星の金貨プロジェクト

星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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ビビリ・ゴルファーの独りごと《2》

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所要時間 約 6分

▽ 欲とビビりに支配されるゴルファー

さて自分のゴルフはどこまでのゴルフなのだろうか?
前回はその答えを出すため、ある決心した、というところまででした。

どんなことができて、何ができないのだろうか?
練習場ではちゃんとできるのに、コースに出るとできないのはなぜか?
100ヤード以内を10ヤードごと、きちんと打ち分けられるようにしたい

こうした自分に対する問いかけ、その答えを出すために私が決心したこと。

それは、独りパブリックです。

私が暮らす仙台市の西北郊外の富谷市にある富谷カントリークラブが私のホームコースであることは前回お話ししました。
富谷カントリークラブには18ホール・パー72のメインコースの他に、18ホール・パー70(ショートホール×6ホール、ロングホール×4ホール)のパブリック・コースがあります。

パブリック・コースは平日なら予約なしで、しかもひとりでラウンドさせてもらえるのです。

女房殿に言わせれば、私は所詮エエカッコしい。
確かに土日にメインコースに行くと、同じパーティの同伴プレーヤーはもちろん、前の組や後ろの組の人の視線が気になります。

自分に置き換えてみると、よほどのスロープレーヤーやマナーの悪いプレーヤーでなければ、前の組や後ろの組の誰かに「目をつける」などということはないのですが、自分のこととなると感覚がずれてきます。

特に調子が悪い日などは、ティーイング・グラウンドに立って自分が打ち終わるまで、次の組が来ないといいな、なんて考えがちです。
なぜなら失敗しただけでも落ち込むのに、それを他人に見られていると挫折感が倍増する感じがするからです。

でもその意識そのものが、ゴルフの場合は失敗の原因になります。
プロゴルファーは見られることが前提であり、すべての技術を備えているのに対し、私たちアマチュアはまずもって得手不得手があり、しかも集中力となると比較になりません。

それが見られてもいないのに、周囲の視線が気になって仕方がない。
自滅の原因を自分で作っているようなものです。
煩悩そのものと言って良いのですが、煩悩を去ることができないのが私のような凡人。

しかもホームコースの富谷カントリークラブは「簡単じゃない」と評判のコースです。
距離は長くもなく短くもなく普通ですが、基本右はすべてOB。
もっと厄介なのはすべてのグリーンが砲台で、しかもまんじゅう型であること。
その上グリーン周りのラフはなぜかほとんどが逆目。
そして花道の左右には基本必ずバンカーがあります。
きついドローやスライスはまず十中八九アゴの高いバンカーです。
そしてグリーン奥はすべてOBか大トラブル…
さらにはショートホールがすべて打ち上げで、アベレージゴルファーにとってはミドルアイアン以上の距離があります。

要はショットには正確な距離感と方向性、そして冷静な状況判断が必要なコースだということです。

そして泣かされるのがグリーンの難しさです。
パッティングは1メートル以内であってもしっかり打たないと、まず曲がります。
「えっ?」
迷いながら、あるいはこわごわ打ったパットは絶対曲がる、そんなグリーンです。
どのグリーンもまっすぐのラインは一箇所だけという設定。

まあ、言ってみれば客に全く媚びないコースと言えるのではないでしょうか?

当然このコースでプレーする際一番必要なことは集中する、ということになります。
集中力を欠いたまま漫然とプレーすると、必ず痛い目を見るのがこのコースです。
前後左右に気を取られていたのでは、うまくいくはずがありません。

そんなホームコースで2年前は土日ラウンドして、私のスコアは平均すると91〜93といったところ。
調子が良くないと90を切ることは無く、18ホール全体をみると良いところもあるもののダメなところも多々あって、いつも思うことは一緒でした。

なんでああいう失敗を繰り返すのだろう?

誰からも見られない環境でゴルフができないだろうか?

その答えが独りパブリックでした。
普通ならゴルフ場のオーナーでもない限り、一人きりでゴルフを楽しむなどという贅沢は許されるはずがありません。
そして首都圏のように人間が充満している場所でも不可能。

でも仙台市内に暮らす私は、車で25分の場所にたったひとりでプレーを許してくれるゴルフ場があるのです。

しかも、平日ならメンバー料金は3,300円です。

で、実際にプレーしてみてどうだったのでしょうか?

