【 福島第一原子力発電所事故 – 人間が生きていた世界を壊滅させた記録 – ボストン美術館 】《後篇》

3.11が明らかにしたことは政治というものがいかに盲目であるか、そして政治の貪欲さ
3.11を体験したその意味について、もう一度考えることを私たちに求めている

ヴッキー・ゴールドバーグ / ニューヨークタイムズ 6月19日

ボストン美術館
被災地の写真家、志賀れいこ氏は付近一帯すべてをのみこんだ津波からかろうじて逃れることが出来ました。
彼女が展開するイメージと写真の技術は卓越したものです。
ほとんどの作品は東日本大震災の発生以前に撮影されたものですが、その表現にはこの世の終わりを予感させるもの、あるいは想像させるものがあり、そして災害に対する思いが秘められているのを感じることが出来ます。

一枚の写真の中で高齢の夫婦が逆さまになった、裸にされた木の幹と一緒に写っています。
天地が逆になった木の根は、必死に手を振っているようにも見えます。
木の幹は男性の体を突き通しているようにも見え、木も高齢の夫婦も不吉な赤い色をしています。

志賀れい子氏

志賀れい子氏


目には見えないものの写真、それはいったいどうすれば撮影できるでしょうか?
超現実主義的表現を用いて、全く異なるふたつのものを比較または関連付ける修辞技法によれば可能になるでしょうか?

82歳の川田喜久治氏の作品は、血塗られたような部分皆既月食の月を背景に、不気味な暗い暁闇の中に福島第一原子力発電所を浮かびあがらせています。

荒木経惟(のぶよし)氏は、傘をさして歩いている人々の様子を縦長の写真の中で表現しています。
これは井伏鱒二の作品『黒い雨(原爆投下後に降った強い放射能を帯びた雨)』を暗示した世界です。

武田慎平氏のパズルのような抽象的な写真は、よりはっきりと問題に答えに近づいたものです。

荒木経惟(のぶよし)氏

荒木経惟(のぶよし)氏



黒い宇宙の中に巨大な星団と銀河が広がっているように見える写真は、福島の汚染された土を材料にして実際に作られたものです。
この土の上に感光紙を一カ月間置いたままにして作られたのがこの写真です。
汚染された土から発せられる放射線が、この宇宙のような造形を描き出したのです。

この人間の目には見えないものの写真を撮る方法は、同じ1896年に、2人の物理学者によって発見され、両名共にノーベル賞を受賞しました。

ウィルヘルム・レントゲンはこの年X線を偶然に発見しました。
そして、アンリ・ベクレルはウラン塩から放射能を発見しました。

ボストン美術館の今回の展示に関するカタログには、アーティストや科学者の中には、自分たちが感じているイメージを表現するために、手袋やキノコ、あるいは子供たちの靴を題材として使ったことを強調しています。
武田氏の作品は、展示会における他の写真にも共通する疑問を投げかけています。
すなわち、写真は世界共通の言葉で語りかけて来るものなのか?
それとも固有の言語を理解する必要があるのか?

太田康介(やすすけ)氏

太田康介(やすすけ)氏



博物館では誰もが理解できる共通の言語に対する、強い欲求があります。
そのためには壁に掲示してある解説文、そしてカタログに掲載されている様々な情報が役立ちます。

太田康介(やすすけ)氏の誰もいない町の中で、1羽のダチョウが困惑したように辺りを眺める姿をとらえた写真が、福島第一原発の事故で遺棄されたペットたちを救済するキャンペーンのための写真の内の一枚であることを解説しています。

2人の写真家の作品は、原発事故の破壊の後の政治的状況、経済的状況がどういうものであるかを、写真を通して改めて認識させてくれます。

展示されている中に河田氏の『地図』と題された不吉な感じの小さい写真本があります。
これは1965年、高度成長期の日本において日々の生活が向上していくテレビの映像と、原爆によって廃墟にされた原爆ドームとを対比させたものです。

川田喜久治氏

川田喜久治氏



潘逸舟(はんいしゅう)氏の作品は、破壊された福島第一原発の施設をぼかし、それを一円玉のグリッドで囲い込むことにより、原子力発電に国家経済を依存させている日本の状況を表現しています。

かつて一度、より高い精神力を持つことによって、自然災害に打ち勝つことができると考えられたことがありました。
しかし現在、自然災害がどういうものであれ、いちばん明らかになったことは政治というものがいかに盲目であるか、そして貪欲なものであるかということです。

福島第一原発の事故は、これから何年も何年も放射線の脅威と向き合う事を強要しました。
ボストン博物館に展示中の日本人カメラマンたちの作品は、その巨大な不安を一枚の小さな写真の中に詰め込みました。

私たちはすでに数多くの福島第一原発事故や東日本大震災の写真を見てきました。
今回展示されている写真は人々の心の中にあるはずの声、いつの日現実になるのを願っていること、ある種の感情や事実から受けた衝撃を癒すこと、そして大破壊を体験したその意味について再認識させてくれます。

新井卓氏

新井卓氏



ここに展示されている写真は、3.11を体験したその意味について、もう一度考えることを私たちに求めているのです。

〈 完 〉
http://www.nytimes.com/2015/06/20/arts/design/review-japanese-photographers-reflect-on-the-fukushima-catastrophe.html?_r=0
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目の前に広がった3.11の惨状に突き動かされるようにして始めた【星の金貨】だったはずですが、その自分の中でも風化が進んでいることに複雑な思いをかかえています。
ひとつには3.11の後から現在まで、日本の政治のあまりの劣化ぶりに焦りにも似た感情に駆り立てられ、その危機感の方が大きくなっているから、ということがあるかもしれません。
民主主義が「蹂躙」されているとしか言いようの無い2015年の政治について、記事中にある通り、盲目の政治家たちが貪欲な政権運営をしていることに、3.11以上の危機を感じざるを得ません。

カテゴリー: エッセイ | コメントは受け付けていません。
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