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【 なぜ彼らは戦争を欲するのか?! 】《5》[GRD]

読了までの目安時間:約 9分

世界の重要市場、豊富なエネルギー資源、重要資源にアメリカは自由にアクセスする権利を持ち、妨害する者に対しては一方的に軍事力を行使する権限を持っている
国益が犯されれそうになった時には、アメリカ合衆国は不合理でしかも報復的になることは充分にありうる
日本を焼け野原にするための徹底空襲作戦、アメリカは開戦前にすでに準備を進めていた

ノーム・チョムスキー / ガーディアン 2014年8月6日

fallout
冷戦後にアメリカ歴代の政権が採った行動と基本外交政策はいずれも地球上の市民たちを安心させられるようなものではありませんでした。
大きな自尊心を持った歴代の大統領たちは、見栄えのする基本外交政策が必要だと考えました。
第42代クリントン大統領の外交政策はひとつのスローガンに要約されていました。

multilateral when we can, unilateral when we must
出来ることをするときは多角的であるべきであり、しなければならないことをするときは一方的であるべきである

議会においてクリントン大統領は『しなければならないとき』という言葉の定義についてより詳しく証言しました。
世界の中の重要な市場、豊富なエネルギー資源が存在する地域、そして国家戦略上重要な資源がある場所に、アメリカ合衆国は誰にも邪魔される事無く自由にアクセスする権限を持っている。
そのために、一方的かつ圧倒的軍事力を行使する権利を持っている。

防空識別01
クリントン政権時代に創設されたアメリカ戦略軍(STRATCOM)はソビエト連邦崩壊後に冷戦後の抑止力、すなわち兵力増強による戦争抑止政策に関する重要な研究結果を公表しました。
そしてクリントン政権は前代のブッシュ大統領(父)がソ連のミハイル・ゴルバチョフとの間に交わした東ヨーロッパの旧共産圏諸国をNATOには加盟させないという約束を破り、加盟国を東へと拡大して行きました。
その影響は現在にまで及んでいます。

このアメリカ戦略軍の研究は「冷戦後の時代の核兵器の役割」についても分析・研究を行いました。
中心となる結論はこうです。

非核保有国に対してすら、米国は核ミサイルによる先制攻撃を行う権利を維持し続けなければならない。

そして地球上のいかなる危機あるいは紛争に対しても、アメリカはいつでも核攻撃できるという事を認識させるべきである。
この考え方について、ダニエル・エルズバーグは次のような例を用いて繰り返し強調しました。
怪しい人間を見つけたら銃口をその男に向け続ける。
ただしその男が実際に店に押し入るまでは、引き金を引いてはいけない。

year02
そしてアメリカ戦略軍の論文はこうもアドバイスしています。
「敵が最も重要だと考えているものを見つけ出す際、作戦立案者はさほど理性的である必要はない。」

あらゆるものが標的とされ得るのです。

「合理的であろう、冷静であろうとするあまり、自分自身を見失うことは有害である。
我が国の重要な国益となるべきものが攻撃されている状況の下では、アメリカ合衆国は不合理でしかも報復的になることは充分にありうることなのである。」
「もし何事かが制御不能の事態に陥る危険性が認識されれば、」つまりは明らかな国連憲章違反となる核攻撃の絶え間ない脅威を誰かが認識することになれば、むしろそれは「アメリカが採るべき戦略的体制を築き上げることに貢献する」ことになるのです。

ここに述べられていることに、人類が達成すべき崇高な目標などはほとんどありません。
あるいは地球上の災いを取り除くために、拡散防止条約の下での欲得づくでは無い「誠実」な取り組みをつづけるという要素もありません。

HUF12
代わりにあるのは、ヒレア・ベロックの有名なマキシム砲に関する言葉のようです。
「たとえ何が起きても、勝利するのは我々である。原爆、そして敗者となるのは彼らの方である。」

クリントンの次の大統領はご存知の通り、ジョージWブッシュです。
ブッシュ大統領は『できるだけ強力な抑止力を整備する』という第二次世界大戦以前からのアメリカ軍の方針を引き継ぎました。

第二次世界大戦(太平洋戦争)では日本は宣戦布告と同時に太平洋にある2か所のアメリカ軍の基地(ハワイ真珠湾とフィリピン)に対し、大規模な攻撃を行いました。
当時のアメリカ軍がB-17爆撃機フライング・フォートレス(空の要塞)を急ピッチで生産・配備を進めていたことをつかんでいた日本は、できるだけ多くこの爆撃機を破壊することをこの攻撃の主目的のひとつにしていました。
B-17は大日本帝国の産業集積地である本州と九州にある人口密集地の、『竹と紙でできた』設備を焼き払う焼夷弾を雨のように降らせる能力を持っていたのです。

