まず次の3つの言葉を理解してください。
【1】科学
科学的な方法の古典的な基本は、17世紀にデカルトが『方法序説』で示した以下の原則である。
• 明瞭判明の規則:明らかに真理と認められたものだけを判断の基準とする。
• 要素分解:解決可能な要素に分解して考察する。
• 具体から抽象へ:単純なものから複雑なものへと順番に認識をすすめる。
• 総合:見落としがないことを十分に確かめて、完全な列挙と再構成により全体を再構成する。
【2】デマゴーグ
私の名はGaius Julius Caesar Octavianus Augustus(ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス・アウグストゥス)、紀元前63年9月23日に生まれ、 紀元14年8月19日に冥界に入りました。76年生きたことになります。
暗殺されてしまった大叔父カエサル(シーザー)の後をついで、我が愛するローマに史上もっとも平和な - Pax Romana - パクス・ロマーナ時代をもたらした、と後世の歴史家の皆さんに評価していただきました。
私はこの度の東日本大震災という未曾有の災害に遭われた皆さんにぜひ一言、お話をさせていただきたくてペンをとりました。
私が生きた紀元前後のローマ帝国は史上空前のインフラ社会でした。ローマ帝国の威令が届く地中海世界は、まっすぐで舗装された街道が整備され、さらには水道網も張り巡らされていました。その他の制度・システムも整備されており、この部分では21世紀の皆さんの暮らしとさほど違ってはいませんでした。
当時の世界水準から見れば驚異的高水準にあった、と言えるでしょう。皆さんの国日本では、また歴史が記録されていなかったころの話です。
一部には奴隷制の社会ではなかったのか ? というご指摘があるかもしれません。
しかし歴史を正しくご検証いただければわかることですが、ローマ社会の奴隷の職業は家庭教師や料理人といったところが一般的で、蓄財によって一般市民になることも可能だったのです。鞭で打たれながら過酷な肉体労働を強いられる奴隷の姿は、昔のハリウッド映画が作り出した架空のものです。
なぜ、私がこのような話をするのか?
それはローマ帝国の「属州統治」が決して力ずく・権柄ずくのものではなく、地域・民族の慣習や生活スタイルを最大限尊重したものだったことをご理解いただきたかったからです。実質的に当時のローマは広大な地中海社会の首都でしたが、スペイン、フランス(ガリア)、パレスチナ(小アジア)、北アフリカの人々にローマ式の生活や社会を強制したことはありません。
私たちは地元の人々の意向を無視した統治を行うことによって、その地の民族の活力をそぎ、反抗を誘発し、その地が不安定になる。
結果として地中海社会の平和や安定、すなわち今日 Pax Romana と言われている状態が不安定化することこそ、第一に避けたいことだったのです。
技術的なことに加え、その人の心の持ちようが問われるスポーツ、それがゴルフ。
そのため、この稿を書いているkobajun氏はゴルフでラウンドをしても
「今日は満足した」
どころか
「今日はまあまあだった...」
どころか
「今日は、まあ...」
という日すら非常に少ないのです。
これが例えばテニスだったりすれば、パートナーの肩でもたたきながら
「いい汗かいたね。」
なんてことを言えるのも知れません。しかし、私はゴルフに関する限りこんなセリフは一度も言ったことがありません。
アメリカではラウンドした後、ゴルフコースの池の中にゴルフバッグごと『投げ捨てて』いくゴルファーすらいるそうです。もっともその日のうちに引き上げにくる人が、ほとんどらしいのですが...
ゴルフの何がここまで人を狂わせ、熱くさせるのでしょうか?!
私もずっとこのことを考えてきました。
得た結論は14本ものゴルフクラブを使い分けるところにあるような気がします。
例えば野球のバッター、バントをするのもホームランを狙うのも同じバットを使います。
ところがゴルフでは100ヤード、150ヤード、200ヤードを打つ時では使うゴルフクラブが違います。概ね10~15ヤード刻みでクラブを変えて行きます。
さらにゴルフクラブの商品説明を見ると、必ず書いてあるのが「ミスを最小限にとどめる工夫がなされている」云々。
こうして見れば、ゴルファーひとり一人、至れり尽くせりの道具を持ってコースに現れているはずなのです。
野球でピッチングやバッティングの『フォーム』が大切なように、ゴルフでもボールを打つ時のフォーム(ゴルフではスウィング と呼ぶ方が一般的)がとても大切です。レッスンや練習場に通うのも、ひたすらこのスウィングを良いものにするため、と言ってもいいでしょう。
たどり着くところはパターを除く13本のゴルフクラブを、同じように最も合理的にスウィングできるようにすることです。
そのため最も大切になるのが、よけいな小手先の動きを封じ込めること。
ゴルフは距離の調節と方向取りが命のスポーツ。でもそれは実はコースに13本も持って行く、最新式のクラブがやってくれるのです。
そのため現代のプロ・ゴルファーは、徹底的に合理的スウィングを体に覚えさせ、さらに筋力を鍛えることで身に付いたフォームのパワーアップを図ります。
この道具の進化 + 合理性の追求 + 筋力のアップ = により、近年のプロゴルファーの打球の飛距離の伸びは驚異的レベルに達している、と言われています。
一方情けないのが私のようなアマチュア、中でも練習量そこそこ、月のラウンド数もそこそこ、というアマチュア・ゴルファーです。
まず、道具ですが、ほとんどプロと同じ道具を使っています - ただ、筋力その他が足りない分、簡単にボールが飛ぶようにはなっています。
そして、一番足りないのが合理性。
レッスンなどで一応合理的なスウィングを教えられても、そこに客観的に見ればとんでもないアレンジを加え、「あり得ない」スウィングをしているゴルファーを良く見かけます。
一番多いのはあらゆる関節・筋肉に力を入れてリキム人。体のよけいな場所に力を加えれば、体の動きがぎこちなくなるのが当たり前なのに、結果、最も弱い部分からバランスが崩れて、予測もつかないタマが飛び出し、落胆したり赤面したり...
