【 平和憲法の解釈変更、安倍首相のやり方は許されてよいものではありません 】《後篇》

海外における平和主義国家日本が作り上げた数々の業績を、簡単に台無しにする安倍政権の国家主義の推進
経済発展の早さと比べ、日本の政治の進歩は世界の中ではむしろ遅い方
戦争を挑発して回るような安倍政権の政治姿勢に対し、高まり続ける国内外の反感

ピーター・ポッパム / インディペンデント 2014年7月17日

安倍&豪州首相
東南アジア、東アジア地区において平和主義国家日本が半世紀の間続けてきた、現地の人びととの融和を大切にする友好的な政策が生み出したこのような高い評価を、簡単に台無しにする方法があります。
それが安倍首相とその支持者たちが天性持っている国家主義的思考であり、彼らが今進めている国家主義的政策です。

それこそが今日本が外交的に危機的状況に追い込まれている本当の理由なのです。
そして安倍首相が憲法第9条の解釈の変更を行うことにより日本という国家の性格と政策を一変させてしまおうとしていることに対し、国内から広範囲な反対が巻き起こっていることの原因です。

国内において国民の大きな反発を引き出したものは、安倍首相が行ったそのやり方でした。
巧妙に仕組まれたごまかしというべきかもしれません。
安倍氏はかつて一度、短期間首相の座にいたことがあります。
その時は目立つほどの業績も無く、その後数年間は注目を浴びることもありませんでした。
そして2012年、1980年代半ばから停滞が続いている日本経済を復活させるため、新しい政策を大胆に実行するという公約を掲げて政権の座に返り咲きました。

集団的自衛権01
その政策のシナリオはきわめて複雑なものでしたが、これまで試されたことは無いというメリットを持っていました。
そして今のところ、完全な失敗に終わったということにはなっていません。
しかし東アジア地区において拡大を続ける中国の覇権と争うため、再び日本を強大な軍事力を持つ国家に変貌させる、そのためには日本の国のあり方まで変えてしまうという政策は、本来含まれてはいなかったはずでした。

コンセンサスについての考え以外は、日本の民主主義は完ぺきというには程遠いものなのでしょうか?
日本では実業界においても、そして政界においても、民主主義の理念とは相いれないものが奥深く存在するのではないでしょうか?

こうした事情から経済発展の早さと比較して、日本の政治社会の進歩は世界の中でむしろ遅い方だと見られています。 – 多くの場合、日本の企業や政治組織などにあって何か特別な状況が発生した場合には、誰もが同じ方向を向き、上からの命令に喜んで従うという態度を示さなければなりません。
このやり方で安倍首相は日本の平和憲法を踏みにじりました。

日本のニュース解説者などが指摘しているのは、安倍首相の「内閣による解釈の変更」という民主主義とは相いれない手法です。

2007年の第1次安倍内閣の当時、安倍首相は国民投票法を含め思い切った憲法の改変を提案しました。
もし当時の議会の承認が得られれば、成功していたかもしれません。

憲法解釈変更 7
しかしそこに至るまでのあまりに困難な道のりを考え、今回は自分たちにとって簡便な手法を用いることにしたのです。
これによって安倍首相は、本来なら必要とされる国民の合意を取りつけることなく、自らが増強に心血を注いでいる日本の軍事力を海外で行使できるとする解釈を成立させたのでした。

この過程において安倍首相は、民主主義国家において本来許されないはずの行為を繰り返し行いました。
フィナンシャルタイムズの記事にもあった通り、日本の経済を再生するとする安倍首相の取り組みはまだ道半ばです。
その実現のためには、政権をしっかりと支える多くの政治的資本を必要とします。
しかしその好戦的、すなわち戦争を挑発して回るような安倍政権の政治姿勢に対する国内外の反感は、本来の目的であったはずの日本の経済再生を失敗に終わらせ、元の木阿弥にしてしまう可能性があります。

なぜ日本はアメリカが主導する軍事行動に、歩調を合わせ続けなければならないのでしょうか?
平和主義は日本にとって、慣れぬ新しい概念ではありません。

16世紀にキリスト教宣教師を追い出した後、日本は世界との交易の扉を閉ざした上で銃器の使用を厳しく制限し、武士が帯びていた刀はやたらと振り回す武器ではなく、名誉の象徴としての位置付けに変わりました。
鎖国と呼ばれるこの政策は、国家間の戦争が多発した時代において、長く平和な時代を日本にもたらしました。

