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【 こんなことは、もう2度と繰り返さないでください!】

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被災者の切実な願いを押しつぶそうとする圧力、日本国内で台頭
新安全基準、公的利益に関する規定、原子力発電の倫理的整合性に関する検証が無い

スヴェンドリニ・カクチ / IPSニュース 10月15日

反原発テント
3月11日に襲った巨大地震と巨大津波が重要な設備である原子炉冷却システムを破壊し、福島第一原発の3基の原子炉でメルトダウンが発生してから2年半、今年30歳になった尾賀あや子さんは、自分がもうどうしようもない状況にまで追いつめられてしまったことを痛感しました。
当時夫と共に大熊町の福島第一原発から5キロほどの場所で生活していた尾賀さんは、町を捨てて避難しなければなりませんでした。

かつてはどこにでもいる農民のひとりでしかなかった女性は、今や日本国内で広がり続ける反原子力発電感情を引っ張る熱心な活動家のひとりに変貌しました。
2011年3月11日に発生した悲惨な出来事により故郷を追われた福島の何百何千の人々とともに、彼女は今、国内の原子炉を再稼働しようとする意図を隠そうともしない日本政府に、真っ向から立ち向かっています。

安倍晋三首相は先月行われた記者会見の席上、相変わらず『経済成長』への強いこだわりを見せ、「世界で最も厳しい基準に基づき、原子力発電所の再稼働をめざす」ことを断言しました。

仮設住宅01
このような首相の発言は、尾賀さんが抱いてきた最悪のシナリオを裏書きするものでした。
現在数百人の避難者とともに福島第一原発から約100kmの距離にある会津若松市で生活する尾賀さんは、2度と自分たちのような人々を作るようなことはしてはならない、そう固く決心しています。
「原子力発電がもたらす様々な災厄の実態を明らかにしていくこと、それが私が今しなければならない事だと考えています。」
IPSニュースの取材に、尾賀さんがこう答えました。

福島第一原発の事故発生を見て、日本の反原発感情はピークに達しました。

日本の代表紙の1紙である東京新聞が2012年7月に実施した世論調査では、3,000人の回答者の内約80%が原子力発電に反対する態度を明らかにしました。

未だに85,000人の人々が家を捨てたままの状況に追い込まれ、広大な国土が汚染されてしまい、数多くの農家や漁業関係者が莫大な経済的損失を被ったことを考えれば、こうした結果は驚くには値しません。
しかし今、尾賀さんや日本の反原子力発電の活動家たちは、自分たちの取り組みを無に帰そうとする勢力の台頭に危機感を募らせています。

アルジャジーラ抗議集会
政権与党の自民党、そして大企業が経済的損失とエネルギーの安定供給を理由に、国内の原子力発電所の再稼働を声高に要求しているのです。
かつて国内の電力需要の30%を賄っていた日本の原子力発電所の50基の原子炉は、現在定期点検を含む様々な理由により稼働を停止しています。

世界第3位の規模を持つ日本経済(GDP:約596兆円)は、そのエネルギーの約9割を輸入に依存し、今期は原子力発電所の停止に伴う火力発電用燃料の輸入増加などにより貿易収支が約1兆200億円の赤字を記録しました。

日本政府は原子力発電事業を再開するためには、地元の了承を得るとともに、厳しい安全基準をクリアすることを求めています。
日本は2012年9月、独立した行政機関として、国内のトップレベルの科学者、技術者からなる原子力規制委員会を立ち上げました。

委員長を務める田中俊一氏は福島出身の科学者ですが、原子力規制委員会の今後のあり方、そして福島第一原発の事故収束・廃炉作業を行わなければならない東京電力の今後については、公の場で
「闇の中の手探り状態である。」
と語りました。

事故調査委員会06
2013年7月に施行された原子力規制委員会の新たな安全基準は、縱深防御の概念に基礎を置きます。
すなわち、三重四重の事故防止策を施すと同時に、地震や津波、そして他の過酷な事態による安全機能が同時に失われてしまった場合にも、尚安全を確保できるよう求めています。
そして原子力発電を運営する電力会社は、原子力発電が立地する活断層の有無についても調査を求められ、より高い防潮堤や緊急時の指令室等も設備さなければなりません。

国民はこうした安全基準の強化については、一定の評価を行っているようです。

これも日本を代表する新聞のひとつである朝日新聞が2013年7月に実施した世論調査は、こうした安全基準の採用により、原子力発電の廃止を要求する人々の割合の低下につながったでしょうか?
同じ1,000人を対象とした調査では、より厳しい安全基準の下での原子炉の再稼働に賛成する人々の割合が2月には37パーセントだったのに対し、7月時点では40パーセントに上昇していました。

この数十年、原子炉の設計に携わってきた科学者の田中光彦氏は、原子力発電の反対派と推進派の戦いをダビデとゴリアテの戦い(旧約聖書サムエル記 : 巨人兵士のゴリアテは羊飼いの少年であったダビデが投石器から放った石を額に受けて昏倒し、自らの剣で首を刎ねた。この故事にちなんで、弱小な者が強大な者を打ち負かすたとえとしてよく使われる – ウィキペディア)に例えました。

