星の金貨プロジェクト

星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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震災ゴミ

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所要時間 約 3分

仙台市宮城野区の震災ゴミ置き場に行ってきました。
仙台市が管理する、市民野球場が充てられています。
まさに人々の生活の残骸がうずたかく積まれています。

私が行った宮城野区の日の出町公園はもともと野球グラウンド、車の通り道には震災ゴミの畳が敷きつめられていました。

ゴミの山はテーマごと(?!)に分類され、がれき、家電製品、燃えるものなどに分類されています。

家電の山で目立つのが電子レンジ、中には買ったばかりとおぼしい最新型のオーブン・レンジなどもあり、痛ましい限りです。

実は我が家も震災前に電子レンジを買い替えたばかりでした。それまでは機能よりは価格重視で選んだ電子レンジでしたので、冷凍食品を解凍したり、飲み物を温めたり、と行った使い道が主流でした。ところが20代の娘がクッキーやら、ケーキやら、せっせとお菓子作りをするようになり、価格で選んだ電子レンジでは役不足になっていたのです。三ヶ月程も前、ついに故障したのを機に、娘も出資して、今度は性能重視でオーブンレンジを購入しました。

仙台駅前の家電量販店に娘、妻と3人で行き、アアでもない、コーでもない、と売り場で言い騒ぎ、結局展示品限りという商品ではありましたが、前のものに比べれば、はるかに高級なレンジを購入したのです。
お店のハッピを着た調子の良いおじさんが「展示品とはあるが、実際には箱から出したことが無い。」という商品を台車にのせて持って来たのですが、私が何となくカタチのバランスがとれてないような気がして、家族全員でチェックすると、実はトビラに大きなへこみがあり、あちこち擦りキズだらけ。これでは使っているうちにトビラが閉まらなくなるかもしれません。

「ん、もう...いい加減なことばっかり言って......」

結局、調子の良いおじさんに「お願いをして」別の品物を持って来てもらい、こちらは特に問題も見つからず、無事我が家の台所に収まったのでした。

そして、震災当日。新しいオーブン・レンジはそれなりに揺れたようでしたが、落下などは無く、3日間の停電の後、元気に活躍しています。
でも、ゴミ置き場に打ち捨てられたレンジたちには、もう活躍の機会はありません。用をなさない電気製品は処分するしかありません。

でも、みんながみんな、有り余るおカネを使ってここに捨てられている電気製品を買った訳ではないでしょう。

むしろいろいろな理由があって、なんとか費用を工面して買うことができた。
そんな品物もたくさんあるでしょう。
そう考えれば、ここは普通のゴミ置き場とは異なり、小さな『悲劇』が積み重なってできた山なのかもしれません。
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大震災の陰に隠れて…

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所要時間 約 3分

『週刊上杉隆』というのを皆さん、ご存知でしょうか ?

週刊ダイヤモンドの中にある、
http://diamond.jp/category/s-uesugi
がそのコーナーです。

3月24日付け
『海外諸国と日本政府、避難範囲50kmの差――枝野官房長官に「安全デマ」を問い質す』
という原稿の中に、非常に気になる一文があります。
それは(『』内引用)
『3月11日の東北関東大地震発生以来、フリーランス記者は首相官邸で毎日開かれている官房長官会見から締め出されている。笹川武内閣広報室長と西森昭夫内閣調査官が「上の指示」という理由で、ずっと排除してきているのだ。』
というものです。

上杉隆さんについては、私は時々ダイヤモンドなどで記事を読んでいるだけで、特別の思い入れや知識がある訳ではありません。

しかし、『3月11日の東北関東大地震発生以来、フリーランス記者は首相官邸で毎日開かれている官房長官会見から締め出されている』というのはまずい、いかにもまずいと思います。

情報統制は民主主義とは相容れません。そんなことは北朝鮮を見れば一目瞭然です。
デマや悪フザケの類いは許すべきでは無いと思いますが、まじめなジャーナリストを大新聞社や放送局に属していないという理由で閉め出したのであれば、これは完全に民主主義の破壊です。

ジャーナリストも国民であり、いや、むしろフリーのジヤーなリストの方が、大きな組織というものに制約を受けない分、より私たち国民に近い、ということが言えるかもしれません。

大震災のどさくさにまぎれて暗躍するのは、全く許せない話ですが未収容の遺体から金目のものをはぎ取ったり、被災家屋や車両から金品を盗み出した、人の形をしたケダモノたちだけではなかったのです。

私たちはこんなときだからこそ、こうした動きを注意深く監視しなければならないのです。
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『物流』ニッポン

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所要時間 約 4分

このたびの震災で明らかになったのは、日本という国の機能を『物流』が大きく支えていた、ということでした。

災害を受けた地域・人々を一番苦しめたのが、この物流の途絶だったからです。

スーパーなどで商品が販売できなくなったのも、宮城県内を中心にガソリン・灯油が手に入らなくなったのも、この他この時代の人々が思いもしなかった『モノ不足』に陥ってしまったのは
生産拠点→(運送)→物流拠点→(運送)→消費地
という、物流のシステムが破壊されてしまったからでした。

人々の消費にとどまらず、トヨタ自動車が磨き上げて来た『ジャスト・イン・タイム』という生産方式も、実は精密な物流システムに支えられていたため、今、世界中で自動車の生産が滞ってしまっています。