沖縄戦01

戦後の平和主義は、たとえ経済が停滞していた時期にも、日本人に長い間平穏な生活を保障してきました。

多くの日本人は、必要とされる適切な議論が行われないまま長く続いた平和な黄金時代に幕を下ろすことなど、一切望んではいないのです。

< 完 >

原題 : Shinzo Abe’s way of reinterpreting Japan’s pacifist constitution won’t wash
He has bitten off more than he can chew
http://www.independent.co.uk/voices/comment/shinzo-abes-way-of-reinterpreting-japans-pacifist-constitution-wont-wash-9613153.html
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安倍政権に対する海外世論の評価は明らかに『悪い』、様々な記事を翻訳していての私の感想です。
前の野田政権は『低い』でした。
なぜでしょうか?
その重要な鍵が前篇にありました。

日本は平和主義に基づく近隣諸国との関係構築に励んでいた時に、経済的にもその絶頂期に昇りつめた。
しかし軍事費が徐々に増大していくのと比例するように、その経済にも社会にもつまづきが目立つようになってきた。
安倍政権による平和憲法の解釈変更こそは、日本のつまづきを決定づけるものになりかねない。

中国に『兵は凶なり』という古い言葉があります。
進んで武力に訴えようとする国家には凶運がついて回る、という意味があります。
これに対し平和は『陽』であり、戦後日本の平和主義による国家再建がまさにそれにあたると考えられます。
すでに繰り返しご紹介したように西側社会の世論も東洋思想も、結論は同じものです。

いくらアベノミクスなどというプロパガンダの宣伝に躍起になったところで、安倍政権のかじ取りは『凶なり』、日本を凶運に向かわせることになるのではないでしょうか?

明日24日(金)は掲載をお休みいたします。

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【 イスラム国との戦闘を続ける1人のクルド人 】

アメリカNBCニュース 10月19日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

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2~3週間ごとに、クルド族の戦闘員である22歳のデルファズ・シャイーフ・アフマドは2日かけてトルコ領内に避難している家族のもとを訪れます。

アフマドはシリア領内の戦略的要衝であるコバーニを守るクルド人の戦闘員ですが、2~3週間に1回程度、トルコ領内に避難している家族のもとに帰ってきます。
今年9月、家族は住んでいた土地をイスラム国に占領される直前、トルコ領内に避難しました。

10月17日、妻シハムと2歳と3歳の2人の息子たちとともに。(写真上)

戦場に向かう夫を息子を抱きながら見送るシハム。(写真下・以下同じ)
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オートバイに乗り、仲間とともに再びコバーニの戦場に向かうアフマド。
「住み慣れた故郷と町や村を守りたい、クルド人は皆そう思っています。」
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トルコからシリア領内に再び入る準備をするアフマドと仲間たち。
両方とも国境の警備は厳しく、行き来するのは簡単ではありません。
「しかしコバーニでは仲間たちが戦闘を続けており、何としても戻らなければなりません。」
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最近、アフマドが送って来た写真。コバーニ郊外で手作りの装甲車の前でポーズを取るクルド人戦闘員たち。
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シリアでは反政府派とアサド政権の戦闘に加え、イスラム国とクルド人などの戦いが激しくなり、ますます混迷の度を深め、多くの人々が戦場に駆り出されることになりました。
幼い2児の父親であるアフマドもその一人です。
アフマドはまだ10代の時アサド政権の徴兵により反乱軍との戦闘に従事させられ、2011年7月に反政府派が挙兵したダーラで重傷を負いました。
弾丸は心臓をわずかに外れ、彼は故郷のメティナの村に戻り療養することになりました。
回復した彼は村を守るクルド人組織に加わり、結果的に4つの反乱軍と戦う羽目になりました。
西側各国が後ろ盾となったシリア民兵組織、アルカイダ系のネスラ前線とラッカ部隊、そしてイスラム国です。
結局彼が属するYPG、クルド人民防衛部隊はラッカ部隊と同盟し、イスラム国と戦うことになりました。

10月18日、コバーニで行われた米軍が主導する空爆。
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http://www.nbcnews.com/storyline/isis-terror/one-mans-war-kurdish-fighter-returns-battle-against-isis-syria-n228846

カテゴリー: エッセイ | 5件のコメント
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