星の金貨プロジェクト

星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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『犯人探し』は今、するべきことなのか?!

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所要時間 約 4分

果然、というべきか、またしても、と言えばいいのでしょうか。
今度は東京電力福島第1原発1号機の炉心冷却のための海水注入が中断したことの「犯人探し」が始まりました。

アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントン 第二次世界大戦が終わって65年、国民が今程「日本の政治の不毛」を感じさせられている時はない。 アメリカ独立の英雄、ワシントンは「偶然現れた」のではない。 インディアンを迫害するなど今となれば人としての問題点も感じるが、彼を司令官として選んだ人々の真摯な期待が、彼を比類なき指導者に育て上げた。

アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントン 第二次世界大戦が終わって65年、国民が今程「日本の政治の不毛」を感じさせられている時はない。 アメリカ独立の英雄、ワシントンは「偶然現れた」のではない。 インディアンを迫害するなど今となれば人としての問題点も感じるが、彼を司令官として選んだ人々の真摯な期待が、彼を比類なき指導者に育て上げた。

首相が指示した、指示しない、ということが焦点のようですが、要は「今度こそ菅降ろし」を実現させようと言うことなのでしょう。
首相の「人格と品性」については震災以来、すでに多くの日本人がその本質をうかがい知ることになっていると思います。
天皇・皇后両陛下が避難所を時間をかけて被災地ごとに訪問され、ひざまづかれて被災者の一人一人を丁寧に慰め、力づけられ、さらには水仙の花( http://kobajun.chips.jp/?p=433をご参照ください)の様なエピソードが生まれました。
5月21日に来日された韓国のイ・ミョンバク大統領も避難所の一家族の区画の中に座り込み、まるで親戚のおじさんが見舞いにきたかのように親身になって、被災者を見舞っておられました。
これに対し、我が国の首相は避難所を訪れた際、立ったまま通り一遍の挨拶をして立ち去ろうとし、被災者から怒号を浴びせられました。
そして国民新党亀井氏の嘆き。
「首相は先日、家族とホテルで食事したそうだが、なぜ震災で親を失った子供たちと一緒にカレーライスを食べようという発想にならないのか....」
巧言令色少なし仁。
高校の漢文の時間にみなさんも習われたと思いますが、現実に見せられると何ともやりきれない思いになります。

しかし、だからといって一国の最高権力に連なる国会議事堂に出入りする人間が、今この時に政局争い、権力闘争に血道を上げて良い、という事にはならないと思います。
与党も野党も、日本の国会議員には『日本国の公僕』として、今、やらなければならない事が山積みしているはずです。
親を失ってしまった子供たちは、毎晩夜の闇におびえているのです。
子を失ってしまった親たちは、多くが生きる目的を見失ってしまいました。
震災から子を守った親たちも、今度は職を失って希望を失いかけています。
震災前から孤立しがちだった高齢者の方々は、いまや生命の危険にさらされています。
これら震災で絶望から、悲嘆から、苦悩から立ち上がれないでいる人々を踏み台にして、自分が権力の座にのぼろうなどは、許される行為ではありません。

犯人探しは、福島第一原発の4基の原子炉すべてを安定化させてからやってください。
溢れ出す高濃度汚染水の持って行き場も無くなってきているはずです、これをどうするのですか?
私たち日本国民にとって、今回の事態の犯人探しをするべき時はただ一度です。
『事態が終息した後』二度とこのような事故を起こさない、そのための対策を確立するために原因を明らかにする必要がある、そのときだけです。

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命が失われた世界・蒲生再訪〈1〉

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所要時間 約 4分

昨日、仙台市宮城野区の蒲生地区に行って来ました。
東日本大震災から2ヶ月、しかし津波の直撃を受けた地区の復興・再生の容易ならなさを改めて感じました。
ひとつは空気。

