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後悔のゴルフ(1)

読了までの目安時間:約 4分

ゴルフをしている人は、「自分はひとかどのゴルフ・スウィングをしている」と思っている人がほとんど、とプロゴルファーの芹沢信雄氏。
確かに私自身もそう自惚れていた一人でした。
しかし、今度の大震災に見舞われ、それまで月に3回以上はラウンドしていたのに、ここのところ予定を立てることもままなりません。というのも、ホームコースは「地震でコース、クラブハウスともに大きな損害を受け、現在復旧の見通しが立たない」ためです。加えてここよりひどい被災地の人々の姿が、ゴルフフバッグを車に放り込んで、いざ....という気持ちにはさせてくれません。そこで、この機会に自分のスウィングの欠点を徹底修正することにしました。
ゴルフに興味の無い方に念のためご説明しますと、ゴルフは
1. 止まっているボールを打つ
2. ボールが小さくて硬い
3. 距離に応じて14本のゴルフクラブを使い分ける
ところから、常に合理的なフォームでゴルフクラブをスウィングすることを求められます。
私はゴルフの習いはじめからレッスン・プロにつくことができたので、人には「ゴルフスウィングがきれい」と言われることがあります。ところが今回、改めて自分でチェックしてみて、まったくそんなことはないことが解りました。
きれいなスウィングとは、プレッシャーの無い場面でそこそこのスウィングができることなのでしょうか ?
ゴルフコースはテレビなどで見ているとほとんど平らに見えますが、実は微妙に凹む・出っ張る・傾くなどしており、これにボールが小さいことが加わり、ゴルファーにとっては大きなプレッシャーとなります。
結果、このような場面に遭遇した私たち素人のフォームは、「穴掘り」「どじようすくい」状態に陥り、格好も結果も実にみっともないものになってしまうのです。
一方、プロはこんなとき、どんな状況にあるかきちんと確かめ、きれいなスウィングのままでボールを打てる体勢を作ります。そして、スウィング。ボールは思い通りの軌跡を描きながら飛んで行きます。
要は型を覚えた上で、それを実戦で使えるかどうか、ということなのだと思います。
なんでだかは解りませんが、日常生活の中でもうろたえることの多い私は、ゴルフコースのあちこちでうろたえてミスショットを量産、今日も後悔のゴルフをして不得要領のまま家路につくのでアリマス。
あーあ、つらいなァー...

クリケット

こちらは同じ英国生まれの玉ころがし、州対抗クリケット100年

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“安楽拓也の飛ばしのチェック項目” -あなたのドライバーはなぜ飛ばないのか?- 【DR0007】

それでも花粉症はやってくる

読了までの目安時間:約 3分

こんな時ぐらい、やってこなくともよさそうなものなのに...
そう、花粉症です。
私は花粉症の季節には小青竜湯(しょうせいりゅうとう)という漢方薬を服用し、不快な症状を抑えていました。
※ 小青竜湯は鼻水、くしゃみ、目のかゆみ、湿った感じの咳に効果がある
ところが、震災の影響で物流がストップ、いつものんでいる顆粒の小青竜湯が手に入らなくなりました。
「困った...」
と私が言うと、女房殿が応えました。
「煎じ薬の小青竜湯をのめばいいじゃない。」
そうか、その方がもっと効くかもしれない。
幸いタキザワ漢方廠の小青竜湯のティーバッグがありましたので、耐熱容器を使って電子レンジで15分程煮だし、保温ボトルに入れて、暖かいまま一日数回に分けて服用するようにしました。
す・る・と
鼻水も、目のかゆみもピタッと治まりました。
漢方の液剤は新薬の静脈注射と同じぐらい、すぐに良く効く、と以前聞いた事がありましたが、まさにその通り。
私たちがふだん馴染んでいる漢方薬は顆粒、もしくは錠剤ですが、もともとは『草根木皮』といって、薬効成分のある植物のさまざまな部分を乾燥させ、砕いて、それを長い時間かけて煮だした汁を飲んでいたのですから、もともと煎じ薬の方が効果があるのは当たり前のことでした。
実は市販されている顆粒の漢方薬の中にも、「お湯に溶かして服用する」ものもあるのです。
小青竜湯の煎じ薬は漢方の中でも「マズい」方だと言われますが、暖かいとさほど飲みにくくもありません。
この春は、小青竜湯入りの保温ボトルがあれば乗り切れそうです。
それにしても漢方薬の煎じ薬、こんなに効くとはちょっと驚きでした。