この物流、戦争時には「兵站(へいたん)」という言葉で表現されます。そして、日本人が苦手とするのが、この兵站であったと言います。

第二次世界大戦では、日本と米国が太平洋上を舞台に死闘を繰り広げました。武器や燃料が無ければそもそも戦闘などできない、と考えたのがアメリカ人で、その場所に行ってしまえば後は工夫と精神力で何とかなる、と考えたのが日本人だったと言われています。
この考え方で大いに迷惑したのが、日本軍に占領されたベトナムやフィリピンでした。特にベトナムはフランスの植民地であった頃から食料自給ができず、フランスが外から食料を持ち込んでいました。
フランス軍の代わりにベトナムを占領した日本軍は、軍の食料を『現地調達』で賄おうとしました。もともと自給できていない国民から食料を「徴発」したため、2万人のベトナム人の餓死者が出たと言われています。

フィリピンでも似たような状況で、日本軍が現れると国内から食料が消え、アメリカ軍が現れると国中に食べ物が行き渡りました。日本軍がフィリピンで負けたのは、この食料問題で現地の人の対日感情が極度に悪化したためだと言われています。

もっと昔では、豊臣秀吉がこの兵站の天才でした。秀吉は、個人的勇気や兵の強さにばかりを頼る一方、この兵站を軽視した敵が自ら弱って行くのを待って、あまり直接的戦闘には依らず次々降していったのでした。

しかし、日本人の精神主義、今度の大震災では『日本人の美質』として、震災直後から世界各国から賞賛されました。すなわち大災害の後、世界各地で見られた略奪や奪い合いが起きなかった。どころか、東北の人々は互いに譲り合い、互いを思いやりながら震災を乗り切っている、というものでした。確かに、震災直後から略奪・放火などが起きてしまっていたら、復興どころか、治安の回復に多大の日時を要し、人々の暮らしはさらに大きなダメージを受けてしまっていたに違いありません。

しかし、兵站の問題は長期にわたる課題です。今回の災害でも、『物流』の回復が、計画的なものではなく、すべて業者等による自発的なものであったため、地域間での格差、極度に足りないものと余ってしまっているもののアンバランス、といった問題も起きてしまっているようです。物資などが未だに不足している避難所などでは、疲弊によって人の心も荒みはじめる兆候が現れている、言います。

せっかく世界中の人々が賞賛した『日本人の美質』も、為政者や行政組織などの冷静で的確な計算に基づく物流・行政サービスなどの回復が無ければ、どんどんすり減ってしまいます。

そういう意味でも今、日本の政治・行政には『人々の心がすり減ってしまわないよう』精一杯の取り組みを望みます。
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今の人には理解できないだろう、なぜビートルズがそんなにすごかったか?!

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所要時間 約 2分

今の人には理解できないだろう、なぜビートルズがそんなにすごかったか?!

先日、『何でも鑑定団』を見ていて、ビートルズ日本公演のチケットの鑑定をしたジョン・レノンそっくりづくりのおじさんが、「ビートルズは私の命そのものですから...」と言っているのを見て、ああ、ここにもいるんだなぁ、とつくづく思いました。
何でもそろってて、街中がシャレたデザインのものに埋め尽くされ、世界中の音楽を何でもリアルタイムに楽しめる今を当たり前と感じる人には、能力の有る無しとかではなく、あの衝撃は感覚的に理解できないと思います。

その衝撃を疑似体験する方法があります。
まず、次のニッポンの童謡を3曲続けて聴くか、歌うかしてみてください。

◇ 七つの子
「かぁらぁすぅー、なぜなくのぉー、カラスはやーまーにー...」

◇ 青い目のお人形
「あぁおい目をしたおにんぎょはー、アメリカ生まれのセルロイド...」

◇ 雨降り
「あーめーがぁふーりまぁす、あーめーがふぅるー、あーそびにゆぅきたし、かさぁはーなーしー....」
(わたしたち、小学校ではほとんどこんな歌ばかり歌わされて、うなだれてばかりいたのです)。

そしてこの後、ビートルズの「抱きしめたい」か「シー・ラヴズ・ユー」か「キャント・バイ・ミー・ラヴ」を聴きます。

ね、すごいでしょ?!

我々1950年~60年代生まれの人間は、こういうのを「ゴキゲン」と言います。
(1950年代の生まれでも、自分たちのことをオヤジとかオッサンなんて、言いませんよ。
言われていい気持ちの人もいるのかもしれませんが、私はそうではありませんので...)

青年だったビートルズと少年だった自分。
それをわざわざ加齢臭で汚してしまうことは無いでしょう ?

マネの絵

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所要時間 約 2分

生まれてはじめて、この絵を画集で見た時 - 中学生か高校生の時だったと思いますが、
「なーんだ、見た通り描いてるだけじゃないか...」
と思って、マネについては自分にとって『つまらない画家』の分類に放り込んだままでした。
大学生になって、新宿の伊勢丹百貨店本店で大規模な印象派絵画展が開催され、この『フォリー・ベルジェール劇場のバー』の実物がやってきました。展示の目玉の一つだったと思います。

私はこの絵の実物の前に立った時、その美しさと迫力に圧倒されたまま数十秒間動けなくなってしまったのです。

絵の中央に立つ女性の物憂い表情が、まさにすぐそばで息づいているような生命力がありました。

実はこの絵をはじめて見た画集というのは、美術の教師だった母が買い求めた当時世界最大の大きさと高度な印刷技術を誇る画集で、現在ではここまでの大きさのものは市販されていません。
にもかかわらず、実物と画集の間には、計り知れない程の違いがあることを思い知らされました。

以来、絵だけは本物を見ない限り解らない、と思うようになったのです。
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ほんとうの「今」を知りたくて、アメリカCNN、NBC、ABC、CBS、英国BBC、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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