【 原発は都合良く、限度を超え単純化された理論の産物 】〈第1回〉& 【 フクシマ・ゴーストタウン最新映像 】
「都合のいい面だけをつなぎ合わせたエネルギー政策は、結局人類を不幸にする」
[ 原発とは人類にとって何なのか、何だったのか?!〈第11回〉 ]
[学術ビュー:単純思考の難しさ]エコノミスト 2011年9月
ロンドン・ビジネススクール、国家戦略・経営戦略が専門のマルクス・ライツィック教授が以下のように語りました。
経営管理学修士課程の学生が、入り組んだ経済問題から基本的な原理を導き出す手法を学ぶ事は当然である。
しかし、 今回の福島第一原発の事故は私たちに、そうした手法には『科学者がやってはならない、都合の良い単純化』による危険、という明らかな欠点がある事を教えている。
もし私が我が校の修士課程の学生たちに講義を開始するにあたり、このたびの福島の事故の背後にある原因とは何か、と尋ねたとしましょう。
私が多くの学生に期待するのは、むしろ科学技術や公共政策に関し、形式にはとらわれず、本気でその原因を探り出すため徹底した議論を行う事です。
議論の中心は、原子力発電の不安定性、あるいは再生可能エネルギーの将来性を否定する近視眼的政治家について、という事になるでしょう。
そして講義の終わりに、学生たちが明快かつ簡潔に問題点について説明できるようになるまで議論する事を望みます。
学生たちはおそらくこう説明する事になると思います。
すなわち、これまで〈非〉再生可能エネルギーについては、私たちは何十年もの間それを低価格で容易く手に入れて来たため、安易に考える事に慣れてしまい、その影響について深く検討する事がおろそかになり、その結果福島の事故は起こるべくして起きた、と。
私たちはこれまで炭化水素を燃焼させたり、ウランを核分裂させるという事によって生じる予想外の影響、すなわち健康への脅威、気候変動、そして放射線による大破壊について充分に検証してきませんでした。
事実、原子力発電が一旦何かが起きればあらゆるものを破壊しつくす(人々の生活、人生、地域社会を破壊し、その生存を脅かし、その地に根ざした産業も根こそぎだめにしてしまい、国土までも汚染する)危険性を潜在的に持っています。
そしてそうなれば原子力発電の本当のコストは膨大な額になり、とてものこと『経済的な手段』などとは言えない事は、今なら福島を例にとりながら簡単に指摘する事ができます。
あるいは学生たちは、現代社会が『囚人のジレンマ(経済学の問題で、個々の最適な選択が、全体としては最適な選択とはならないため、結局個々は利己的な選択をしてしまう。しかし、互いが利己的な選択を行ってしまうため、どの個も良い結果を得られない状況の例。)』の状態にあるため、〈非〉再生可能エネルギーの使用を続ける事になると結論づける可能性も否定できません。
このようなジレンマは、エネルギーを消費する事についての責任という問題について大きな関心がある人なら、誰の中にもあります。
けれどももし、あなたが資源の無駄遣いが様々な問題を引き起こすため、節約を求められている事を無視できる人間なら、何も問題はありません。
人々は易きに流れる、つまりはしなくていいのなら誰も我慢などしないのです。
その結果我々は最小の支出で、エネルギーを思う存分使う途を選択しようとします。
水浸しの原子炉がどんな結果をもたらすか、放射能汚染がどれだけ恐ろしいか、そんな事は考えもせず。
〈つづく〉
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例えばNBCの事件報道のニュースなら、一時間もあれば翻訳できますが、この原稿は大げさに言えば1ヶ月かかりました、いやかけました。
学問的抽象論とも言うべき内容を、どなたが読んでも解るように、ただし恣意的にならないように翻訳するのに繰り返し検討しました。
タイトルだけでも
原発は「自信過剰の単純化の産物 → 限度を超えた効率至上主義の産物 → 都合良く、限度を超え単純化された理論の産物」
と変えてきました。
実は先々週から開始した[ 原発とは人類にとって何なのか、何だったのか?! ]の結論がこの原稿なのです。
原子力発電は財務上のメリットだけを考え、その線に沿って都合の良い部分だけを取り出し、それを繋ぎ合わせて作り出されたコンセプト。
これは科学者が決してしてはならない曲学阿世、科学者としての良心を欠いた行為である。