空襲後の北九州
この計画はすでに開戦前にアメリカ空軍クレア・シェンノート将軍の手によってまとめられ、フランクリン・ルーズベルト大統領、コーデル・ハル国務長官、軍参謀長ジョージ・マーシャル将軍から強い支持を受けていました。

-《6・最終回》へ続く -
http://www.theguardian.com/commentisfree/2014/aug/06/hiroshima-day-nuclear-weapons-cold-war-usa-bomb
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まさに今、日本の国会で強引に成立が図られている安全保障関連法案、その成立を強力に後押ししているアメリカの意図を懇切に解説してくれているような記事です。
少し前に日本の民主党政権を崩壊させるための工作を米国オバマ政権が行っていたというエコノミストの記事をご紹介しましたが、安全保障関連法案を成立させることで、安倍首相はアメリカ側からどのようなギャランティを引き出そうとしているのでしょうか?

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【 追いつめられていく難民たち 】

アメリカNBCニュース 9月15日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

DAY01
9月15日ハンガリー南部のレーツケで、オーストリア国境行の列車を待つ間、仮眠をとるシリア、アフガニスタンからの難民。(写真上)
ハンガリー警察は流入し続ける難民に対する取り締まりの強化を続けており、身動きが取れなくなる前に何とかしたいという難民の焦りがりれ募り続けています。

9月15日ハンガリー国境近くのセルビア、ホルゴスの地面の上で休むシリア難民の少年。
セルビアとハンガリーを結ぶ幹線高速道路では、越境を求める難民たちとハンガリー警察との間で押し問答が続いています。(写真下・以下同じ)
DAY02
ハンガリー南部のレーツケで、オーストリア国境行の列車を待つ間、ひまわり畑の中を歩く少年。
DAY03
9月15日セルビア、ホルゴスのハンガリーとの国境。
ハンガリーはセルビアと国境を接する2つの郡で難民危機に関する非常事態宣言を発し、警察その他の行政機関にこの問題に対応するための特別権限を与えました。
day04
9月15日セルビアからハンガリーに越境した後、警察によって身柄を拘留された難民と話す警官。
ハンガリーの保守政権は、際限もなく流入を続ける難民をEU各国がどう引き受けるか合意が出来ないのを受け、これ以上の難民が入り込まないように主な陸路を封鎖しました。
DAY05
http://www.nbcnews.com/news/world/europe-closes-borders-stranding-migrants-crossings-n427846

【 なぜ彼らは戦争を欲するのか?! 】《4》[GRD]

読了までの目安時間:約 9分

核戦争につながりかねない危機、それは私たちが知らない場所で何度も繰り返されてきた
一歩間違えばソ連の核兵器報復を招きかねなかった、レーガン政権の防空システム実地検証作戦
歴代政権の政策担当者にとって、一般市民の生命を守ることは最優先事項ではなかった

ノーム・チョムスキー / ガーディアン 2014年8月6日

冷戦ミサイル
ケネディ大統領の顧問であり、個人的にも親しかった歴史家アーサー・シュレジンジャーはキューバ危機あるいはミサイル危機について、「歴史上で最も危険な瞬間」と表現しました。

危機が頂点を迎えた10月下旬、ケネディはフルシチョフからの1通の極秘の書簡を受け取りました。
内容は、トルコに配置されているアメリカのジュピター・ミサイルを撤去すれば、キューバに配置されたソ連のミサイルも撤去する用意があるというものでした。
ジュピター・ミサイルは当時とすでに旧式兵器であり、アメリカはケネディ政権の手により地中海に核ミサイルを搭載したポラリス潜水艦を配備し、核攻撃能力を格段に進化させていました。

書簡を受け取ったケネディ大統領は、フルシチョフ提案を拒否した場合の主観的評価を行いました。
結論は核戦争が発生する危険性は33%~50%に上る、というものでした。
アイゼンハワー元大統領は米ソ間の核戦争が勃発すれば、北半球が全滅することになるだろうと警告を発していました。
それにもかかわらずケネディ大統領はソ連国境沿いに配置したトルコ領内のミサイル撤去を『公式に』受け入れることを拒否し、キューバからのミサイル撤去だけを公式に明らかにすることを要求したのです。
これはアメリカはどこにでも自由に、ソ連国境沿いにミサイルを配置できるという権利を認めさせることが目的でした。