西ドイツ1971年発行 児童福祉

西ドイツ1971年発行 児童福祉


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マネ、モネ、セザンヌ、ルノアール

読了までの目安時間:約 4分

今や絵画・西洋画と言えば、やはり最初に思い浮かぶのは『印象派』の絵の数々、この点はどなたも異論は無いと思います。そして印象派と言えば、マネ、モネ、セザンヌ、ルノアール。これ、呪文のようなものです。
実はマネの生まれた1832年からセザンヌが生まれた1839年までの間に、ドガ(1834年生)シスレー(1834年生)などが生まれているのですが、はじめの4人こそ印象派を代表するとする評価は不変です。
もっとも『印象派』という言葉には、彼らが活躍していた当時、あまりいい「印象」はなかったようです。作曲家のドビュッシーがこの当時、パリ音楽院の学生だったのですが、持ち前の輪郭のにじんだような作品を課題として提出した際、校長だったサン・サーンスに呼び出され、
「こんなボヤッとした、あの(ろくでなしの)印象派の連中の絵みたいな曲ばかり作ってると、将来ろくな作曲家にはなれないぞ。」
と注意を受けています。
大作曲家サン・サーンスと言えど、マネ、モネ、セザンヌ、ルノアール、そしてドビュッシーの評価については間違ってしまいました。
けれども絵画に少しばかり興味を持ち始めた10代の頃、まず開かなかったか、開いてもすぐに「バタン」と閉じていたのがこの4人の画集でした。
なんだか当たり前のことを、当たり前に描いているだけのような気がして、100年以上も後の人間が改めて見なければならない価値を感じませんでした。当時はロイ・リキテンシュタインやアンディ・ウォホールと言った人たちの『ポップ・アート』の方がずっと魅力的でした。
中でも気に入らなかったのがルノアールで、まるまるとした輪郭の裸婦・女性の肖像画については、まったく受け入れがたい印象を持っていました。たとえばモディリアーニ(アマデオ、1884 イタリア生まれ - 1920 フランスで没)の人物画が、一目見ればそこにある情感をストレートに伝えているのに対し、脂肪のたるみ(?)までもそのまま描写したような裸婦の絵画は、本格的に絵の勉強をしていた訳ではない10代には理解できませんでした。
そして現在、これまで何回か印象派~後期印象派の実物を見る機会がありましたが、モディリアーニの絵の美しさに対する憧憬は変わらないまま、ルノアールの作品に対しては驚嘆の思いを持つようになりました。
特に代表作の一つ、【ムラン・ド・ラ・ギャレット】という作品には、ただの人の集まりをこれほど美しく情感を込めて描けるものなのか、とあらためて賛嘆の思いを捧げるしかありません。頭上にある(画面の中にはありません)大きな樹の木の葉の間から降り注ぐ太陽の光が、人々の顔や洋服を様々な模様に染め上げ、そこにいる人物の表情と解け合い、まさにルノアールだけの世界を描き出しています。
この作品が個人の所蔵ではなく、パリのオルセー美術館が所蔵しているため、いつでも世界中の人々が鑑賞可能なことを神様に感謝したい気持ちです。かつてルノアールを見ても何も感じなかった人間が、です......
大震災に見舞われ、もうすぐ一ヶ月。でも、様々なアウトドアの楽しみやレジャーが震災前通りとはいかないでしょう。
もしご自宅にしまい込んだまま忘れてしまっているような画集などをお持ちなら、この機会に開いてみませんか ?