その結果が福島第一原発の事故、そして今の日本の姿。
この原稿が解りにくいのでは、これまでお読みいただいた皆さんにたいへん申し訳ない事になってしまいます。
さらに、ご理解を深めていただくため、関連する記事を併せて掲載していきたいと思います。
そのために【 原発は都合良く、限度を超え単純化された理論の産物 】を3回にわけて掲載し、それぞれの内容が理解しやすくなるような記事と一緒に併載していき、[ 原発とは人類にとって何なのか、何だったのか?! ]を締めくくらせていただきます。
よろしくお願いします。
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【福島の避難区域の今 - ゴーストタウン】
アメリカCNNニュース 1月25日
富岡町、日本(CNN)
私たちは6名程の警官が警護し、『立入禁止』の大きな看板が掲示されたゲートを通り、福島第一原発から半径20kmに設定された避難区域に向かっています。
看板にはこう書かれています。
『立入禁止・入るべからず』
ここは福島の避難区域です。
かつて78,000人の住人がいたこの地区には、今は誰も住んでいません。
福島第一原発の事故が発生してからもはや一年が経とうとしていますが、この避難区域内は放射能汚染がひどく、誰も立ち入りが許されません。
私の今回の目的は避難区域の南の位置を占め、かつては農業と工業が盛んだった富岡町の様子を確認する事です。かつてこの町には52,000人の住民がいました。
町の中心部に行ってみましたが、ここがかつてたくさんの住民がいた町だとはとても信じられません。
この町に入って最初に受ける衝撃は、まさに人っ子一人見当たらない、という事です。
たとえこの町の人々が避難している、という事が解ってはいても、人々は蒸発してしまったのではないか、という恐怖に胸がじんわりと締めつけられます。
持ち主がうっかり乗って帰るのを忘れたかのように、自転車がバス停に立てかけてありました。
何台かの車がショッピングセンターの駐車場に止めてあり、買い物袋に品物をいっぱいに詰め込んだ人々が今にも現れそうです。
一軒のセブン・イレブンの店の中は、棚から落ちた商品が散乱しています。3月11日の地震によるものと思われます。
こうした光景はまさにゴーストタウンです。時の中で凍りついてしまった…
こんな場所でも命が続いている事が、その辺をさまよっている家畜たちの不思議な光景から見て取れます。
私たちは丘を下って幹線道路に出て来た、牛の群れに出会いました。
牛たちは立ち止まって私たちを見ていましたが、私たちが立ち去ると同時に再び丘の方に戻っていきました。
私たちは茶色に変色した雑草が生い茂る、農場のような場所にいるようです。
私は放射能測定器、一機は地表付近の放射線量を測定するためのもの、もう一機は私がここにいる間の通算被爆線量を測定するためのものです。
空間線量を測る測定器は汚染区域である目的地に到達する前から、ゲートを通り過ぎた瞬間から反応し始め、数値が上がっていきました。
汚染区域はかつての住民が一刻も早い除染を願っている場所です。
福島第一原発が事故を起こした際、漏れ出した放射能は北側の市町村を汚染しました。
原子力発電所の南側に位置する富岡町は、北側および北西方向の市町村と比較すれば、汚染は比較的少なくて済みました。
しかし少ないと言っても、長期間滞在しても安全である、という事ではありません。
私たちは放射線量を測定するため、車を止めました。舗装道路の表面の放射線量は一時間あたり0.042ミリシーベルト(42マイクロシーベルト)で、歯科でレントゲンを撮られる際に浴びる放射線量のちょうど10倍になります。この量は防護服を着用し、短時間滞在するだけなら問題はありません。
しかし長い期間ここで暮らすとなれば、話はまったく違ってきます。
著しい健康上の問題、特に子どもたちに深刻な影響が及ぶ事になります。
近くの公園には、集められた汚染された土の上に青いビニールシートが掛けられています。
小さな公園で私たちが初めて目にした、『将来への希望』につながる一歩です。
しかし、富岡町の他の部分には、何かが進んでいる様子も、見明るい未来につながるものも、まったく見当たりません。
http://edition.cnn.com/2012/01/25/world/asia/japan-exclusion-zone/index.html?iref=allsearch