広島平和記念資料館内
人類史上これ以上は無いという程危険な決断が下された瞬間でした。
しかし今日聞くことができるのは、ケネディ大統領の冷静な勇気と政治的手腕に対する高い評価だけです。

その10年後の1973年のアラブ・イスラエル戦争の終盤、アメリカのニクソン大統領の国家安全保障担当補佐官ヘンリー・キッシンジャーは、核兵器使用の可能性をちらつかせました。
その目的はロシアに対し、イスラエルの勝利を確定させるために彼が行なってきた緻密な計算に基づく外交的策謀の邪魔をしないよう、警告を発することでした。
中東地区においてアメリカが一方的に有利な立場を維持していくためには、イスラエルが勝利する以外の選択肢は無かったのです。
この策謀はきわめて緻密である分、どこかで歯車が狂えばたちまち崩壊する危うさも持っていました。

アメリカとロシアは共同でイスラエル・アラブ側の双方に停戦を要求しましたが、キッシンジャーは水面下でイスラエル側に接触し、停戦要求を無視しても構わないと伝えました。

こうしたことからアメリカはロシア側に核兵器使用をちらつかせ、追い払う必要があったのです。
一方、アメリカ人の安全は従来と変わらないままでした。

中東戦争
10年後、レーガン政権は空からの攻撃、そして海からの攻撃をシュミレーションすることによって、ソ連の防空体制を徹底的に検証する作業に着手しました。
さらに核攻撃に対するソ連側の警戒態勢のレベルを『実地に』検証する作業も始まりました。
これらは米ソの緊張関係が緊迫する状況の中で行われました。

アメリカはモスクワまで飛行時間5分以内のヨーロッパ各地にパーシングII戦略ミサイルの配備も進めていきました。
さらにレーガン大統領は戦略的な防衛プラン、いわゆるスーウォーズ計画を発表しました。
ソ連側はこの計画について、核ミサイル攻撃の中で最も警戒しなければならない第一撃に対する最も効果的な防衛態勢の構築と理解し、両陣営で最強の防衛プランとみなしました。
米ソ間の緊張は高まりました。

レーガン政権による一連の軍備拡大政策はソ連国内では、大きな警報となって鳴り響きました。
アメリカ国内における計画が順調に進んでいたのに対し、ソ連国内では体制の弱体化と実質的な崩壊が始まり、大きな混乱が発生し、1983年には大きな戦争パニックに発展したのです。
新たに公表された歴史記録は、歴史家がそれ以前に分析し結論づけたものより、現実は一層危険なものであったことを明らかにしました。

核ミサイル
ここに冷戦のひとつの難問と題されたCIAの分析資料があります。
1983年のソビエト国内における戦争パニックに対し、アメリカの情報機関が、ソ連の懸念とこれ以上アメリカの核攻撃・防衛能力が大きくなる前に先制的に核攻撃を実行しようと本気で考えていた事実を過小評価していた可能性について指摘しています。
『戦略研究ジャーナル』誌は当時の状況について、ソ連側が防衛上の必要から先制的核攻撃の実施について、真剣に検討していたとする論文を掲載しました。

2013年9月英国BBCが放送した番組は、この米ソ間の緊張が世界的危機にまで発展し、危険が最高潮に達したまさにその瞬間に起きた事実を明らかにしました。
ソ連の早期警戒システムがアメリカ合衆国からのミサイル攻撃を探知、ソ連領内の核ミサイルシステムに対し、最高レベルの警報を発したのです。

ソ連軍における対応手順は、アメリカに対し核ミサイルによる報復攻撃を行うことを定めていました。

人類にとって幸いなことに、当直任務についていた士官、スタニスラフ・ペトロフは報復攻撃命令に従わず、上官に対する警告も行いませんでした。
彼は後に正式なけん責処分を受けることになりました。
しかし少なくとも北半球で暮らす人類は、彼の職務怠慢のおかげでこうして今生きていることが出来るのです。

Astro6
レーガン政権の政策担当者にとって一般市民の生命を守ることは、それまでの政権同様、最優先事項ではありませんでした。
それは現在までずっと変わらずに続いています。

エリック・シュロッサーの研究『指揮と統制』によれば、これまで何度も偶発的核戦争に発展しかねない事態が、これまでの数十年間繰り返し起きています。
なによりまず核兵器の存在、そしてダマスカス(米国アーカンソー州で起きた大陸間弾道ミサイル・サイロで発生した爆発事故)事故(1980年)、核兵器が安全を守るという幻想…。