初夏のとある平日、当時はまだ会社員だった私は一週間の天気予報を確認して前日に有給休暇届けを出し、休みを取って独りパブリックコースにやってきました。

そして我ながら信じられないことに、2バーディ3ボギー、パー70を71で回ったのです!

何が違ったのでしょうか?
そのお話は次回にさせてください。

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【星の金貨】のメインセクションは下記のURLに移転しました。

http://kobajun.biz/

海外メディアの翻訳記事は【星の金貨new】でご覧ください。

ビビリ・ゴルファーの独りごと《1》

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所要時間 約 5分

▽ 欲とビビりに支配されるゴルファー

まず自己紹介から。
私は来月で満61歳になる老熟年ゴルファーです。
ゴルフ歴は20年くらいでしょうか、始めたのはちょうど30歳の時。
ですが、子供たちが小さかった頃(一女一男の父親です)その世話を女房殿に任せっぱなしにして、日曜日に高いプレー費を払ってのラウンドもその後半に差し掛かった頃、やっぱりその日も100をきれそうにないとわかってがっかりした時、
「オレ、何やってんだろ?」
と思いました。
「大切な子供たちの世話を人に任せっぱなしにして、つまらない思いをして、バカそのものだ…。」

それっきり約10年間、ゴルフをすっぱりやめていました。
そして下の子の長男が高校生になった頃じゃないでしょうか、ゴルフ好きの会社の上司に
「そろそろ再開しても良いんじゃないの?」
と誘われ、今日に至りました。

現在は仙台市北郊の富谷カントリークラブの会員歴も10年を超え、2018年春現在のオフィシャルハンディは12.3です。
ラウンドでは今年に入って一番多いのが88というスコア、100は叩かなくなりましたが、できれば常に80代前半で回りたいと思っています。

私のゴルフへの取り組みで、多分他の方と違うのは徹底してレッスンプロについてゴルフを覚えたことではないでしょうか?
これまで紆余曲折、私が暮らす仙台市内の都合5人以上のレッスンプロの方に指導していただきました。

おかげでフォームの方は誰からも褒めていただけるようになりましたが、ゴルフで一番難しいのは実はメンタル。
これにその時その時の体調の良し悪しが加わることで、ゴルフは結果が大きく違ってきます。

でそのメンタルですが、私はある日ツイッターを見ていて、こんな自己紹介を見つけました。
「ビビりです。」
すっごく共感しました。
「俺もそうだなぁ、特にゴルフでは…」

実は今はレッスンプロについての練習はしていません。
数年前、レッスンプロについてラウンドレッスンをしていて、ビビりからミスをした時、
「ここから先は人には教えてもらえない。」
と思ったからです。

ゴルフを壊すのは欲とためらいだと私は思っています。
プロのトーナメントを見ていても、一流プレーヤーであっても
「どちらのクラブにしたら良いか、迷ったままショットしてしまった…」
なんていう時は決まってミスショットになるようです。
私たちなんかはためらいを通り越して、ビビる場合が多々あります。

それと私たちアマチュアは実力に見合わない結果を出そうとした時もツブれます。
顔が上がる
タイミングが早くなる
ボールにクラブヘッドが届かなくなってダフるトップする
ありとあらゆるミスが出ます。

オフィシャルハンディが15を切った時、かねてすすめられていたこともあり腕試しのつもりで所属するコースの月例競技に出ました。
結果は…
あの時のラウンドは未だに悪夢です。

2度目はクラブチャンピオンの方が一緒でした。
ティーショットをチョロった後、アプローチショットをアドレスからスィングまで多分普段の3倍ぐらいのスピードでワタワタやって、ボールがグリーン脇の生垣に突き刺さった時でした。

「ちゃんとできるんだから、ちゃんとやりなさい!」

クラブチャンピオンにこう諭されました。
ビビってました、一度目の失敗にビビって二度目もビビったままショットする、そんな失敗を重ねていたのです。

以来ショットの時もパットの時も、自分自身に
「ちゃんとできるんだから、ちゃんとやろう!」
と言い聞かせるようになりました。
そう言えた時は結果もついてきました。
それを思い出す余裕もない時はミスショットが数多く出ました。