アオシジュウカラ 1970年 スイス発行

アオシジュウカラ 1970年 スイス発行

石巻や女川、南三陸、気仙沼でも復旧活動を続ける自衛隊や消防、警察の方々を、がれきから発生する多量の『ほこり』が苦しめている、と非常に強い風が吹いた5月の連休明け、新聞などが報道していました。
実際にそうした場所に立ってみて、そのひどさを痛感させられました。
立っているだけで10分程もすると、猛烈に喉が痛くなってくるのです。
道路には絶え間なく散水車が行き交っていますが、現場で何らかの作業に従事されている方々は皆マスクをしています。そうしなければ、その場所に居続ける事すらむずかしいのでしょう。
津波は仙台港の港湾施設を破壊しましたが、タンクなどから漏れだした様々な化学物質が今も地面に残留し、それらが折からの好天で気化してしまっているのかもしれません。
まる一日経ってこの原稿を書いている今も、痛みが消えません。

道路の損傷もひどく、陥没はもちろん、えぐられるように穴が空いている箇所もあり、車で進むには一瞬の気のゆるみも許されません。

そして景色。
田んぼの中には未だに破壊された乗用車やトラックがそのままになっている地域もあり、がれきの撤去など口で言う程簡単にはできない事がわかります。
蒲生地区は七北田川を挟んで、干潟で有名な北蒲生と運動公園などの施設が充実している南蒲生に分かれています。
大ざっぱな言い方ですが、干潟には水鳥が多く集まり、運動公園近くの背のあまり高くない森にはホオジロ、オオヨシキリ、シジュウカラ、カワセミなど数えきれない程多くの種類の野鳥がいました。
以前私は少しカメラに凝った時期があり、被写体として野鳥を追いかけていた時期がありました。そんな私にとって蒲生は『宝の山』だったのですが......
干潟の方は3月11日当日、津波でそっくり消失してしまいました。
その日私は損傷だらけの道を慎重に進み、小鳥たちのいた森がどうなっているのか気になり、何とかたどり着こうとしました。
でも田んぼ道の目印にしていた建物は皆流されてなくなっており、それでも記憶をたよりに森の入り口近くまで来る事ができました。
しかしその先は道路の損傷がひどく、もうこれ以上は進む事はできません。
仕方なく、目指す森を目でさがしました。
でも、見えたのはあったはずの空間だけ。
野鳥たちが鳴き交わしていた森は、何か凶悪な力でむしられたようにまばらになっていました。
頭が真っ白になり、涙だけがにじんできました。

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オラなど、死ねばいがった

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所要時間 約 4分

妻が薬剤師をつとめる薬局に、最近、宮城県の気仙沼市のおばあちゃんが姿を見せられるようになりました。年齢は80歳に近く、3月11日に気仙沼市の自宅が被災してしまったため、仙台市内の長男のお宅に引き取られ、暮らしておられるそうです。

ウイリアム・ターナーの絵画[ 平和 - 水葬 ]

ウイリアム・ターナーの絵画[ 平和 - 水葬 ]

慣れない環境もあり調を崩される事が多いため、妻に相談して必要なものをお買いになり、しばらくいろいろお話をされてから帰られます。
おばあちゃんは被災した気仙沼市の様子をお話しされた後、最後に決まってこうおっしゃるそうです。
「町も流され、若い人もいっぱい亡ぐなって、わだしらみだいな者(もん)ばがり生ぎのごって......。オラなど、死ねばいがった......」
そして肩を落として帰って行かれるそうです。
この言葉を反芻するたび、私は涙がにじんできます。
そして、考え込んでしまいます。
なぜ、生への執着を捨ててしまったのだろう、と。

薬局のある仙台市内の高台と石巻、女川、南三陸、気仙沼などの沿岸とでは、おなじ宮城県と言っても被災状況はまるで違います。
家や設備等に多少の被害はあっても、コミュニティがそのまま残った地区と、暮らしていた地域社会が消失してしまった地区では、当たり前の話ですが、その後の生活が全く違ってしまいました。
私は一度、記憶を一時的に失った事があります。
その時痛感したのは、自分の人生の記憶が無い、という事はこれまでの生に全く意味が無い、という事でした。
幸い記憶はすぐに戻りましたが、あのときの焦燥と絶望は忘れられません。