言葉を変えれば、バトラー将軍の結論(《1》を参照してください)に反論することは難しいという事なのです。

-《5》へ続く -

http://www.theguardian.com/commentisfree/2014/aug/06/hiroshima-day-nuclear-weapons-cold-war-usa-bomb
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【 あの日、犠牲になった市民たち 】

アメリカNBCニュース 9月11日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

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2015年9月11日、同時多発テロ発生の14周年を迎えました。
2001年、ニューヨーク、ワシントンD.C.とペンシルバニア州で行われたテロ攻撃により、約3,000人の市民が犠牲になりました。
犠牲者の名を刻んだ銘盤には、この日多くの花が供えられました。

テロ攻撃で殺された叔父を偲ぶ少年。(写真下・以下同じ)
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犠牲者の名が刻まれた銘盤の前を歩く、テロリストに乗っ取られた93便に乗り合わせて犠牲になった久世としやさんの母、やちよさん。
201591107
201591108
http://www.nbcnews.com/news/us-news/nation-honors-victims-sept-11-attacks-n425461

【 積極的平和主義、窮迫する難民の救済には手を差し伸べず : 日本政府、ISISとの戦闘には240億円を支援する一方、難民の受け入れは行わず 】[GRD]

読了までの目安時間:約 9分

イスラム国(ISIS)に爆弾の雨を降らせることは熱烈支持しても、難民の苦しみには冷淡な『積極的平和主義』
シリア難民の年間受け入れ実績・アメリカ合衆国21,171人、ドイツ10,915人、フランス9,099人、日本は11人。

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 9月9日

シリア難民 1
国連の難民救済事業に米国に次いで2番目の多額の支出を行っている日本ですが、2014年の難民受け入れ実績は5,000人の申請に対し、わずか11人というものです。

イスラム国(ISIS)に対する軍事作戦には金融面、政治面での全面的支援を行うと首相自らが誓った日本ですが、現在差し迫った危機となっているシリア難民を受け入れるためのプランは現在のところありません。

レバノン、ヨルダン、その他の諸国はすでにシリアやイラクなどの戦闘地帯から逃れ出てきた何十万人という難民を収容するため懸命の取り組みを行っていまが、数千キロ彼方にある欧州連合の各国も、さらに難民の受け入れを行うことを表明しています。

すでに13,750人の難民を受けてれているオーストラリア政府も、さらに12,000人のシリア人、イラク難民を受け入れると表明しました。

Day07
ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領は20,000人のシリア難民の受け入れを表明し、次のように語りました。
「この平和な国土を共有できるようになることを歓迎するとともに、ともにこの国の開発・発展に尽くしていきましょう。」

しかし日本政府は同盟各国と「協力して」今回の危機に当たると表明しただけで、今の所政策を変更してシリア難民を受け入れる予定はないと表明しました。
日本の外務省官僚は次のように述べました。
「日本は事態の推移を非常に注意深く見守っており、国連を含む国際社会と協調しながら、日本がどのような役割を果たすことができるか目下検討中です。」
「中東・アフリカ地区から大量の難民が流出し、多くの人命が失われたことを日本政府は把握しています。日本は援助を求める訴えに絶えず細心の注意を払っています。」

Syr07
NPO法人「難民支援協会」の副代表理事を務める石井宏明氏は、政府の態度が変わる可能性があると語りました。
「政府内で議論が続いていることは確かです。」
ガーディアンの取材に対し、石井氏はこう語りました。
すでに日本国内にいる60人のシリア難民のうち、定住を許可されたのは3人です。
他に30人が人道的な理由のために長期滞在を認められています。

「難民危機への対処において、日本はアジア太平洋特において率先して指導的立場を取らなければならないはずです。」
石井氏はこう語り、次のように続けました。
「人道的な懸念から日本が難民援助のために真剣に様々な取り組みを行えば、シリア難民とイスラム国(ISIS)の迫害に遭っている人々に対する思いやりの深い政策を取っていることを対外的に表明することになり、すでに日本国内に避難している400人のシリアの人々に対する保護の改善にもつながるはずです。」

安倍 1
2015年1月中東諸国を歴訪した安倍首相はエジプトでの記者会見で、イスラム国(ISIS)に対する軍事作戦を行っている国々対し2億ドル(約240億円)の『人道支援』を行うことを誓いました。
この会見に触発されたイスラム国(ISIS)は、日本政府に日本人人質への身代金支払いを拒絶されると、人質2名の残忍な処刑を行いました。