090107
「市民の活動家たちは強力な権限を有する日本政府と、豊富な資金力を誇る大企業に立ち向かっていかなければなりません。」
田中氏がIPSニュースの取材に答えました。
「経済価値、金銭がまずは優先される日本社会において、市民活動家たちは世論を動かす必要があります。」

田中氏は現在の安全基準の採用、そして承認を得るための手続きには深刻な欠陥があると考えています。
「再稼働のための手続きの透明化の問題を別として、福島第一原子力発電所事故の真の発生原因について、科学的解明が行われないまま、国内の原子炉が再稼働されようとしています。」

高さ13-15メートルの津波だけが原子炉の事故の発生原因だとする公式説明に、多くの科学者が批判的立場をとっています。
原子炉が破壊されたまま手も付けられない状態なのに、発生原因を特定するだけの絶対的な科学的な証拠が手に入るはずがないのです。

原子力発電の安全の専門家であり、「柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会」の代表を務める井野博満東京大学名誉教授も、
そうした指摘をする専門家のひとりです。

第一大破壊
「現在の政府側の安全基準については公的利益に関する規定、(そもそも人間社会において原子力発電のような行為を行っても良いのかどうかという)原子力発電の倫理的整合性に関する検証が無く、満足できる物とは言えません。」
IPSニュースの取材に井野氏がこう語りました。
「国民一人一人の意見を丹念に吸い上げ、充分に時間をかけて丁寧な議論をした上でなければ、これ以上原子力発電を継続すべきではないのです。」

井野氏も新しい安全基準は、厳格さにおいて十分ではないと語りました。
井野氏がこう指摘しました。
例えば沸騰水型原子炉において、新しい安全基準は電力会社などの管理者に対し、フィルターの設置については無期限の猶予を与えており、これでは水素爆発を完全に暴威することはできないと。

福島第一原子力発電所の事故は、1986年にウクライナのチェルノブイリ原子力発電所で発生した事故以降、最悪の事故だと考えられています。
福島第一原発においては危機的状況が続いており、東京電力と日本政府は高濃度の汚染水が海洋中や周辺地区に漏出している問題の解決のため、苦闘を続けています。
10月10日、東京電力は高濃度の放射性セシウムを、福島第一原発近くの海洋中から検出したことを明らかにしました。

8月には福島県庁が、約200,000人の子供たちを対象に行った甲状腺の検査についての新しい統計を公表しました。
朝日新聞の記事によれば、このうち44人の若年層に甲状腺がんを含む異常が認められました。
事故発生当時、彼らは6歳から18歳という年齢でした。

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尾賀さんは今年8月、避難民が自宅に残されたままの大切なものを持ち帰るため、政府によって実施された一時帰宅の際、夫が自宅を訪れた際の話をしてくれました。

「私にも懐かしい我が家に行ってみたいという気持ちはありましたが、行くのは止めました。」
IPSの取材に尾賀さんがこう語りました。
「私は将来、自分で子供を生もうと考えています。ですから放射線を浴びるわけにはいきません。
私たち若い世代は、行政など当てにせず自分で自分の身を守る必要があります。その上で、社会を変えていく努力を続けていく必要があります。」

http://www.ipsnews.net/2013/10/not-fukushima-again/
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福島第一原発の事故において、最も許せないのが原発難民となってしまわれた方々へのこの国の配慮です。
日本政府の官僚たちも、東京電力の『官僚』たちも、まずは自分たちの責任を少しでも減らそう、その事ばかりが先に立つ。

原発難民の方々が苦しむ時間を、一分一秒でも減らしたい。
未来が見える日の到来を、一日でも早めたい。
そんな事を考えた事があるのでしょうか?!

そこを考えた形跡など無い事は、ほとんどの国民が解っているのです。
だからこそ、福島第一原発に関する『政府発表』も『東京電力発表』も、国民からは信用されない。
私はそう思っています。

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【 Q.サカマキが写しだす日本 】 《後編》

ニューヨーカー 10月16日
(写真をクリックすれば大きな画像をご覧いただけます)

坂巻 8
10月上旬、ニューヨークを活動拠点とする日本人写真家のQ.サカマキ氏が、インスタグラムに一連の作品をアップロードしました。
日本での滞在中、サカマキ氏は東京での通勤風景から、そして相模湾での日本のサーファー文化まで、日本の中心部における日常を写真に撮り続けました。

サカマキ氏はこの20年間、国際的視点から故国である日本の光景を写真に撮り続けてきましたが、今回初めて父祖代々の地、三河地方を旅しました。

今回の撮影に関し、サカマキ氏は最初からインスタグラムの事が念頭にあったと語りました。
「私は撮影の際、用途によってフイルムとレンズを使い分けるようにしています。」
そしてインスタグラムで発表されている写真を見ていると、他では得られないひらめきが得られるのだと語りました。
そして彼自身、実験的作品の撮影を試みる、前向きな気持ちがわいてきたと付け加えました。

三河地方の寺院とサカマキ氏の母親(写真上)

  三河地方の農民(写真下・以下同じ)
坂巻 9
  京都・嵐山の桂川
坂巻 10
  湘南海岸、七里ケ浜。
坂巻 11
  湘南海岸、七里ケ浜。
坂巻 12
  嵯峨野から京都市内を遠望する
坂巻 13





 

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