じるようになってしまいました。
ファーダが母親のそばから離れることは、めったにありません。
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8歳のアブドル・カリムはちょうど1年前、シリアのホムスで父親が殺された後、母と兄と4人の姉妹と一緒にレバノンに逃れました。
「僕が一番年下だったので、お父さんはよく僕と一緒に遊んでくれました。だからお父さんのことは、良く覚えています。」
アブドルがこう話しました。
しかしアブドルの心の傷は、彼と友人たちが母親が『大虐殺』と呼んだ現場にたまたま居合わせたことで、一層悪化することになってしまいました。
アブドルは神経質そうに両手を何度も腿の上にこすり付けながら、次のように話してくれました。
「僕は友だちと一緒に、学校から帰る途中でした。たくさんの人が泣き叫び、取り乱していたのを覚えています。」
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10歳のラワー(写真左)は9ヵ月前、母、と3人の姉妹、3人の兄弟と一緒にシリアのホムスからフェイダ・キャンプに逃れてきました。
シリアでは爆弾が近くで爆発し、ラワーの目を傷つけました。
「友達と遊んでいたら、突然、爆発があったのです。」
瞳孔が傷つけられ、彼女の瞳は左右別の色になってしまいました。
ラワーは未だにその時の悪夢にうなされることがあります。
兄弟たちの父親は現在音信不通のままになっています。
母親のドーハがこう語りました。
「私は子どもたちに何と言っていいのか解りません。子供たちはもう、充分つらい目に遭ってきたのですから…」
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http://www.nbcnews.com/storyline/syrias-children/tiny-survivors-faces-endless-conflict-n49401

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