国連難民機関に対する日本の資金協力は2015年1億8,160万ドル(約220億円)で、アメリカ合衆国に次ぐ規模の多額の寄付を行っています。
しかしそれほど多額の資金協力も、実際に難民となって亡命を希望する苦しんでいる人々の逼迫した財政状況を救うことはありませんでした。

2014年、日本の法務省には5,000人に上る難民から亡命申請が行われました。
これは2013年の1,740人を著しく上回るものでした。

しかし認められたのは11人だけでした。

Syria05

「認定率がこれほど低いのは恥ずべきことです。」
出入国管理問題の専門家である渡辺彰悟弁護士がこう語りました。

対照的にアメリカ合衆国は2013年、21,171人の難民の亡命申請を受理しました。
以下、
ドイツは10,915人。
フランスは9,099人、それぞれ難民を受け入れました。

ニッポン.comウェブサイトへの原田和徳氏の書き込みによれば、出入国管理に極めて厳格な韓国ですら、2014年には57件の亡命申請を受理しました。
原田氏によれば、2014年末現在、日本に出されまだ処理されていない難民としての亡命申請は633件に上っています。
アムネスティ・インターナショナルによると、世界の富裕国のうち、ロシア、シンガポール、韓国、そして日本はシリア難民を受け入れ、定住させるための施設を全く整備していません。

Mig 4
難民問題に対し、日本政府がもっと前向きな態勢をとるよう求める声は日に日に高まっています。

今週、難民問題の監視と解決を担当する国連事務局長の特使であるピーター・サザーランド氏は日本、米国、そして裕福な湾岸諸国に対し、シリア難民問題に関して「彼らの責任に向き合う」ように求める異例とも言える声明を発しました。

http://www.theguardian.com/world/2015/sep/09/japan-takes-no-syrian-refugees-yet-despite-giving-200m-to-help-fight-isis
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今日は【 彼らはなぜ戦争を欲するのか?! 】《4》を掲載する予定でしたが、同じガーディアンに難民危機に関し日本との関わり合いについて指摘する記事が掲載されましたので、次回に延期し、こちらを先に掲載します。
折しも国会では『積極的平和主義を実現する、集団的自衛権行使を可能にするための』安全保障関連法案が審議中です。
この記事は、その肝心の積極的平和主義の核心の一つを衝いています。

Syr08
積極的平和主義を本心から標榜するのであれば、理不尽な殺され方をする戦場から逃れ、家族に平和な暮らしをさせたいと必死の逃避行を続ける難民の人々に、必ず目が向くはずです。

しかし日本政府は「難民問題の事態の推移を非常に注意深く見守っています」が、ドイツをはじめとするEU諸国の対応と比較した場合、具体的には何もしていません。

Day10
ドイツ国際放送の記事が
「多くの日本国民が安全保障関連法案の本当の目的に疑念を持っている」
という指摘をしました( https://kobajun.chips.jp/?p=24714 )。
まさにその事が透けて見えるような『積極的平和主義』の現実のひとつを、この記事は指摘しています。

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【 待望の国境越えが実現した難民たち 】《2》

アメリカNBCニュース 9月5日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

シリア難民 6
9月5日、ハンガリーからオーストリアのウィーン駅に到着し、救援物資のパンを食べるシリア難民の女の子。(写真上)

オーストリアのザルツブルグ経由でドイツ、ミュンヘンに到着し、支援物資を受け取り笑顔を見せるシリア難民。(写真下・以下同じ)
シリア難民 3
支援物資のチョコレートをかじる難民の子供。
シリア難民 4
9月5日、オーストリア、ウィーン駅前のシリア難民の家族。
シリア難民 5
9月5日、ハンガリーとの国境沿い、オーストリア領内のニッケルスドルフに到着した難民の母子。
シリア難民 2
ハンガリー国境を越えて、オーストリアを目指す難民を乗せたバスの車列。
シリア難民 7
オーストリアへ向かうバスの車中で眠る母子。
シリア難民 8
http://www.nbcnews.com/storyline/europes-border-crisis/thousands-migrants-stream-austria-germany-after-ordeal-hungary-n422351

【 なぜ彼らは戦争を欲するのか?! 】《3》[GRD]

読了までの目安時間:約 7分

たとえ国民を危険にさらすことになっても、大国は国家を強大にする道を選ぶ
ソ連側が兵員と兵器を自発的に縮小させ繰り返し軍縮を提案したにもかかわらず、一方的に軍備増強を続けたアメリカ
国民の生命・財産を守るという本来の防衛目的が、政治の場では二の次にされてしまう

