【 アフター・フクシマ : 悲劇から5年が過ぎて – 人びとの素顔 】《4》
海で生きる人々の生計を、わずか数分で根こそぎ奪い去った3.11の巨大津波
ボランティアも加わっての震災後の清掃活動により、かつて以上にきれいな海が出現した
ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2016年3月10日
▽ 小石浜(大船渡市三陸町綾里小石浜)
5年前、佐々木淳氏は生計を立てるために海に戻るという考えをすべて捨てるという選択をする事も可能でした。
佐々木氏は3.11の巨大津波が小石浜に押し寄せる直前、海での仕事を終え港に向かって漁船を操縦していました。
小石浜を襲った津波が大切なホタテガイの養殖棚を次々と無惨に破壊していく様子を、佐々木さんと家族は絶望的な思いで見守る以外どうすることもできませんでした。
わずか数分で、佐々木氏は金額にして約5,000万円、1,000トンの養殖ホタテガイを失ってしまいました。
「押し寄せた津波が引き波となって去って行った時、私のホタテガイ全部が一緒にさらわれてしまったことを思い知らされました。」
この地で生まれ育った45歳の佐々木さんがこう語りました。
2011年3月に発生したこの東日本大震災により仕事を奪われた他の多くの人々と同様、佐々木さんも他の漁師たちも最悪の状態から抜け出すために、差し伸べられた慈善の手にすがる以外の途はありませんでした。
数日の内には400人ものボランティア・ダイバーたちが養殖を含めた小石浜の漁業を一日でも早く再開できるよう、昼夜交代で漁場のがれきの片づけに懸命に取り組む姿が見られるようになりました。
そして東日本大震災の後設立された非営利法人の絆プロジェクトが財政援助を行いました。
「私たちが前向きな取り組みを続けられるよう、優しく背中を押された思いがしました。」
佐々木氏がこう語りました、
そして2014年には佐々木氏は、ほぼ震災前と同じ規模のホタテガイの生産を実現させたのです。
現在の小石浜湾内の水は、2011年3月11日よりもさらにきれいになった、佐々木さんがこうつけ加えました。
松に覆われた崖が連なる小石浜では、特産品として有名なカキ、ホタテガイ、ホヤを全国的に売り込み、多くの観光客を呼び込もうとしています。
「この地域全体の傾向として漁師の高齢化が進んでいますので、地域経済立ちいかせるために私たちは別の産業基盤を整備する必要があるのです。」
佐々木さんは現在12名が加盟するホタテ養殖組合の組合長も務めています。
「私たちはこの場所を新鮮で美味しい魚貝類を食べたいという人々が集まってくる場所にしたいのです。」
災害後この地にやって来たボランティア・ダイバーたちに触発され、佐々木さんもダイバーの資格を取り、暇を見つけては漁場に残されたがれきの撤去を行う一方、生計手段についても改めて見直す機会を得たと語りました。
「3.11の津波を経験させられましたが、やはり私は海に入るのが好きなのです。」
「今再びこうやって自分が育てたホタテガイを見ることができるようになりました…言うまでもありませんが、私自身が育てたホタテガイこそ、私にとって世界最高のものなのです。」
〈 完 〉
http://www.theguardian.com/environment/2016/mar/10/the-faces-of-japans-tsunami-disaster-survivors-five-years-on
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【 3月26日の報道写真から 】
アメリカNBCニュース 3月26日
3月26日東京の代々木公園で開催された【原発ゼロの日( No Nukes Day )】でプラカードを掲げる人々。(写真上)
3月26日付、印刷版として最後の号を発行した英国の日刊紙ザ・インディペンダント。同紙は今後オンライン専門紙として『発行』を続けます。(写真下・以下同じ)
3月25日キューバの首都ハバナで開催されたローリングストーンズのコンサートを、自宅のテラスで楽しむ人々。
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