「でも、自分のゴルフはいったいどこまでができるゴルフなんだろう?」
その疑問が頭を去らなくなりました。

そしてその答えを出すべく、私はある決心をしました。
そのお話は次回…

コバジュン・ミニ旅しっかり旅 《第1回》羽黒山神社(山形県鶴岡市)悪戦苦闘編

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所要時間 約 9分


4月22日日曜日、仙台市内の自宅を出て山形県鶴岡市にある羽黒山神社に行ってきました。

折しもこの日仙台市内では羽生結弦くん on the Parade が行われる予定、事前に公表されていた仙台市内中心部の通行止めマップを見て、「こりゃ大変なことになるな。」
と思っていました。
羽生くんを見たい気持ちもありましたが、我が家の家族は全員人混みが苦手、その人気の高さを考えると仙台市内はかつてない混雑が予想されました。
そこで私と妻、娘と3人は羽生くんには失礼申し上げ、一路東北自動車道から山形道をひた走り、羽黒山神社へと向かいました。

この日鶴岡市内は天気予報では晴天、最高気温22度の予報。
結果すれば26度前後まで上がったのですが、そのことが後でちょっとしたことにつながります。

羽黒山は高速道路の山形自動車道・庄内あさひインターを出て20分ほど走った場所にあります。
右手に雄大な月山の山容を眺めながらのどかな丘陵地帯を走ると、やがて右手前方の開けた斜面に大きな赤い鳥居が見えてきます。
仙台宮城インターには入ってから約2時間、羽黒山到着です。

羽黒山神社の参道は4,227段の石段を昇らなければならないことで有名です。
羽黒山は山伏修行で有名で、修験者は麓にある御師の宿に泊まり、毎日この石段を上り下りして修行に励みます。
先ほどの鳥居をくぐると道は間も無く両脇は建物が密集した景色に変わり、道幅も狭くなります。
程なく両脇に独特の構えの御師の宿が幾つも現れ、他のどこにもない独特の雰囲気が醸し出されます。

鳥居をくぐって約5分ほどで、羽黒山神社の参道入口に到着です。
公営の無料駐車場がありますが、止められるのは20台程、休日はすぐに満車になるので注意が必要です。
(停められない場合は山頂まで車で行き、有料道路兼駐車場に車を置いて誰にも迷惑をかけないようにしましょう)
私たちが到着したのは午前9時30分、20台目でした。
一台分のスペースには大量の雪が溶けずに残っており、車を停めることはできません。

さて山門に向かいましょう。
羽黒山の参道には有名な五重塔があり、看板には『徒歩10分』とあります。
参道を登りきるには先に書いた通り4,227段の石段を登る必要があり、ネットでガイダンスを見ると『所要時間約45分』とあります。

我が家は同じ顔ぶれで昨年秋にこの参道に挑戦したことがあるのですが、妻も娘も「もうこりごり」というのが正直な感想で、今回は私だけが挑戦することにしました。
もっとも前回は登りきったは良いが3人ともヘトヘトで、山頂の駐車場でタクシーを呼んでいただき、自家用車がある駐車場まで送り届けてもらいました。
今回は妻と娘は五重塔を見た後は、駐車場に戻って車で山頂に向かい、本殿の前で待ち合わせることにしました。

山門をくぐりました。時計を見ると9時58分です。
お客さんを案内したと思しきタクシーの運転手さんが
「あー、こえーこえー(強い強い)」
と言いながら山門を出てきました。どこまで行ってもどってきたのでしょう?
羽黒山参道の石段は入るとまず下りになります。
この参道の上り下りがきついのには理由があります。
石段の高さも幅もまちまちなのです。
一段ずつでは小刻みにすぎるし、一段飛ばしするには強靭な足腰が必要です。
なんとも小面憎い作りではあります。

