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【 開始された自宅への帰還、拭いきれない懸念と望郷の思い、そして福島第一原発で続くトラブル 】

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所要時間 約 7分

人類始まって以来の事故・3基の原子炉のメルトダウン、その影響の巨大さ

エアン・マッカーディ / アメリカCNNニュース 4月1日

保育所屋内遊戯施設
世界最悪の原子力発電所事故のひとつであり、3基の原子炉がメルトダウンするという前代未聞の事故が起きたのは、日本の東北地方にある福島第一原子力発電所でした。
その周辺で暮らしていた数百名の住民の帰還が、事故後3年が過ぎて初めて許されることになりました。

3月11日に襲った巨大地震と巨大津波が重要な設備である原子炉冷却システムを破壊し、福島第一原発の3基の原子炉でメルトダウンする事故の発生により、福島県田村市都路町に堕されていた避難命令が、3月31日深夜、日付が4月1日に変わると同時に解除されました。
都路町の除染作業の完了を受け、これまで避難場所で生活することを余儀なくされていた住民たちが、再び自宅で暮らすことを許されることになりました。

東北太平洋沖地震の揺れと、その後に発生した津波は1986年のチェルノブイリの事故以降最悪となる原子力発電所事故を引き起こしました。
3基の原子炉がメルトダウンするという人類始まって以来の事故に拡大、その結果周辺住民140,000人が未だに批難を強いられたままとなっています。
138,000人の避難民が仮設住宅暮らしを強いられ、いくつもの市、町、村が高い放射線量のためゴーストタウンとなったまま放置されています。

NBC22
「私たちは都路町以外の住民の方々の帰還もかなうよう、最大限の努力を続けています。私たちは住民の方々の支援と除染作業を一層強く推進すべく、努力を続けています。」
CNNの取材に対し、東電スポークスマンがこのように語りました。

▽ あらゆる制限が解除される

月曜日に行われた避難指定解除は、福島第一原発に近い場所としては最初の例になりました。
都路町は福島第一原発から20キロの場所にあり、最初に設定された避難区域の端の部分にあたります。
避難指定の解除に先立ち、避難区域の常民の一部は事前の届け出を条件に、夜間の宿泊を許されていました。
除染が完了したと判断された場所は、今後一切の制限が解除されることになります。

都路町の全116世帯のうち、355人の居住者は以後恒久的に自宅での生活が許可されることになりました。

しかし田村市は居住制限が続く11市町村のうちの一つに過ぎず、都路町はさらにその中の一部分に過ぎません。

▽ 放射線に対する懸念

しかし事故以降、福島第一原発を運営する東京電力がこれまで報告を続けてきた放射線量を見る限り、環境中における放射線量、そしてその値が今後どう推移するかという点については懸念が続きます。

汚染05
先月、都路町の住民たちは説明会場で地区の放射線量が今日中しても安全なレベルにまで下がったと告げられました。
しかし除染が完了したとされる町内の複数の地区について住民の口からは、現在の放射線量については不安が残るという本音も漏れました。

住民の一人は取材に訪れたNHKに対し、
「はい、私は少し心配しています。でも今はそれよりは安心する気持ちの方が大きくなりました。それに何と言っても私の自宅はここにしかないのですから…」

現在の日本の基準では、1年間の累積放射線量が20ミリシーベルト以下であれば、居住しても安全だとされています。
しかし除染を担当する政府当局者は、可能なら年間線量が1ミリシーベルト以下に留まるようにしたいものだと語りました。

この間、福島第一原発の現場では事故収束・廃炉作業が続けられてきましたが、汚染水やその他の汚染物質の漏出問題が相次いで明らかになり、決して順調とは言えません。

汚染水タンク01
東京電力の発表によれば、今年の初めにも約100メートルトンの高濃度汚染水が、汚染水を貯蔵しているタンクが立ち並ぶ一帯を取り囲んでいる堰を乗り越えて溢れだし、辺り一帯を汚染する事故が発生しました。
この事故において、東京電力は汚染水の太平洋への流れ込みについては否定しました。

http://edition.cnn.com/2014/04/01/world/asia/fukushima-miyakoji-return/index.html?hpt=ias_c2
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【 岡原功祐がとらえた福島の印象 】〈2〉

ニューヨーカー 4月1日
(掲載されている写真をクリックして大きな画像をご覧ください)

岡原6
3月28日金曜日、福島第一原発の敷地内で身元不明の労働者が生き埋めになって死亡しました。
2011年3月に事故を起こして以来、絶える事無く続く事故収束・廃炉作業で初めての死者が出た事になります。

東京の33歳のカメラマン、岡原功祐氏は福島第一原発の事故発生後数週間の内に現地を訪れましたが、その場所は1986年に巨大事故を起こしたチェルノブイリに次いで高い放射能に汚染されていました。
岡原氏はこの3年間ほぼ毎月福島を訪れ、事故後の福島第一原発事故後の記録を撮り続けてきました。
「私がこの間繰り返し会い続けた何人かの農民と漁師がいます。」
岡原氏はこう記しています。
「この3年間、彼らの生活はこの場所の自然や景観同様、ほとんど何も変わっていません。
福島に戻って彼らと会う機会が増えれば増える程、福島の人々の生活がこの3年間ほとんど何も変わっていない事を記録する事が、とても大切だと感じるようになりました。」

掲載されている写真は、岡原氏が今年3月福島を訪問した際、iPhoneを遣って撮影したものです。

仮設の保育所の屋内遊戯施設(写真上)

いわき市内の仮設住宅で独り暮らしを強いられる90歳の男性(写真下・以下同じ)
岡原7
富岡町の放棄された水田
岡原8
富岡町の寺院の参道沿いの倒壊した石燈籠
岡原09
原発事故後、政府によって閉ざされたままの富岡町の入口。
岡原10





 

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