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【 西側社会から見た1945年8月の日本の降伏 】《後篇》ECO

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軍国主義から解放された日本は、本格的に産業の復興、戦前を超える本格的な発展へと向かっていった
産業発展のために不可欠な重要資源の最貧国である日本は、外からでもコントロールすることが可能

エコノミスト 8月6日

ヒロシマ02
今になって振り返れば、連合国は天皇制の存続については日本人自身の判断に任せたということになるでしょう。
これは日本ではなくドイツで起きたことですが、「1国1党の強力な政治体制を確立する」という全体主義の嵐は、昔から続いてきた独立政党や政治機関を完全に根絶やしにしてしまいました。

日本でも1940年から一党独裁による国家運営を試みましたが、結局は中途半端に終わりました。
1942年に実施された衆議院議員選挙では、民政党と政友会の政治中枢は温存され、議会政治の名残りをとどめることになりました。

日中戦争の勃発以前、日本国内では別の動きがありました。
1936年と1937年の衆議院議員選挙では社会大衆党が議席を3倍に増やしました。
海軍大将や陸軍の将官に代わる日本のリーダーを、連合国がこの中から見つけられる可能性もありました。

太平洋戦争01
1940年の選挙戦の勝利により、ヒットラーは一党独裁体制をスタートさせました。
そのドイツに対しアメリカ、イギリスが1945年に決定的勝利を得たことは、日本人に民主主義の価値を実感させ、すぐさま米英両国の政治体制に倣おうと思わせた可能性があります。
そうした政治の本質は、まだ日本の中に存在するかもしれません。
しかし日本の復活は、当然ながらその大きな規模を持つ経済活動に依存することになるでしょう。
ポツダム宣言には、明らかに相応の経済要件が含まれていました。
日本の経済発展に求められたのは再武装に向かうことではなく、経済的繁栄によって仮に第二次世界大戦(太平洋戦争)で日本による侵略の被害を受けた国々に対し、賠償金の支払いを滞りなく履行できるだけの産業力を備えることでした。

しかし実際には軍備と無関係な産業の発展という命題については、ドイツを例に引くまでも無く、平和な時代にとって必要不可欠な産業の中には、いつでも再軍備に転用できるものが数多くあり、簡単ではありません。
再軍備につながる可能性のある産業をすべて排除してしまったら、ドイツの経済は完全に破たんしてしまうことになります。

Japan1960-2
戦後日本の占領統治し、その経済を軍備とは無関係に再生に向かわせることは、占領政策を実施するため日本語を理解し話すことが出来るスタッフを充分な数だけ集めるのと同じくらい困難な課題でした。

しかし幸いなことに、経済的に日本をコントロールすることは、外側からでも可能でした。
ポツダム宣言は、日本の主権を本州、北海道、四国、九州の4つの島に制限しました。
これらの地域における石炭の生産量は、かろうじて国内需要を賄える程度のものでした。
鉄鉱石の産出量はきわめて少なく、実質的にはほとんどゼロです。
石油資源もほとんどありません。
最も需要の多い金属資源を日本列島で手に入れることは不可能です。
戦争中も満州が無ければ、日本人が戦争産業を構築することは全く不可能な事でした。
戦争に必要不可欠な原材料の輸出規制が実施されれば、日本の再軍備はたちまち不可能になることは明白でした。

ポツダム宣言は日本に金属原材料の輸入権限を認め、その占領政策とは一線を画しました。
ここにおいて、日本が世界貿易に参加することが認められることになりました。
ドイツに対しては、日本以上に厳しい制限条項が課されることになりました。

Japan1960-1
1938年時点でGDPの61パーセントを占めていた軍需産業のくびきから解放された日本人は、日本経済を発展させ、アジアの復興に貢献するチャンスを与えられることになったのです。

日本が戦場にした国々との和解を行うにおいて、困難は課題は領土的問題でした。
日本が征服した全ての土地と海外の傀儡国家は、元の持ち主たちに返還されることになりました。
特に問題が発生しない地域もありました。

ヨーロッパの列強はマレー半島、インドシナ半島、東インド諸島の植民地の支配者として再び戻ってくることになりました。
アメリカ合衆国は同様に太平洋諸島、硫黄島、沖縄に対する実効支配を求め、認められました。
台湾は中国に返還されることになり、韓国人は独立を約束されました。

問題が起きそうなのは、中国大陸周辺の日本が支配していた場所でした。
1931年以降、日本人はモンゴルと沿海州を含む満州全土を実効支配していました。
これらを『元通りに』することは、現実的にはありえない選択でした。