おばあちゃんは長い人生を、気仙沼の町の中に刻んできたのではないでしようか。
気仙沼に生まれ、少女期を過ごし、大人になって結婚。
そして子供が生まれ、やがて孫の世代との対面。
妻は「優しそうなおばあちゃん」と言いますから、やさしい母親であり、やさしいおばあちゃんであったに違いありません。
周囲の人々との暮らしが、気仙沼の町のあちこちに刻まれてきたことでしょう。
町のあちこちに刻まれた記憶の集積がすなわち、おばあちゃんの人生の大切な何かであったはず。
そして津波。

津波の被害のむごたらしさの第一、それは多くの人の命を一瞬にして奪うこと。
そして第二はたくさんの人の人生の記憶を奪ってしまう事、ではないでしょうか。

この震災で、自衛隊など救助にあたられている方々の素晴らしさのひとつは、そこに暮らしていた人々の記憶につながる品物をひとつひとつ大切に回収し、持ち主の方に返していらっしゃる事です。
津波に流されたはずの写真アルバムを再び手にして、泣きくずれた人が何人いたことか......

でも残念ながら、こうした現場の人々の献身だけではおばあちゃんの嘆きは消えません。
今回被災した町や村が再生し、すべての世代の人々が生き生きと暮らせるようにならなければなりません。

それはもっと大きな組織、国家、中央官庁、政党などの役割のはず。
ともすれば、高学歴や家柄だけで何やら畏敬の念を持ってしまう私たち日本人。
でも今は、彼らがおばあちゃんの嘆きをしっかりと受け止める、その資質を持っているか、いないのか?!
わたしたち日本人は、その事を問い続けなければならないのではないでしょうか?

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計画的避難って、いったい何なの?!

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所要時間 約 4分

「5月14日土曜日、ついにモーガンザ水門は開け放たれた !! 」

トランス・ミシシッピ博覧会 1898年アメリカ発行 カタログ評価が420,000円という高額評価の切手

トランス・ミシシッピ博覧会 1898年アメリカ発行 カタログ評価が420,000円という高額評価の切手

突然の話で恐縮ですが、モーガンザ水門(英語では Morganza Spillway )とはアメリカ合衆国ルイジアナ州にあるミシシッピ川の洪水調節水門の事です。ミシシッピ川は何かあるとすぐ氾濫し、流域一帯を水浸しにする「暴れ川」です。日本にも同様の「暴れ川」がありますが、ミシシッピ川は全長が6,000kmと日本にはあり得ない長さ、そして流域の広大さで私たちの想像をはるかに超えるスケールを持ち、下流は川というより非常に複雑な形の巨大湿地帯になっています。

アメリカのニュース番組はNBCもABCも5月9日の週になると、このモーガンザ水門の話題が連日トップで扱われていました。
「最悪の結果に備えて」当局は対策をとっている、と繰り返し報じていました。
というのも今年の冬、ミシシッピ川の上流にあたる一帯が例年の200%の降雪に見舞われた上、4月には大雨にたたられ、水位が1927年以来という異常なペースで上昇、このままでは下流域一帯が水没する危険が出て来たのです。

モーガンザ放水門は1927年の大洪水がきっかけで建設され、解放されたのはこれまで立った一度、1973年の4月17日だけでした。というのもこの水門を開けると、ミシシッピ川の水は少し下流にあるモーガン市一帯を水没させてしまう危険があるからなのです。ミシシッピ川の氾濫によってさらに下流のバトン・ルージュ(人口約30万)やニューオリンズ(人口約50万)を水没させないよう、放水門の水は南にある湿地帯へ流れ込むべく、ミシシッピ川の支流とその周囲約80kmをひた走ることになります。アメリカらしい豪快な解決方法ですが、水の通り道になる地域にも人々は暮らしており、彼らにとってはたまったものではありません。
NBCニュースが「タフ・チョイス」- 困難な選択、と報じるのもうなずけます。