その石段を30〜40段下ると路は直角に右に曲がり、すぐに水量の豊かな渓流にかかる橋を渡ります。
右手には岩肌を伝い落ちる滝が見え、お堂があります。
ここで一緒に来た妻と娘と一旦別れ、私は立ち止まることなく参道を登り始めました。
5分も経たないうちに今度は左手に五重塔が見えてきました。
法隆寺五重塔は広い境内にすっきりと立っている印象がありますが、羽黒山五重塔は薄暗い杉木立ちの中にひっそりとした佇まいを見せ、幽玄な空気に包まれて建っています。
建物の表面の木肌も良い感じに風化し、いわゆる観光資源とは別の趣を持っています。

ここを過ぎると、参道はいよいよ勾配がきつくなります。
木立ちに囲まれた石段をひたすら登り続けます。
この日の私のいでたちはストレッチの効いたゴルフウェアにアンダーアーマーのカリー(バスケットボール用)シューズ。ランニング用と比べてソールが固く、歩くのにはどうかなと思いつつも、登山用シューズを持っていない私は、不揃いの石段から足首を守るためにこの靴を選びました。

少しずつ、前を行く人を追い越しながら登り続けました。
まずは軽登山のスタイルをした3人連れの男女。
続いては東南アジア系の男性3人。
(この3人、驚いたことにサンダル履きでした)
そして杖をついた高齢の女性が2人で参道を登っていたのには少し驚きました。
(10段登っては休み、といったペースでしたが、着実に上に向かってました)
若いカップル(女性の方が男性になにやらクレームをつけてました)に、若い親子3人連れ。
ずいぶん背の高い女性の後ろ姿が見えましたが、追い抜くときに聞こえてきたのはフランス語の会話でした。
Je suis un japonais.(私は日本人です)というフレーズは思い出しましたが、「あなたがたはフランスの方ですか?」というフレーズはついに出てきませんでした。

15分過ぎた頃からはどんな余裕も無くなりました。
コンディションを考えて持参した大高酵素のドリンクが功を奏しました。
以前私は夏場のゴルフなどでは市販のスポーツドリンクを1リットル以上飲んでいたのですが、大高酵素ドリンクに変えてから体力の回復が著しく改善しました。
一言で言えば、すごく疲れにくくなりました。
このドリンクは大高酵素60mlにポッカレモン40ml を加え、炭酸水400ml で割って、500mlのペットボトルに入れたものです。
冬場は炭酸水の代わりに400mlのお湯で割ったものを容量500mlのマグボトルに入れてゴルフのときなど持ち歩くのですが、すでに気温が22度を超えたこの日は炭酸割の方を持参して正解でした。

脈拍数が上がり息も上がり、5分ずつ登っては一息入れて大高酵素ドリンクを飲むのを繰り返しました。
途中左手に『鳥海山遥拝』という案内板が見え、歩いて1分も行けば絶景が見えそうな場所がありました。
あれは確か男鹿半島からだったと思いますが、よく晴れた日に鳥海山そして月山が連なる雄大な景色を見たことがあります。
鳥海山の優美な山容と月山の複雑な姿が重なり、そこに日本海の青さが映える景色は一生の記憶になっています。
しかし今はたとえ1分といえど、寄り道する余裕などありません。
待ち合わせは40分後、体を前に傾け、頭の重さで足が前に出るようにして(効果のほどは不明ですが)石段を登り続けました。

急勾配と静かな山道の組み合わせが何度か続き、やっと山頂の鳥居が見えてきました。
残り30段、20段、10段…不揃いの石段がいよいよ急勾配になり、息の上がりきった60歳11ヶ月の体を責め立てます。
やっと黒塗りの鳥居の下にたどり着きました。

さっき入口の山門ですれ違ったタクシーの運転手さんが立っていました。
「お疲れさんねえ。おらい(私)のお客さん、まだ来ねんだやー。」
とねぎらってくれました。

到着時刻はちょうど10時30分、所要時間は32分ほどだったことになります。
ひさびさに全身から汗が吹き出す運動をしました。
スボンのお尻のポケットから iPhone 8 を取り出し、万歩計を確認して驚きました。
歩数5000歩はまだしも、「上った階数 84階」
と表示されているではありませんか。
きついわけだわ…