ノーム・チョムスキー / ガーディアン 2014年8月6日

fallout
1952年のドイツを再統一し非武装中立国とするスターリンの提案を前向きに評価したのは、当時尊敬されていたアメリカの政治解説者ジェームズ・ウォーバーグでしたが、他は無視するかあるいは嘲笑しただけでした。

しかし最新の研究はスターリンの提案について、異なる解釈を行うようになっています。
がちがちの反共産主義であるソビエト学者アダム・ウラムは、スターリンの提案について「答えの無いミステリー」と表現しました。

アメリカ政府は「ソビエト連邦が主導権を握ることをきっぱりと拒絶することに、ためらいを見せませんでした。」
しかし彼はこう書きます。
「ただしそこには、尽くせぬ疑問と驚きが残ったままだった。」
政治的にも、学問の上でも、いやそもそも普通に考えて『根本的な疑問』が未解明のまま残されることになったのです。
ウラムはさらにこうつけ加えました。
「スターリンはドイツで本当の民主主義を実現させるために、誕生したてのドイツ民主主義共和国(旧東ドイツ、DDR)を犠牲にするつもりはあったのでしょうか?」

冷戦ベルリン大空輸
ソビエト連邦の事歴についての最新の研究結果について、最も尊敬される冷戦学者のひとりであるメルビン・レフラーは、多くの学者が(ラブレンチ)ベリヤに関する最新の資料に驚くことになったと語りました。
ベリヤこそはソビエト連邦の秘密警察の、残忍この上ない長官だった人物です。
このベリヤが『東西間の緊張状態の解消』のため、『東ドイツの共産主義者を犠牲にすることを承知で』ドイツを再統一の上中立国とすることを提案したのです。
これによりベリアは、併せてソビエト連邦国内においても政治的、経済的問題を解決できるとしたのです。
しかし西ドイツは北大西洋条約機構(NATO)の加盟国になることを選択し、このチャンスは失われてしまいました。

こうした状況から、もしもこの協定が成立すれば地平線の彼方から大陸間弾道弾が現れてアメリカ国民を殺戮するという重大な脅威を取り払うことも不可能ではありませんでした。
しかし現実にはこの協定はほとんど真剣には検討されませんでした。

この現実は、こうした場では国民の生命・財産を守るという本来の防衛目的が、政治の場では二の次にされてしまうという衝撃的事実を証明するものです。

冷戦ミサイル2
軍縮のチャンスが生まれても政治的につぶされてしまうというパターンは、その後も繰り返されました。

彼は経済的後進性を克服し、ドイツ軍との戦場となり荒廃してしまった国土を回復に専念するためには、アメリカとの軍拡競争を何としても避ける必要がありました。
フルシチョフは米ソ両国が大胆に攻撃用兵器を削減するという軍縮を提案しました。

提案を受けたケネディ政権は、この提案を検討し、そして拒否しました。

そしてすでにソ連に対し軍事力において圧倒的に優勢であったにも関わらず、さらに急ピッチの軍事力増強へと舵を切ったのです。

当時ケネディ政権の戦略顧問チームのリーダーを務め、諜報機関とも密接なつながりを持っていたケネス・ワルツはのちにこう書いています。
「従来行ってきた軍事力の改良開発に加え、これまで世界が見たことの無い程巨大な規模の戦略軍の編成に着手したのです。」
「フルシチョフが通常の軍事力の縮小に直ちに着手し、最小限の抑止力の保持に姿勢を転換しようとしていたにもかかわらず、そして我々はアメリカ側が軍事的に圧倒的に優位な立場にいるという認識があったにもかかわらず、かつてない規模の軍備拡大へと乗り出してしまったのです。」

冷戦ソ連軍
またしても国民や国土を危険にさらしてでも、国家を強力にするという選択が行なわれてしまったのでした。

アメリカの情報機関はソ連側が航空兵器並びに兵員を実際に削減したことを確認していました。

そして1963年、フルシチョフは再びアメリカ側に軍縮の提案を行いました。
彼は実際に東ドイツに駐留していたソ連軍を撤退させ、アメリカ政府に対し同等の措置をとるよう求めました。

これもまた、アメリカ政府の拒絶に遭いました。

元アメリカ国防総省の高官であり、ケネディ政権における安全保障問題のさう高責任者であったウィリアム・カウフマンは、フルシチョフの提案に対し米国政府が対応を誤ったことについて、
「たった一つ私が後悔していること」
と表現しました。