ムラン・ド・ラ

ムラン・ド・ラ

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たんぽぽとモンシロチョウと…

読了までの目安時間:約 3分

先週あたり、アメリカのABCのニュース番組でも「Is This spring ?! - ほんとに春なの?!」と言ってましたが、日本でも特に被災地の寒さが気づかわれていました。
4月5日の今日、やっと仙台の日中の気温も10度を超え、春の到来のようです。
私にとって感覚的に『春』とは、道ばたのあちこちにタンポポが咲き、モンシロチョウがあちこちひらひらと飛び回っている景色です。

私が幼い頃は仙台市内の中心部と言え、幹線道路以外は未舗装の道も多く、春になれば至る所タンポポが咲いていました。別に目的も無く、モンシロチョウが風に流されて飛んで行くのと一緒に何となく広瀬川が流れる方に歩いて行くと、河原近くにはつくしがたくさん生えています。そしてシロツメ草(クローバー)あちこちに群生し、そこにもモンシロチョウが舞っている姿が...
ふんわりと柔らかい草の上に腰をおろし、ぼーっとしながら蝶が舞う姿やタンポポの黄色とクローバーの白い花を眺め、ゆっくりと時間が流れて行くのに身をまかせます。

何をするでも無く、何を考えるでも無く...

そして帰り道、菜の花畑の前を通ると、満開の黄色い花が一面に広がっていました。暮れなずむ夕陽を浴びて、今度の震災では、東北太平洋岸に暮らす人々はそれぞれに心に傷を負いました。
私の家族も例外ではありません。
車なら行くのに10分もかからない仙台市~多賀城・七ヶ浜の東岸には、見る者を戦慄させずにはおかない廃墟が広がっています。
『復興』のためには、この現実をしっかり心にとどめておく必要があるでしょう。
でも、今度の休みには家族を乗せて、たんぽぽとモンシロチョウがいて、そしてできれば桜も咲いている暖かい場所に行き、家族ともども心を休ませたいと思います。

アルゼンチンの春

アルゼンチンの春

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新聞紙とおがくず

読了までの目安時間:約 3分

4月4日朝のニュースを見て、ア然としました。
福島第一原発の事故で計測できないくらい高濃度の汚染水の流出を食い止めるため、東京電力が行った『対策』の一つに、新聞紙とオガ屑(木にカンナをかけたときに出る、非常に薄い削りかす)で穴を塞ぐ試みをした、というものでした。
そして、失敗した、と。
EUの原子力委員会の委員長が、福島第一原発の事故後の日本の対応を『信じられない程場当たり的』と評価したそうですが、これなどその最たるものではないでしょうか。

NHKで一昨年から『坂の上の雲』の放映が始まり、今年の年末にはいよいよ「旅順」「奉天会戦」「日本海海戦」などのクライマックスシーンが目白押しの予定です。
司馬遼太郎さんの原作の中、「旅順」の項にこんなシーンがあります。
ロシアが重火器を大量に配置して築き上げた近代要塞に対し、兵に全身露出の肉弾攻撃を強いて膨大な数の犠牲者を出し続ける、日本軍の旅順攻撃担当司令部。犠牲者の数は北方で野戦をしている日本陸軍本体とは、比較にならないペースで増え続けます。
その作戦参謀長が改めて旅順要塞に対し総攻撃を行うにあたり、何も新たな攻略方法を考えることなく、ただ攻撃の日を「偶数日とする。偶数は2で割ることができる。したがって要塞を割ることができる。」と言い放つシーンが出てきます。
作者は書きます、「この程度の知能が日本の命運をかけた作戦を立案している。(これでは)兵も死ぬであろう...」と。
日本人が旅順攻略で見せた『民族的欠陥』(作者の表現)というものが、100年を経てもなお改善されてはいない、ということが、今度の福島第一原発の事故で証明されないように、ひたすら祈るばかりです。
このたびの事故で、何が根拠で高濃度の放射能汚染水に対して「新聞紙とおがくず」なのかは解りませんが、バケツ一杯の水を処理するのにいったいどれだけの新聞紙が必要か。それが写真や映像で見る限り、一分間に何リットルもの高濃度の汚染水が流れ出ているのです。

【フランス・ランスの潮力発電所完成】1966年発行

【フランス・ランスの潮力発電所完成】1966年発行

バキュームカーで休み無く吸い続けて対応できるレベルだと思うのですが、新聞紙とおがくずを言い出した人に話を聞かなければなりません。
でも、聞いた後にこう言わなければならないのではないでしょうか。
「福島沿岸の市も、町も、滅びるであろう...」と。

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