中国内戦 1
重慶の国民党政府と延安の共産党政権はともに抗日戦争の勝者であり、互いに中国全土の主権を主張し反目し合っている状況は、いずれ内戦に発展するものとみられていました。

ソビエト連邦の存在はこうした状況を一層複雑なものにしていました。
領土問題となるとヨーロッパに限らず、ロシア人たちには帝政ロシアの方針と変わらぬ野心が見え隠れしていました。
1905年の日露戦争以前、ロシアはサハリン全土を占領し、満州にシベリア鉄道を走らせこの地域を実効支配し、遼東半島の大連に総督府を設置、中国や韓国を凌ぐ勢力を保持していました。
もしソ連がこれらの『旧領回復』を主張することになれば、重慶の国民党政府にとって容認しがたい状況に陥る恐れがありました。
しかしこれをはねつければ、ソ連はその外交方針を中国共産党政権支持に切り替える可能性がありました。

追い詰められた国民党政府は、まさに叩き売りといったレベルの譲歩を行いました。
ソ連が中国共産党を最大の盟友に加えないことを条件に、国民党政府は旧満州、内モンゴル、新疆におけるソ連の優先的地位を認めることにしたのです。
こうして国民党政府の宋子文は危機的状況を打開し、ソ連との間に諸協定を締結しました。
その詳しい内容はわかっていませんが、中国本土での戦争や武力による割拠などを避けようとしたものと思われます。

国連1950
しかし国民党政府とロシアの合意だけでは、長い間繰り返されてきた極東の武力紛争を終息させるには至りませんでした。
列強各国も紛争の終結を望んでおり、そのための十分な話し合いが行われるべきだと考えていました。
極東において完全な、そして最終的な合意が達成され次第、列強を中心とした新たな会議が持たれるべきであるという強い主張が展開されることになるのです。

http://www.economist.com/news/asia/21660628-our-coverage-japans-surrender-august-1945-victory-east?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227
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重要な指摘が数多くあった記事でしたが、結論の部分が少しわかりづらいものになりました。
途中で翻訳を打ち切ったわけではありませんが、結論は第一次世界大戦終了後に設立された国際連盟が欧州に焦点を合わせたものであったのに対し、第二次大戦終了後設立の国際連合は、アジア地区の安定を主眼の一つにしていたということでしょうか?

また中国共産党とソ連との間のぎくしゃくした関係の遠因についても、触れられています。
今考えれば、国民党政権により旧満州においてソ連の『優先的地位』などが実現されていたら、日本の外交問題はもっと深刻なものになっていたでしょう。

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【 50年前の暴動の記憶 : ロサンゼルス・ワッツ 】《1》

アメリカNBCニュース 8月11日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

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1965年、ロサンゼルスで大きな人種暴動が荒れ狂いました。
その後も人種暴動は繰り返され、現在も社会不安の一員となっており、改めて50
年前の大暴動の記憶がよみがえってきました。

ことの発端は日常的な交通規制でした。
噂が広がりいつの間にか抗議行動に発展、そしてロサンゼルスではかつて見たことがない程の暴動へと拡大しました。
ワッツ暴動は1965年8月11日に発生し、それからほぼ1週間の間荒れ狂いました。
市内を覆っていた煙が晴れると、34人の市民が死亡し、1,000人が負傷、そして600棟の建物が損害を被っていることが判明しました。(写真上)

8月12日、パトカーを取り囲むワッツ地区のデモ参加者。
暴動の初日、暴徒たちは投石を繰り返し、車から白人を引きずり出しては暴力を加えるなどの行為に出ました。(写真下・以下同じ)
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ワッツ地区の店舗で略奪をする暴徒。
2日目、暴動は一気に激化しました。
車がひっくり返されて、放火され、企業や商店は略奪された挙句、放火されました。
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8月13日バロン大通りで街路をふさぐ燃え尽きた車の残骸。
暴動の勃発したのは連邦投票権法が法律になり、そして公民権法の発効が一年後に決定して間もなくのことでした。
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8月13日暴動の2日目、逮捕され連行される暴徒。
この夜、銃撃、投石、略奪、放火が各所で繰り返され、総動員された警官が徹夜で取り締まりに当たりました。
最悪の局面を迎えた13日の金曜日、取り締まりのため州兵が投入されました。
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http://www.nbcnews.com/news/us-news/watts-riots-remembered-half-century-later-n407841

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ほんとうの「今」を知りたくて、アメリカCNN、NBC、ABC、CBS、英国BBC、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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