度重なる提案の拒絶に遭ったフルシチョフ、すなわちソビエト連邦が、アメリカの強大な軍事力に対抗しようとして取った措置こそは、1962年10月にキューバに核ミサイルを配置することでした。
この措置にはケネディ政権が行なったフィデル・カストロのキューバをターゲットにした、テロ攻撃と上陸侵攻作戦を組み合わせたプランに対する、予防的意味合いもありました。

キューバ危機
アメリカ側はこの計画を極秘裏に進めていましたが、ソビエト連邦とキューバ側は事前に察知していた可能性があります。
こうしてキューバ危機は発生したのです。

-《4》へ続く -

http://www.theguardian.com/commentisfree/2014/aug/06/hiroshima-day-nuclear-weapons-cold-war-usa-bomb
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こうして「その時実際に起きていたこと」を確認すると、当時の西側報道とのニュアンスの違いに気づかされます。
その『私たちが知らされた事実と本当に起きていたことの違い』は次回において決定的になります。
長い掲載になりますが、お付き合いください。

【 なぜ彼らは戦争を欲するのか?! 】《2》[GRD]

読了までの目安時間:約 9分

国家安全保障という定義には、必ずしも国民や一般市民の安全は含まれない - その証拠は歴史上数多く存在する
核兵器の大量破壊により一般市民が受ける被害については、軍官僚たちはさほど重要視していなかった

ノーム・コムスキー / ガーディアン 2014年8月6日

広島09
◇ 冷戦時代初期の遺物

専門分野における学説、そして各種の論文などをあたってみれば、国家政策の主要な目的は国家の安全ということになります。
しかし国家安全保障という定義には、必ずしも国民や人々の安全は含まれないという証拠が、これまでの歴史に数多く存在するのです。

例えばこんなことが記録に残されています。
戦争が起きたときの被害想定を行う軍官僚たちは、核兵器による大量破壊の被害についてはさほど重視はしていませんでした。
この状況は核兵器が開発された当初からそうであり、現在もそのままです。

NWE(核兵器時代)の幕開けから、アメリカ合衆国は世界に向けて圧倒的な力を誇示し、盤石の国家安全保障を手にしました。
アメリカの軍事力は北半球において突出し、大西洋と太平洋、そしてその両岸において覇権を確立していました。

第二次世界大戦が始まるずっと前からアメリカの国力に及ぶ国家は存在せず、経済的な豊かさにおいて突出した存在となっていました。
そして戦争が始まると他大陸・他国の産業界の荒廃が進み、あるいはほとんど力を無くしていく中、アメリカの産業は反比例して活況を呈しました。

英国空の戦い
こうして新しい時代の幕開けとともにアメリカは世界中の富の半分を所有する国家となり、工業生産能力に至っては、さらに大きな割合を占めることになったのです。

しかし、そのアメリカにも潜在的な脅威がありました。
核弾頭つきの大陸間弾道ミサイルです。

この脅威については、専門研究部門において恒常的に議論が行なわれ、その記録は政府高官だけが閲覧可能とされていました。
ケネディ、ジョンソン両政権において、国家安全保障問題の顧問を務めたマクジョージ・バンディがまとめ上げたこの報告書には、次のような題名が付されました。
危険、そして生存 : 喫緊50年間の爆弾についての選択

バンディは次のように記しました。
「戦後間もなく大陸間弾道ミサイルを開発完成させたことは、8年間のアイゼンハワー政権における最高の業績の1つでした。
しかし一方でもし、このようなミサイルが開発されることが無ければ、アメリカ合衆国とソビエト連邦が核爆弾によって、今日これ程危険な状況に追い込まれることは無かったかもしれません。」

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そしてバンディは興味深い注釈を加えました。
「核弾頭を搭載した大陸間弾道ミサイルについては、どうにかして禁止しなければならないと考えていますが、現段階においてはアメリカ政府、ソビエト連邦政府、その内部からも周辺からも、そうした提案をする意思があるとは一切聞いていません。」
簡単に言えば、アメリカ社会を根こそぎ破壊する恐れがある脅威、ソビエト連邦との核戦争を完全に防ぐことが出来る方法というものは存在しなかったという事です。

その脅威は現在、無くなったのでしょうか?