しかし、ミシシッピ川の水位は上昇を続け、より広範なエリアの水没を防ぐため、いよいよ5月14日には水門を開けることになりました。
モーガンザ水門の南南東にあるモーガン市の郊外の『水没予定区域』の人々は家の周りに土嚢を積み、大切な家財道具は持って出て、人によっては家をまるごと『ラップして』避難していきました。
誰もが「ここまでやっておけば」と納得するまでの対策を施し、そして避難して行きました。
幸いな事に、放水後『水没予定区域』の水位は予想した程は上昇せず、多くの関係者をほっとさせているようです。

そして日本。5月15日にはついに福島県飯館村と川内村で「計画的避難」が始まりました。
20km圏外は大丈夫「のはず」、次に30km圏外は大丈夫「のはず」でした。
川内村役場は福島第一原発から約22km、飯館村役場は同じく約39km。
住民の方々はアメリカのモーガン市民同様、「ここまでやっておけば」と納得するまでの対策を施した上で、「計画的に」避難できたのでしょうか?!

はじめに「最悪の結果に備える」事を求められる。
はじめは安心させられたものの、次第にどんどん状況が悪化して、最後の最後に最悪の事態を告げられる。
あなたなら、どちらのプロセスを選択しますか?

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『つくられる?』日本のニュース

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所要時間 約 4分

先日、テレビでNHKのニュースを見ていて
「ははぁーん、つくってるなあ。」
と、感じる場面がありました。

霊峰富士と四季の植物

霊峰富士と四季の植物

首相が静岡県御前崎市の浜岡原発について、『当面の』停止要請を出した際の報道です。
いろいろな立場の人のインタビューが次々映し出されました。
まず東京の原発反対集会に参加した若い男性、やや興奮気味に明るく
「良かったと思います。」
次に御前崎市の市長、やや憤然とした様子で
「浜岡だけ停止せよ、というのは納得できない。浜岡原発を止めるなら、日本中の原発を止めるべきだ。」
次に静岡県の製茶業者の男性、抑えた口調でいかにも困った様子で
「計画停電は困る。摘み取ったお茶を煎る機械が動かなくなるし、お茶の葉を貯蔵する冷蔵庫の電気が来ないと、お茶の鮮度が下がってしまう。」

私は止める見通しが「まったく立たない」福島第一原発に加え、静岡県でも原発事故が起きてしまえば、もはや『日本滅亡』は必至 - 物理的な問題に加え、今度こそ国際社会での信用が地に堕ちて、世界中で[ Made in JAPAN ]を買う人がいなくなるという意味で - と思っていました。
ですから、ニュースを見ていて、静岡県の製茶業者の男性に一番違和感を覚えました。
「事故が起きてしまった福島沿岸では、収穫どころか一粒の種をまく事すら許されない。農業も、漁業も、工業も、商業も、そして普段の生活すら、以前の姿を取り戻す見通しがまったく立たないのだ。」と。

福島第一原発から遠くないところで、日々生々しい情報がもたらされる生活をしていれば、「つくられている」ニュースは直感的に分かってしまいます。。
『浜岡原発停止 → 福島第一原発の現状から言って当然首都圏は歓迎ムードです → でも地元には経済的恩恵があるのです → そして、計画停電が実施されて電力不足になれば、様々な産業に支障が出ます、一概には喜べませんよ。』
という「シナリオ」が、先にあったような気がしてなりません。
もちろんニュースがすべて意図的なものだとは思いませんが、ときにそうしたものも混在していることを、今回はっきり認識した訳です。

これは被災地に居て、福島第一原発の事故がどれほど大きく日常の暮らしを脅かすものか、毎日実際に見ているから感じる事なのかもしれません。
しかし、静岡のようにとりあえず福島第一原発の汚染の心配が無く、毎日美しい富士山の姿を、以前と変わりなく愛でる事のできる場所で暮らしていれば、案外すんなりと『ニュースのシナリオ』を受け入れてしまうかもしれない、と感じました。

だからこそ「しっかり見分ける目」を養う事を、被災地で暮らす私たちがまず、始める必要があるように思います。

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