私の知人はゴルフ練習場で真上にボールを打ち、そのボールがキン・コン・カンと跳ね返ったあげく、後ろの打席の人の足下に「ブスッ!」と突き刺さったそうです。知人は後ろの人に
「あんた...帰れ!危ないから帰ってくれ!」
と言われたそうです。
次が「よくそれでボールが打てるなぁ」という体勢から、手先を器用に舞わせ、無理矢理ボールに当てている人。でもきわめて複雑な動きが組み合わされているので、成功率が低くならざるを得ません。
シューベルト交響曲第9番【ザ・グレート】。
作曲家のシューマンが「天国的に長大」と表現した、天国にいるような幸せな気持ちに浸っていられるこの曲を聴いている長い時間は、クラシック音楽ファンにとってはまさに至福の時です。次から次へと繰り出される魅力的なメロディの数々、どれをとってもすぐに口ずさめる程で、それが奔流のように流れ出すこの曲は音楽ファンのみならず、指揮者にも愛されています。フルトヴェングラー、B.ワルターを始め、夭折したケルテスやシノーポリまで、たくさんの「名演」が残されています。ただし、オーケストラ、特に弦楽パートにとっては「重労働」を強いられる曲のようで、楽団員には敬遠されがちだということを聞いた事があります。
シューベルトはベートーヴェンが元気で活躍している頃、「すねて」いた、と言われています。
曰く「ベートーヴェンのあとで、何が出来るだろう」「あらゆる分野で、ベートーヴェンは他の追随を許さない傑作を作り続けている。これでは自分が活躍する場が無いではないか?!」と。
ベートーヴェンばかりが脚光を浴びていることに反発しつつも、ベートーヴェンが不世出の作曲家であることを誰よりも理解していたことが解るエピソードです。
実際、交響曲、協奏曲、弦楽四重奏曲、ピアノソナタなどにおいてベートーヴェンの作品の独創性と完成度の高さは群を抜いていました。後世の私たちが見れば、音楽はベートーヴェン「以前」と「以後」でまったく異ってしまっていることが解ります。ベートーヴェンの天才性は他の追随を許さないものでした。シューベルト自身(自分でそう思っていたかどうかはさておき)天才であったために、この辺のところはよく理解できたのだと思います。
このためにシューベルトとしては、ベートーヴェンがあまり作品を残さなかった声楽の分野に没頭したと言われています。よく知られる「野ばら」「菩提樹」を始め、声楽についてはシューベルトを外しては音楽史が成り立たない程、数多くの優れた作品を残したのです。
しかし、ベートーヴェンは死ぬ間際、人に頼んでシューベルトをわざわざ呼んでもらい「後のことを託せるのは、君以外にはいない。」と「遺言」します。
このことに感激したシューベルトは一念発起、交響曲【ザ・グレート】を一気呵成に仕上げた、と言われています。しかし、シューベルトは結局、ベートーヴェンの死の翌年にたった31歳で亡くなってしまいました。死因は腸チフス。
普段から売春宿に通いつめ、梅毒を患ったりしていたシューベルトの私生活は荒んでおり、その死とともにたくさんの作品が散逸してしまいました。その中にこの交響曲第9番【ザ・グレート】も含まれていました。
4月11日月曜日。
『あの日、あの時』は3月11日午後2時46分18秒。
ちょうどあの忌まわしい東北太平洋沖地震から、まる1ヶ月が経過したことになります。
そしてこの日の朝、世界中のゴルフファンが注目するマスターズが決着しました。
優勝したのは南アフリカのカール・シュワーツェル(英語読み・たぶんオランダ系南アフリカ人なので本来ならカルル・シュワルツェル)という26歳の若手。
日本人にはちょっと馴染みの無い選手ですが、話題のタイガー・ウッズは4位タイ、石川遼君は20位タイという成績でした。
今回決勝に進出したのは49人、しかも世界より選りの49人中20位ですから、20位タイの成績は立派です。
ただ、欲を言えばもう一打少なければ15位タイになり、来年のマスターズ出場も決まっていました。でも遼君のことですから、今年の日本ツアーで来年のマスターズ出場に充分な成績を残してくれるとは思いますが...
そして、松山英樹君。
今回のマスターズには世界から6人のアマチュアが出場し、松山君たった一人が決勝ラウンドに出場したことは一昨日の原稿に書きました。
彼の最終成績は27位。本人は「16位以内を目指し、来年もここ - オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ - に来たい。」と言っていましたので、惜しくも届かず、という結果でした。
しかし、初出場のアマチュアでアンダーパーという成績は世界に誇れる内容です。
そして彼は仙台の東北福祉大の現役大学生。
東日本大震災の被災地のど真ん中から参加し、プロでさえスコアを崩してしまうマスターズという大舞台の精神的重圧に耐え続け、期待以上の活躍をしたことは、今回世界中の報道機関が伝えた、廃墟の中で互いを助け合う『尊敬すべき東北日本人』に対する評価をさらに高めてくれました。
そして同じ朝、日本の統一地方選挙の結果が出ました。
結果を見ながら、台湾一の親日派、李登輝元国民党総統の日本を評した
「超A級の国民とC級の政治」
という言葉を思い出していました。