もちろんそんなことは、私たちが知りようがないことです
しかしその可能性が完全に無くなったとは考えられません。

ロシアは産業技術開発、そして先端技術分野においてアメリカによりはるかに遅れており、核兵器によって国を根こそぎ破壊されてしまうという恐怖をアメリカの何倍も感じていました。
それに加え核兵器のシステムもアメリカに比べれば、その信頼性は明らかに低いものでした。

水爆実験01
そのような可能性について検証する機会はあったかもしれませんが、当時のソ連を支配していたものは今日の我々が想像もできないようなヒステリックな感覚であり、問題に気づくことすらなかったと考えられます

そのヒステリックな感覚は現代の私たちの想像を超えるほどのものです。

国家安全保障会議文書第68号(NSC-68)という名の公文書がその時のソ連の状況について分析を行い、そこに記された記録された結論は今でもまったく衝撃的なものです。
ディーン・アチソン国務長官は「真実よりもさらに明確に」すべきことがあるとして、この文書の公開を禁止しましたが。

1952年、ヨシフ・スターリンが重要な提案を行いました。
東西に分裂していたドイツを再統一の上非武装中立国として独立させ、自由主義国家とすることを提案したのです。
これは注目に値する提案でした。

スターリングラード01
この提案が行なわれるまでの50年間、ドイツだけが2度もロシア領内に進攻し、破壊をほしいままにしました。
ロシアが支払った代償は恐ろしい程高価なものだったのです。

-《3》へ続く -

http://www.theguardian.com/commentisfree/2014/aug/06/hiroshima-day-nuclear-weapons-cold-war-usa-bomb
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この長い評論を掲載するについては、当然翻訳作業は掲載より先に進んでいるわけですが、作業を続ける中で気がついたことがあります。
それは広島、長崎に原爆を投下することを決定したアメリカ軍の官僚たちが望んでいたことは、できるだけ衝撃的な結果が出ることにより、アメリカがそれだけの力を現実に手にしていることを全世界を相手に思い知らせる事だったのではないか?ということです。
そしてあれ程の数の人々が犠牲になってしまう事は、実はそれほど緻密には計算されていなかったのではないか?という事も…。

あまりにも多くの市民が無残に殺害された結果を見て、原爆の開発に参加した科学者の多くが自責の念に駆られたことが歴史に記されていますが、軍の官僚たちはどうだのったのでしょうか?
「仕方も無いことさ…戦争なんだから。それにこの戦争を始めたのは日本人の方だったはずだ…。」
ため息とともにそんな声が聞こえて来そうです。

だからこそ、決して戦争には手を染めてはならない、はずなのです。

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【 待望の国境越えが実現した難民たち 】

アメリカNBCニュース 9月5日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

難民01
何日もの間ハンガリー国内で足止めされていた主に中東地域からの難民たちに対し、ついにドイツとオーストリアが国境を開き、待ちかねていた何千人もの難民がなだれ込むように両国に移動しました。
9月5日にミュンヘンの主要な鉄道駅ハウプトバーンホフに到着した、約800人の主にシリアからの難民。その中にはアンゲラ・メルケル首相の肖像写真を携行する難民の姿も。
まずオーストリアに入国した難民たちは、徒歩でハンガリーの首都ブタペストまで移動した後、バスに乗せられてハンガリー・オーストリア国境まで移動し、さらにその後専用列車でドイツに向かいました。(写真上)

9月5日、オーストリアのザルツブルグからミュンヘンに到着した難民の少年が、鉄道警備隊員の帽子を手に取り、笑顔を見せています。(写真下・以下同じ)
難民02
ミュンヘンのハウプトバーンホフ駅に到着した後、ミュンヘン市内を歩く難民の親子。
難民03
9月5日ハンガリーからオーストリア領内のニッケルズドルフに到着し、一息つく難民たち。
彼らはこの後、さらにドイツをめざして移動を続けることになります。
難民04
9月5日ハウプトバーンホフ駅に到着した後、ミュンヘン市の医療担当者による簡単な健康状態の検査を受ける難民。
難民05
9月5日オーストリア領内のニッケルズドルフに到着し、さらに移動するためのバス待ちの間、シャボン玉で遊ぶ子供。
第二次世界大戦以来最大規模の難民流入について、ウィーン市当局はこの問題はヨーロッパ全体が真剣に取り組むべき「警鐘」であると表明しました。
難民06
http://www.nbcnews.com/storyline/europes-border-crisis/thousands-migrants-stream-austria-germany-after-ordeal-hungary-n422351

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ほんとうの「今」を知りたくて、アメリカCNN、NBC、ABC、CBS、英国BBC、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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