【 市民の権利を歴史に刻み続けた生涯:マーティン・ルーサー・キング・ジュニア 】《1》

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所要時間 約 3分

アメリカNBCニュース 2017年1月16日

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バプティスト派キリスト教の牧師であったマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、人種的な正義の実現を飽くまで平和的手段にのみ訴え続け、市民権(公民権)運動を前進させました。
しかし彼は1968年、暗殺という最悪の暴力によって生涯を終えることになってしまいました。
1955年満員になったホールト通りのバプティスト教会で演説するキング牧師。(写真上)

1956年5月アラバマ州モントゴメリーの自宅でくつろぐキング牧師。(写真下・以下同じ)
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1956年2月23日ラルフD.アバーナシー牧師とともに、モンゴメリー市警察の事情聴取を受けるキング牧師。
市民権運動を行っていたキング牧師は、バス・ボイコット運動を指導したかどで大陪審によって告発され逮捕されました。
バス・ボイコット運動◆黒人の地位向上運動の一環として行われたバスのボイコット運動。1955年12月1日、白人客に席を譲らなかったために黒人女性Rosa Parksが逮捕されたことを転機に、Martin Luther King Jr牧師らの呼び掛けで同月5日に実行された。当時、バスは黒人差別行為の温床の一つであった。( アルク http://eow.alc.co.jp/search?q=book より)
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1956年3月22日モンゴメリ市の裁判所から出てきたキング牧師にキスする妻のコレッタ。
市バスをボイコットするという『陰謀』を企てたとして陪審員は彼を有罪にしましたが、裁判官はキング牧師を500ドルの罰金に処するという判決の審理を中止にする決定を下しました。
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1957年5月17日ワシントンD.C.にある国立モールで、自由を勝ち取るために集まった数万人の群衆に向けて演説をするキング牧師。この日集まった群衆の数は25,000人と推定され、今日に至るまで最大規模の市民権デモンストレーションとして歴史に記録されることになりました。
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http://www.nbcnews.com/slideshow/martin-luther-king-jr-n707546

【 2016年報道写真50選 】《5》

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所要時間 約 3分

【 2016年報道写真50選 】《5》

アメリカNBCニュース 2016年12月21日
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10月26日フランス、ノルマンディー地方のカレーにある『ザ・ジャングル』と呼ばれる難民キャンプから上がる煙を丘の上から眺める難民たち。
難民は貧困や戦争から逃れてヨーロッパに流れ込んでそのまま英国に渡ろうとしたものの、海峡を越えることが出来ずにこの地に臨時のキャンプ村に滞在を続けています。
しかしあまりに不潔な環境が人道問題化するのを見かねたフランス政府が大規模な撤去作業に乗り出しました。

12月19日にトルコ、アンカラの写真ギャラリーでアンドレイ・カルロフ・ロシア大使を射殺した後に叫ぶ銃撃犯の男性。
襲撃したのはアンカラの22歳の機動隊員で、射殺死体の脇でシリア内戦におけるロシアの干渉を厳しく糾弾しました。
彼はこう叫んでいました。
「アレッポを忘れないでくれ! シリアを忘れないでくれ!」
この後駆けつけた警察と銃撃戦になり、その場で射殺されました。
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7月9日のイラクのカラダで起きたトラックを使った自爆テロの後、治療を受けた後父親に抱かれた4歳の女の子。
イスラム教の休日に母親と一緒に買い物に出た後、二人はテロに巻き込まれ大やけどを負いました。
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7月6日、ナイジェリア北部、イスラム教の断食月、ラマダン終了を祝い衛兵と楽隊を引き連れてパレードする現地の土侯。
year29
10月24日、イスラム国(ISIS)からイラク第2の都市モスルを奪還する政府軍の軍事作戦が開始され、近くのカイヤラー郊外に集団で避難した住民たち。
イラクで2番目に大きな都市モスルはかつて、多数派のスンニ派イスラム教徒のアラブ系住民に加え、クルド人、シーア派イスラム教徒、キリスト教徒とヤジズ教徒などが共存する最も多文化的な場所でした。
彼らは渾然一体となって独自の料理や文化を持つ経済圏として繁栄していました。
しかしISISの支配により、モスルは飢えと恐怖の代名詞と化してしまったのです。
year30
http://www.nbcnews.com/slideshow/year-pictures-2016-n697021

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ほんとうの「今」を知りたくて、アメリカCNN、NBC、ABC、CBS、英国BBC、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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